2008-11-18 こんとん
■[にちじょう]さむくてこんとん
たろっとかーどの『おんなきょうこう』って、かとりっくにおんなのきょうこうがいたのだろうか? wikiでしらべてみると、よはんなというにんにいきつくらしいが、じつざいかどうかはうたがわしいとのこと。いまのよのなかはいろいろとじぶんでしらべられるところがすばらしい。
- にゅーす
うちのははおやがねんきんのきゅうふきんにまちがいがあるということでやくしょにいった……とおもったら、こんなじけんがはっせいした。
とうきょう・なかのでもとこうせいじかんのつまさされじゅうしょう、れんぞくてろか11がつ18にち22とき22ぶんぱいしん よみうりしんぶん
18にちごご6とき30ふんごろ、とうきょうとなかのくうえさぎみや2のもとこうせいじむじかんでしゃかいほけんちょうちょうかんもつとめたよしはらけんじさん(76)ほうで、よしはらさんのつまやすこさん(72)が、たくはいびんぎょうしゃをよそおったおとこにいきなりはらなどかずかところをさされた。
やすこさんはとおりぎょうにんにたすけをもとめ、びょういんにはんそうされたが、じゅうしょう。おとこはとうそうした。どうじつあさにはおなじくもとこうせいじむじかんのやまぐちつよしひこさん(66)のさいたましないのじたくで2にんがはものでさつがいされているのがみつかっており、けいさつちょうは、こうせいろうどうしょうのじかんけいけんしゃをねらったれんぞくてろのかのうせいがあるとみて、ふたつのじけんのかんれんせいのそうさするようけいしちょうとさいたまけんけいにしじした。
けいしちょうのがたしょかんぶによると、やすこさんをさしたおとこはしんちょうやく1めーとる60、ねんれい30としくらいのなかにく。やきゅうぼうをかぶっていた。とうじ、やすこさんはじたくに1にんでいたところたくはいぎょうしゃをよそおったおとこによびだされ、げんかんさきにでたきわ、はらやむねなどかずかところをはものでさされたため、ろじょうにでてたすけをもとめ、とおりぎょうにんにほごされたという。
おうむしんりきょういらい、ひさびさにおきたせいじてろといったかんがある。あきはばらのとおりまじけんでは「どうせならかすみがせきのかんりょうをころせよ」といういけんがあったりしたのだが、それをほんとうにじっこうするにんげんがあらわれるとはおもわなかったし、かんたんにじっこうできてしまったのにもおどろく。よのなかはぼくがそうぞうしているよりもはるかにわるいのか、それともとくいてきななにかなのか。こうせいろうどうしょうのふてぎわがいきつくところまでいきついたはての、よそうしなかったところからのれすぽんすにかんりょう(とせいふ)はどうたいおうするのだろう? へたすればはんにんにしんぱしーがあつまりかねないじけんなので、こんごのなりゆきがちゅうもくされる。
<こっか>せいしょうときは「きりつ、くにとしてしどう」…しおやぶんかそうがきょうちょう
にゅうがく・そつぎょうしきのこっかせいしょうときにきりつせず、かながわけんないのきょうしょくいんらがしめいなどこじんじょうほうのしょうきょなどをもとめてよこはまちさいにていそしたことにかんれんし、しおやりつもんぶかがくそうは18にちのかくぎのちかいけんで「こっかせいしょうときにきりつするのはこくさいてきにもじょうしき。それがりかいされていないのなら、くにとしてなんらかのしどうをするひつようがある」とのべた。しんがくしゅうしどうようりょうでは、きりつについてのきていはなく、はもんをよびそうだ。(まいにちしんぶん)
こっかはこっかとしてみとめたうえで、きりつのするしない、うたううたわないのじゆうはほしょうするべきじゃないかなとおもう。きょうしはたちばてきには「こっかがのぞむこくみんをいくせいする」ことをもくてきとしたひとびとであるから、しょくむてきにきりつしたりうたったりするのはやむなしかと。こっかにたいするちゅうせいがこっかをうたうことでたかまるなんてことはないとだんげんできるだけに、どうでもいいことをあーだこーだしているなぁといういんしょうはある。いまいちど、そうほうのりゆうをさいかくにんするべきときがきたのではないだろうか。
11がつ18にち13とき12ぶんぱいしん じじつうしん
おやのけっこんをこくせきしゅとくのようけんとするきていをさくじょするこくせきほうかいせいあんは18にちごごのしゅういんほんかいぎで、ぜんかいいっちでかけつ、さんいんにそうふされた。いまこっかいでせいりつするみとおしだ。
にほんじんのちちとがいこくじんのははをもつこのにほんこくせきしゅとくについてさいこうさいはこんねん6がつ、おやのけっこんをようけんとしたげんこうこくせきほうのきていをいけんとするはんけつをくだした。これをうけ、かいせいあんはどうきていをさくじょ。ちちおやのにんちだけでこくせきがしゅとくできるようになるため、にほんじんだんせいにきんせんをはらうなどしてきょぎのにんちでこくせきをしゅとくする「ぎそうにんち」には、あらたにばっそくをもうけた。
はんたいいけんがねづよくあるけれども、ぼくはきほんてきにさんせいだったりする。にほんじんだんせいがとうなんあじあなどにあいじんをつくって、もてあそんだあげくにこどもができたらしらんぷり……みたいなことはよくあるようで、やはりなんらかのせきにんとふぉろーをくにはするべきだとおもうのだ。いまさら、じゅんけつしゅぎをふりかざしてもしかたがないし、ほんらいにっぽんはもっとじゅうなんせいにとみ、かついみんのりゅうにゅうしてもたえられるぶんかのしたたかさがあったはずなのだ。ただ『こくせきほうのかいせいによって、ぎそうにんちにあらたなばっそくをもうけた』とあるものの、ばっそくのうんようはじっさいにはむずかしいだろうな〜とおもう。
■[ざっし]じゃんぷ
『まじんたんていのうごうねうろ』はほんじょうふみおがたいじょう。ねうろのよさはきょうきをちょうちょくせつてきにえがけるところにあるとおもう。こんしゅうごうでいえば、きょうきのあまりかおがきゅびずむのようになるところとか。こういうのをよむとじゃんぷもまだまだあなどれないなぁとかんじてしまうが、しょうじき、ねうろしかよむものがない。
■[えいが]いまみたいえいが
- しゅっぱんしゃ/めーかー: そにー・ぴくちゃーずえんたていんめんと
- はつばいび: 2008/01/23
- めでぃあ: DVD
こんとんとしたせかいだからこそ『がんじー』をみたい。というか、てれびはもっとむかしのいいえいがをほうそうしろよとおもう(ぼくだけ?)


