[さいきんのえんとりもくじ] [かこのろぐ] [100のしつもん] [にちようしゃかいがく] [るーまん ふぉーらむ] [しゃかいがくてきこくち]
[MySpace]
[iddy]
[spysee]
[つうきんどくしょにん]
2009-01-09
■[list] おかいものしあん:はやかわ&かんのへん『じんめるしゃかいがくをまなぶにんのために』

さくねん10げっかんぎょう。
でてたのしりませんでした。
せかいしそうしゃ>もくじ
- はじめに
だいIぶ じんめるのしょうがいとぎょうせき
- じょ しょう にんげんじんめる ― にんとしそう(ちょう しげる)
- だいいちしょう 『しゃかいぶんかろん』 ― じんめるのしゃかいがくのしゅっぱつてん(おおがね たけし)
- だいにしょう 『れきしてつがくのしょもんだい』 ― こせいにんしきとしてのれきしにんしき(かわもとこうし)
- だいさんしょう 『かへいのてつがく』 ― こうかんきのうとしんらいのしょうちょうとしてのかへい(おかざわけんいちろう)
- だいよんしょう 『しゃかいがく』 ― しゃかいがくてきあいであのほうこ(すぎもと がく)
- だいごしょう 『しゃかいがくのこんぽんもんだい』 ― けいしきしゃかいがくをこえて(かんの ひとし)
- だいろくしょう 『うのてつがく』 ― じんめるしそうのえっせんす(はやかわようこう)
- だい7しょう じんめるのじょせいろん ― もうひとつのうのありほう(かわもとこうし)
- だい8しょう しゅうきょうろん ― あわせかがみとしてのしゅうきょうとしゃかい(はま ひでお)
だいIIぶ しゃかいがくしのなかのじんめる
- だい9しょう じんめるとまるくす ― きんだいしゃかいへのふたつのあぷろーち(はやかわようこう)
- だい10しょう じんめるとうぇーばー ― ともにたたかうらいばる(はやかわようこう)
- だい11しょう じんめるとでゅるけーむ ― しゃかいぶんかとこせいかへのまなざし(とくだ つよし)
- だい12しょう じんめるとぱーそんず ― こういりろんのてんかいと「けいしきしゃかいがく」ひはん(とくだ つよし)
- おわり しょう じんめるしゃかいがくのいぎ ― にいっせいきのじんめる(はやかわようこう)
2009-01-08
■[list] おかいものしあん:たてまつ『ふっさーる・せれくしょん』

そろそろ『いでーん』ほうやくぞくかんもでるらしい*ので、そのつゆはらいというところでしょうか。
- しゅっぱんしゃ/めーかー: へいぼんしゃ
- はつばいび: 2009/01/09
- めでぃあ: たんこうぼん
というか.... これ、「ふっかん」ではないのかなぁ???
ほんやでかくにんしてからのほうがよさそうですね。
■[motemeta][とく] とくかき:『ひょうげんとかいにゅう』『かがくてつがくのぼうけん』

かがくてつがくのぼうけん―さいえんすのもくてきとほうほうをさぐる (NHKぶっくす)
|
2009-01-07
■[motemeta] ゆるふわもてめたどくしょかい:だいさんかい

@こまば
Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)
- さくしゃ: Theodore Sider, John Hawthorne, Dean W. Zimmerman
- しゅっぱんしゃ/めーかー: Blackwell Pub
- はつばいび: 2007/12/10
- めでぃあ: ぺーぱーばっく
だいいちしょう「Abstract Entities」のこうはん、「ちゅうしょうてきたいしょうなんてないよ」はのぎろん。
1.2 There Are No Abstract Objects Cian Dorr
の p.40 くらいまで。
ちょしゃは、ちゅうしょうてきそんざいしゃをふくむぶんのろんりぶんせきのようなことをやりたいようなのだが、どくしゃにしてみると、すいろんにおけるどうしゅつがぶんせきてきかひぶんせきてきか、ということだけをとってみても、ろんてんせんしゅになってないのかどうかをはんだんするのがたいへんむずかしい。ごくろうなことである(どくしゃが)。
うえで「ろんりぶんせきのようなこと」とよんだのは、ちょしゃがこみだしでいうところの「paraphrase」なのだが、それが3ふし「かがくてきせつめいにおけるちゅうしょうてきたいしょう」ではつぎのようにつかわれる:
- Tを「an ordinary scientific theory incorporating certain mathematical axioms」だとしよう[p.38]。
Tのなかにはちゅうしょうてきたいしょうのそんざいにこみっとしているようにみえるぶんがふくまれるはずだが、それをおっかむのかみそりでけずって(T* にして)やる(→paraphrase):
- T* If it were the case that [mahematical axioms] and the concrete world were just as it actually is, it would be the case that T [p.38]
ちょしゃは、これは「exactly the same consequences for the concrete world as T itself」だというのだが、しかし「exactly the same」とはどういういみだろうか。いいかえると、この「ぱらふれーず」には、ちゅうしょうてきたいしょうへのそんざいろんてきこみっとめんとをかいひすることいがいのなにごとかも、いっしょに してしまっていないだろうか。
わたしには──しゃかいがくにめがくらんだわたしには、というべきかもしれないが──ここでもう、ぎろんは「しゃかいがくてき」なりょういきにあしをふみいれているようにおもわれる。つまり、これは(かがくてき)じっせんのきじゅつのもんだいをていきしているようにみえる。
■ほい
「ぶらっどれーのせすすむ」ぶんしょ。
2009-01-06
■[とく][motemeta] とくかき:まるてぃん『けいじじょうがくのげんりゅう』

そうじをしたらでてきたのでついでによんでみた。
「そんざいとしてのそんざい」というはっそう──そんざいとはなにか、どういつものとはなにか、というとい──がどのようにとうじょうしたのかについて、そくらてす〜ぷらとんとありすとてれすのきょうせつを かんてぃあんがしょうかいしますよ、というほん。
- さくしゃ: ごっとふりーと・まるてぃん, たなかかおっと
- しゅっぱんしゃ/めーかー: みすずしょぼう
- はつばいび: 1978/12
- めでぃあ: ?
- げんちょ: Gottfried Martin (1957) Einleitung in die allgemeine Metaphysik.
もくじ
- じょろん
- けいじじょうがくのこんぽんもんだいのさいしょのかくてい
- だい2しょう いであとしてのどういつもの [ぷらとん]
- いであろん [『ぱいどん』]
- いであとしてのどういつもの
- いであとはなにか [『ぱるめにです』]
- そんざいとはなにか [『そふぃすてす』]
- だい3しょう せんけんてききていとしてのどういつもの [ありすとてれす]
- げんごにおけるぜんてい [『けいじじょうがく』10-1]
- れきしじょうのぜんてい [『けいじじょうがく』10-2-1]
- せんけんてききていとしてのどういつもの [『けいじじょうがく』10-2-2]
- どういつものとそんざいへのとい [『けいじじょうがく』3-4]
- ありすとてれすにおけるけいじじょうがくのかだいとほうほう [『けいじじょうがく』7-1]
- けつろん
- けいじじょうがくのかのうせい
[ほんしょではやらないけれども、] どういつものとはなにかというもんだいのけいいを、そのきげんからげんだいにいたるまであとづけてみるのも、もちろんきょうみのあることではある。そのばあい、きょうでは、しぜんのどういつせいをささえるしぜんほうのりこそが、もっともじゅうようなどういつもののもんだいになっていることはあきらかであり、このじだいに、どういつものとはなにかとぐたいてきにとうことは、なにがまさにしぜんほうそくなのかをとうことにほかならないであろう。[p.5]
ぷらとん
kata [いっさいをつらぬいて]
「いっさいをつらぬいて」(73D[『めのん (いわなみぶんこ)』])という、このあたらしいようごほうで、ぷらとんは、ひとつのことが、おおくのものについてなりたつことをのべているのである。ぎりしゃごの kata というぜんちしは、ぞくかくしはいのばあい、まず、「うえからしたの〜へ」といういみをもち、ついで、「それがうえからしたの〜にいたるまで」のしゅしで、「いっさいの〜について」といういみにまでかくちょうされる。ぷらとんは、このぜんちしをつかって、ふへんてきなもののとくしゅなものにたいするかんけいをのべることにより、ふへんてきなものが、そのしたにある、いっさいのとくしゅなじれいについてなりたつことをいおうとするわけである。ぷらとんてきながいねんのけいせいは、このようなようごほうのてんでも、そくらてすのたいわをかいしゅうしていることがちゅうもくされる。[p.29-30]
いであのめいしてきひょうげんとけいようしてきひょうげん
これら[いであろんがさいしょにどうにゅうされる『ぱいどん』isbn:4003360222 の 65D-E、74A-C]ふたつのかしょから、いであろんにはもともと、ふたつのりょういきがあり、いっぽうはりんりてき・しんびてきな、たほうはろんりてき・すうがくてきなりょういきであったことがわかる。ぜんしゃには、せいぎやぜんやびのいであがぞくし、こうしゃには、おなじもの や おおきさ のいであがぞくしている。ここで、われわれは、あるげんごじょうのそういにきづくべきであり、
そのことは、いずれたいけいてきにせつめいするはずだが、ようするに、それはつぎのことである。どいつごでいであろんをのべようとすれば、たいていは、び や せいぎ や どういつせい や おおきさ についてかたることになり、こうしてつまり、めいしがたようされるであろう。これらのめいしのいみをよりめいかくにするためには、びのいであ、せいぎのいであ、どういつせいのいであ、おおきさのいであ というひょうげんもかんようされる。ぷらとんはしかし、いであをかたるのに、たいていはけいようしのめいしかたちをつかい、ほとんどつねに「びなるものそのもの」、「ぜんなるものそのもの」、「おなじものそのもの」でとうしている。しゅらいえるまっへるは、[ぎりしゃごからのほんやくにさいして]これらのやくごをたようするが、たしかにぷらとんほんらいのめいしによって、いであをひょうげんすることはまれなのである。[p.54-55]
みえるものとみえないもの
[p.62-64]
ousia [かちくのようなしょゆうぶつ]
[p.67]
あかやほこりのいであ
『ぱるめにです』からのいんよう。[130A-E]
- ではそくらてすよ、くんはたとえば、けやあかやほこりなどのように、まるでおかしな、とるにもたらぬほどつまらぬものについてもまようのかね。これらにもそれぞれ、われわれがてにとるものとはやはりちがった、とくべつないであがあるとしゅちょうすべきなのか、それともそうではないのだろうか、と。
- けっしてそうではなく──とそくらてすはいう。むしろそれらはみるとおりのものにすぎず、それらにまでいであがあるとかんがえることは、たしかに、まったうきみょうにすぎるだろう。もっとも、じじょうはすべてのものについておなじなのではないのか、とときにじしんがなくなることもある。だから、わたしはこのあたりまでくると、うっかりこんきょのないもうそうにおぼれこみそうなきがして、にげだすわけだ。こうして、さきにもわれわれが、たしかにそのいであはあるとみとめた、かのしょたいしょうにもどり、それらについてかんがえることだけでまんぞくする。
- そくらてすよ、くんはやはりまだわかい。
「くんはまだわかい」めそっど。いつかつかう。
■ちょさくべついであどうにゅうがいど: まるてぃんまとめ [p.76]
- 『ぱいどん』:
- りんりてき・しんびてきなもの。ろんりてき・すうがくてきなもの
- 『ぱるめにです』
- りんりてき・しんびてきなもの: び、せいぎ、ぜん
- ろんりてき・すうがくてきなもの: るいじせい、ひととた
- せいぶつてきなもの: にんげん、ひ、みず
- ???: け、ほこり、あか ????
- 『こっか』ISBN:4003360176 / ISBN:4003360184
- じんぞうもの: しんだい、つくえ、...
choris [わけて]
[p.78-81]
ありすとてれす
ありすとてれすのそんざいかみろん
──と(はいでがーが)いうのは こいつ↓のことですよ。>だれか
そんざいとしてのそんざい のがくという、けいじじょうがくのこのきていは、たしかに、ありすとてれすのどくじなしさくによって、そんざいのしょきょくめんが、つぎのようにかいそうかされることからのせいかであったといえる。
たとえば、たいようについてかんがえてみると、そのかんぜんなじつざいせいのなかには、さいげつのすいいやにんげんのせいかつとのみっせつなれんかんがふくまれている。たいようはひかとねつのげんであり、はるをもたらすのも、すべてのせいぶつをせいちょうさせ、はんえいさせるのもたいようである。だが、このようなじつざいせいをしゃしょうして、たいようのなかにじゅんすいなうんどうげんしょうだけをかんさつし、たいようをたんなるてんもんがくのたいしょうにすることもできる。[...] このようなちゅうしょうをさらにもういちだんかいてっていすることができる。たいようをたんに、うごくものや、きかがくてきなけいしょうによってきていされるもの、あるいはまた、かぞえうるものであるとみなすだけでなく、むしろこのさいごのちゅうしょうは、たいようがまさにそんざいするということだけをもんだいにするのである。このさいごのちゅうしょうによって、じつはいっさいのものが、たんにそんざいするものとしてこうさつされることになり、こうして、そもそも、そんざいとしてのそんざいとはなにをいみするのかという、ありすとてれすのけいじじょうがくにおけるほんらいのかだいがせいりつするわけである。
どうじにしかし、ありすとてれすは、けいじじょうがくが さいこうのそんざい のがくであるともきていしているが、かだいのうけとりかたのこうした にじゅうせい のこんていには、ぎりしゃにんにとってかなりいっぱんてきであった、つぎのようなかんがえかたがはたらいている。
わかりやすくせつめいしてみると、たとえば、う゛ぁいおりんのえんそうとはなんであるのかをしるためには、いだいなげいじゅつかのさいりょうのえんそうにふれるひつようがあるとするのがそのかんがえかたである。しょしんしゃのさいしょのれっすんも、あるいみでは、すでにえんそうであるといえなくもないが、たほうそれは、たしかに、まったくえんそうになっていないともいえる。われわれにもりょうかいできる、こうしたぎりしゃにんのかんがえかたによれば、いかなるぶんやについてもそこでのさいりょうのものだけがきじゅんになりうるのである。このかんがえかたを、そんざいとしてのそんざい へのといにてきようするなら、そこにとわれているのは、けっしてにんいのそんざいではなくて、むしろ、まさに さいこうのそんざい であるとかんがえるべきであり、そのかぎり、そんざいとしてのそんざいのがくは、おのずから、さいこうのそんざいについてのがくであることになる。けいじじょうがくは、そのにせんねんにわたるぜんかていをつうじて、つねにどうじにしんがくであり、きりすときょうのせかいでは、とくにしぜんしんがくとよばれるものであったが、こうしたにじゅうせいのきげんは、あきらかにありすとてれすじしんのうちによういされている。せんけんてつがくとしてのけいじじょうがくが、そんざいとしてのそんざいのがくからゆらいしたように、しぜんしんがくとしてのそれのげんりゅうは、たしかに、さいこうのそんざいについてのがくであったといえる。もちろん、しだいにじゅうてんは、ぜんしゃをかだいとすることにおかれるようになり、われわれにはとにかく、けいじじょうがくがただちにいっぱんけいじじょうがくをいみするわけで、とうぜんそれは、そんざいとしてのそんざいのがく、つまりは、せんけんてつがくであるよりほかはない。そのきわ、かんとのいみでのせんけんてつがくが、このかだいのかくていにせいとうにきよしていることはみとめるにしても、いっぱんけいじじょうがくをせんけんてつがくであるとかいするについては、けっしてそれを、かんとのいみだけにせいげんするわけではない。[p.167-170]
けいじじょうがくのあぽりあ
かつて、どのじだいにもとわれていたし、いまもやはりとわれており、しょうらいもつねにとわれるであろうが、どのじだいにもけっしてかんぜんにはとけないであろうもんだいは、まさにこの、そんざいとはなにか というといであり、さらにいえば、うーしあとはなにか とのといである。[Met.1028b2-4(7-1)]
[...]
ありすとてれすにおけるけいじじょうがくのほうほうにかんしては、うえけいのかしょに、けっきょくはそれが、かいけつふかのうなといであるようにかたられていることが、とくにちゅうもくされなければなるまい。そんざいとはなにか、というけいじじょうがくのきゅうきょくのといにたいして、かくていてきなこたえがほとんどきたいできないとする、ここでのみかたは、ぷらとんがすでに『そふぃすてす』においてのべているところでもある。われわれは、だれもが「ある」というごをつかっており、そのことでなにをいおうとするのかを、じゅうぶんよくしっているはずだとおもうのに、じっさいにそのいみをかたろうとすると、ただちに、はたとこんわくしてしまう。あぽりあとよばれる、けいじじょうがくのこうしたとくしつに、ありすとてれすもやはりこしつしていることがわかるのである。[p.165-170]
2009-01-05
■[motemeta] ゆるふわもてめた

Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)
- さくしゃ: Theodore Sider, John Hawthorne, Dean W. Zimmerman
- しゅっぱんしゃ/めーかー: Blackwell Pub
- はつばいび: 2007/12/10
- めでぃあ: ぺーぱーばっく
ぜんかいさんかできなかったいっしょうぜんはんろんぶんのれじゅめ。
およびいっしょうこうはんろんぶんをぱらぱらと。
あとこめんとらんでおしえていただいた PSEの「けいじじょうがく」こうもく(by う゛ぁん・いんう゛ぁーげん)さいほう。これはわかりやすくて よいまとめですね。
- http://plato.stanford.edu/entries/metaphysics/
- かじょうがきあかたれじゅめ:http://www.at-akada.org/blog/2008/12/post-278.html
ところで。「はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく?」えんとりをかいたときに、してきしようかとおもっ(たけどかかなかっ)たことだけど、「けいじじょうがくし」において、「いぎりすけいけんろん」のあつかいがびみょうなものになるのは──いんう゛ぁーげんのこのこうもくでも じっさいにそうであるように──あるいみとうぜんだとおもう。
たほう、「いぎりすけいけんろん」が、「けいじじょうがくのもんだいし」において、もんだいにおうじてとりあつかいをうけることもある、というのもまたとうぜんのこと。
「なにがあつかわれているのか/なにがとわれているのか」をいっこだにもせずに、「はいでがーはいぎりすけいけんろんをいっこだにしていない」
などとひょうするのは まったくおかしなことなのでありますよ。
■[Heidegger][memo] じゃん・ぐれーしゅこうえんほうやくにほん

めも。
いっさくねんらいにちしたときのこうえんがほうやくされております。http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/news/profgreisch.html
- じゃん・ぐれーしゅ「いったいなぜ〈なぜ〉なのか : はいでがーときりすときょうしんぴしゅぎ」、すぎむらやすひこわけ、きょうとだいがくしゅうきょうがくけんきゅうしつきよう、9-Dec-2008
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/68777 - じゃん・ぐれーしゅ「なしうるにんげんとしょうにん (さいにん) のりねん:ぽーる・りくーるをたたえて」、すぎむらやすひこわけ、きょうとだいがくぶんがくぶしゅうきょうがくけんきゅうしつきよう、9-Dec-2008
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/68778- すぎむらやすひこ「じゃん・ぐれーしゅしのふたつのこうえんについて」、きょうとだいがくぶんがくぶしゅうきょうがくけんきゅうしつきよう、9-Dec-2008
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/68779
- すぎむらやすひこ「じゃん・ぐれーしゅしのふたつのこうえんについて」、きょうとだいがくぶんがくぶしゅうきょうがくけんきゅうしつきよう、9-Dec-2008
じゃん・ぐれーしゅは、これのちょしゃのひと(やくしゃはおでしさんのようでございますな)。
『そんざいとじかん』こうぎ―とうごうてきかいしゃくのこころみ
- さくしゃ: じゃんぐれーしゅ, Jean Greisch, すぎむらやすひこ, いはらきだいすけ, まつもとなおき, かわぐちしげお, しげまつたけと, せきねさおり, つるしんいち
- しゅっぱんしゃ/めーかー: ほうせいだいがくしゅっぱんきょく
- はつばいび: 2007/09
- めでぃあ: たんこうぼん
『そんざいとじかん』については、
- 「かかれた」ぶぶんについては「ふらいぶるく〜まーるぶるくじだい」(27ねんくらいまで)のこうぎが、
- 「かかれなかった」ぶぶんについては 「まーるぶるくじだい」(28ねん〜35ねんくらいまで)のこうぎが、
それぞれりかいにしする ──というのは はいでがーよみのじょうしきにぞくすることだとおもうのですが、
ぐれーしゅのこのほんは、『そんざいとじかん』のかくせつについて、かんれんするふらいぶるく〜まーるぶるくじだい(28ねんまで)のこうぎをていねいにばらんすよくさんしょう・しょうかいしながらかいせつをすすめていて、たいへんべんきょうになるよいほんだとおもいます。
わけもへいいでよみやすいし、かんまつのじゅつごにちどくほとけたいしょうひょうも たいへんべんり。おすすめ。
ところで、このほん↑にしても、(ちょっとふるいけど)げるう゛ぇんの『はいでっがー『そんざいとじかん』ちゅうかい (ちくまがくげいぶんこ)』にしても、こういうほんをかくのがどいつにんではない、というのはなかなかおもむきふかいことでございますな(しらないだけで──ほうやくされてないだけで──そんざいするのかもしれない*けど)。
2008-12-31 はいでがーについてもうひとこといっっておくか。
■[res][Heidegger] はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく2(1/3)

せんぽうではすでにそうかつせんげんみたいななにかがでておりますが(びくしょう)。
- そうりゅうせんせい:このぶろぐではいでがーについてかくとろくなことがない
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20081225/p1
「なぜなにごともないのではなく、むしろろくでもないことがあるのか」 とかについてかんがえてみたりするといいんじゃないですかね(だれかが
まぁそれはそれといたしまして。このえんとりでは、わたしのまええんとりにたいして こめんとらんにてそうりゅうせんせいにいただいたこめんとのいくつかに おこたえしますよ。
- そうりゅうせんせい:はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20081115/p1 - さかい : はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく?
http://d.hatena.ne.jp/contractio/20081221#p1
【こめんと1】deepbluedragon 2008/12/22 00:20
[...] げんみつなてつがくしのようごとしてはたしかにもんだいがありますが、でりだでさえひていしんがくをとくしゅないみでつかっているのに、わたしがそうしてはいけないというのはきびしすぎるとおもいます。あうぐすてぃぬすとしんぷらとんしゅぎとのびみょうなかんけいとか、ちゅうせいてつがくにおけるていりゅうとしてのしんぷらとんしゅぎとか、そのあたりをこうりょすればむちゃくちゃというほどではないとおもいます。
【こめんと2】deepbluedragon 2008/12/22 16:24
contractio さんのしてきにはただしいところ(はいでがーはかがくとぎじゅつのさいをむししているなんてたしかにありえない)もありますが、こめんとでのはんのうをみるとどうもどうべんめいしてもどろぬまそうなのでやめてきます。あやまりのしてきをするのはじゆうですが(ふもうそうなので)たぶんもうおうとうしません。どくしゃでかってにはんだんしてください。
はいでがーにははんきそづけしゅぎのそくめんもあるんじゃないのか とおもいますが、まるではいでがーがあたらしいけいじじょうがく(あたらしくそうあんされた「そんざいろんてきかてごりー」)をつくりあげるのがもくてきであったかのようないけんにはついていけません。わたしがげんきゅうしてもないきそそんざいろんのはなしをだいじそうにしながらこめんとではきそさぎょうにすぎないとはなしをずらす し、はいでがーをぶんみゃくしゅぎしゃであるかのようにかいしゃくする(いっぱんてきとはおもえないかいしゃくだ)とか、じかんにかんするはなしのそくめんはむしする とか、もうどうでもいいです。はいでがーをえすのめそどろじすとにしたいならかってにそうしてください。
【こめんと3】deepbluedragon 2008/12/23 02:42
なんどかみなおしてやっときづいたけど、「12.(げんまえの)けいじじょうがくとしてのひていしんがく」のぶぶんってべつにわたしへのはんろんになってないじゃん。「かてごりーろんとひていしんがくは、おなじあなのかくである」ことはわたしのぎろんでものべられていることだし。はんろんだとおもいこんでよんでいたからなかなかきづかなかった。さきにゅうみっておそろしい!かてごりーろんとひていしんがくがおなじあなのかくであるからさいしゅうてきにけいじじょうがくひはんはふもうにおちいる っていってるんじゃないのかじぶんって。そうおもってよむと、『「ひていしんがく」てきしゅちょうを「けいじじょうがく」のめいのしたにおこなう』ってのもわたしがろんじているはなしとおなじだし。ぜんはんはひていしんがくというこしょうのもんだいいがいはべつにはんろんになっていないとやっとわかった。
こっちのいいたいこともさっぱりつたわっていなかったんじゃん、おいおい♪
これらにたいし、3(+1)つのえんとりでおこたえします:
- 2-1 ひていしんがくについて
[←いまここ]
- 2-2 はいでがーのけいじじょうがくきについて
- 2-3 どれいふぁす-かどわきかいしゃくについて
■[res][Heidegger] はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく2(2/3)

そうりゅうせんせいへのおへんじ、つづきです。
- 2-1 ひていしんがくについて
- 2-2 はいでがーのけいじじょうがくきについて [←ここ]
- 2-3 どれいふぁす-かどわきかいしゃくについて
このえんとりでは、このあたりについて:
【こめんと2】
- まるではいでがーがあたらしいけいじじょうがく(あたらしくそうあんされた「そんざいろんてきかてごりー」)をつくりあげるのがもくてきであったかのようないけんにはついていけません。
- わたしがげんきゅうしてもないきそそんざいろんのはなしをだいじそうにしながらこめんとではきそさぎょうにすぎないとはなしをずらす し、
2-2 はいでがーのけいじじょうがくきについて
■[res][Heidegger] はいでがーしゅうい

- 2-1 ひていしんがくについて
- 2-2 はいでがーのけいじじょうがくきについて
- 2-3 どれいふぁす-かどわきかいしゃくについて
- はいでがーしゅうい [←ここ]
せんぽうのこめんとらんでおもしろいことをいっっているにんがいるのでさらしあげておきますよ。
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20081225/p1#c
deepbluedragon 2008/12/25 15:26
のちからあれ?とおもって「いかなるけいじじょうがくからものがれることはできない」にかきかえてみたのだが、それでもどうもしっくりこない。なんか「すくなくともひとつからのがれることができない」なのか「すべてからのがれることができない」なのかいまいちわかりにくいきがしてきた。ここではもちろんこうしゃなんてばかなことはなくてぜんしゃをいとしてます。あぁ、なんかこれってなんかけいしきいみろんのぎろんでみたことあるきがする。でも、かいせつしょけるほどけいしきいみろんにわたしはくわしくないです、ざんねん!
だから....。
じぶんのいいたいことがなんなのか、じぶんでもよくわかってないだけじゃんよ。
2008-12-21 そろそろはいでがーについてひとこといっっておくか。
■[res] はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく?

しゅっぱんじゅんびちゅうのほん、ついに「あとはほぼ あとがき だけ」というところまできてたんだけど、たった4000じかくのにひとがつかかっちゃったよ。
おかげでこのかんほとんどなにもてについてないじょうたい。
ぜんほういてきにあれこれとどこおっていてもうどうしようもない。いろんなみなさま ほんとにごめんなさい。
というわけで、そろそろあれこれさいかいしようとおもうんですが、まずはちょっとりはびりもかねて、そうりゅうせんせいのこのえんとりを disってみようかな、とおもいます:
- はいでがーにおけるろんりがくとけいじじょうがく http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20081115/p1
なぜこのえんとりをとりあげようとおもったかというと、そうりゅうせんせいのぶろぐのどくしゃは にんちかがくにかんしんのあるにんたちだろうから。
にんちかがくにかんしんがあるにんなら そのきょうようりすとにはいでがーもくわえておいてそこなはないはず(だとわたしはおもう*ん)だけど、あのえんとりをみたら「はいでがーよまなくていいや」とおもってしまうにんのほうがおおいだろう ──とおもってくらいきもちになってしまったのがいってん。もうひとつは、こうしたしかたではいでがーをりかいしているそうりゅうせんせいが、「わたしははいでがーのかちをひていしていません」というとき、その「かち」っていったいなになの?というのをきいてみたいとおもったから。でした。
さて。
そうりゅうせんせいのえんとりは、にーちぇこうぎのいっせつをとってきて なんかすきにしゃべってみました、というかんじのものなので、それをけんとうしようとするなら ふつうはてくすとにそくしてかいしゃくのだとうせいをけんとうするところでしょう。しかし、あれこれざったなとぴっくがちりばめたこのえんとり、ざっとよむと それらがつながってすとーりーをつくっているようによめるかもしれないけど、とぴっくをひとつずつみていくと どれもあれなことになっております。なのでこれは「てくすとかいしゃく-いぜん」のものだとはんだんして、いかではにーちぇこうぎも、はいでがーのそのほかのてくすとも(ほぼ)さんしょうしてません。
とはいえ、これからはいでがーについてわたしがのべることにたいして、そうりゅうせんせいにはいろんがあるかもしれません。そのときには、それをおしえていただければ、そのじてんでてくすとにたちかえってぎろんをやりなおさせていただきます。
- はいでがーのけいじじょうがくひはんは、ちゅうせいのがくもんぶんるいをむししている。
- はいでがーは、かがくとぎじゅつのさいをむししている。
まえおきはいじょう。こんてんつはつぎのとおり:




