2008ねん05がつ06にち(ひ) とうきょうすてーしょんほてるときゅうまるびるにこころときめかす。おうごんしゅうかんのかんげき。
べらんだのかーてんをひらけはなってみると、ひさしぶりのあおいあおいそら。こんなにうれしいことはない。せいてんのさまをめのあたりにし、にわかにはりきり、どとうのいきおいでいつものかじもろもろとあわせて、ふだんはさぼってしまうるいのかじもろもろをもかたづけてゆく。さいごに、えいっとふとんをほして、すっきり。れんきゅうちゅうにふとんがほせてよかったっ、これでこんねんのおうごんしゅうかんをなんのくいもなくしめくくることができるっと、ていじげんすぎるかんびでこころがみたされたところで、じこくはまだごぜん8じまえ。よいてんきなので、かばんにほんをなんさつかづめこんでさんぽにくりだすことにする。しょういちじかんほどぐるっとあるいたところで、じたくちかくのこーひーしょっぷでひとやすみ。よみさしのままほうちされていたみなみかわじゅんの『ふうぞくとうか』をおしまいまでいっきによむ。まだまだじかんはたっぷり、れんきゅうならではのこのゆったりとしたじかんがいいなあと、ふつふつとうれしい。
せんじつの「そとし」でふらりとかった、えとうあつし・はすじつしげひこ『おーるど・ふぁっしょん ふつうのかいわ とうきょうすてーしょんほてるにて』(ちゅうこうぶんこ、1988ねん12がつ/おやほんは1985ねん10げっかん)をぱらぱらっとよんでゆく。こういうほんはこまぎれじかんにくるのがぴったりで、こんなかんじのおもいもしなかったほんをなんさつかさくさくっとそのばののりでにゅうしゅするのがふるほんかいのだいごみだなあと「そとし」のよききおくにひたる。このれんきゅうは「そとし」にもいけたことだし、ほんとうにもうなんのくいもない。
このほんは、とうきょうすてーしょんほてるのしゃしんがなんまいもそうにゅうされているというつくりだけでも、てもとにおいておきたいきにさせられる。
(もういっぱい、こーひーをのもうではないか、ということになり、りょうし、いったんほてるのそとにでて、つとめかえりのさらりーまんでにぎわうぐりるにいる。ほぼまんいんのてんないは、なまびーるをのみつつだんしょうするひとびとのねっきであふれかえり、ぐわーんとてんないぜんたいがゆらぐがごとく。そのけんそうのなか、かいろうじょうにしつらえられたちゅうにかいちゅうおうのせきに。にかいからはいっかいのけんそうがよくみえる。
てーぶるのうえには、らんぷのようにみえるこふうなでんとう。みずをはこんできたうぇいたーが、かさのしたにつりさげられたわをひっぱると、でんとうがともる。なるほど、こういうしかけなのか、とかんしんすることしきり。りょうし、あらためててんないをみわたす……)
えとう いいねぇー。ここはいいですねぇー。
はすじつ しょうわじゅうねんだいのかんじですね、なんか。
えとう あしたしなじへんがはじまる、というようなね。(わらい)しょうわじゅうにねんしちがつむいかのばんですよ、これでは。
というようなくだりがうれしい。2ねんまえのはるさき、かいそうこうじのちょくぜんにあわてて、すてーしょんほてるのれすとらんへぶるごーにゅのあかわいんをのみにでかけたにちのことをおもいだして、そのおりにけんぶつしたたてもののさいぶのきおくが、たいだんしゅうのあちらこちらでかんきされる。あのときのけいけんはかくべつであったとあらためておもう。
とうきょうすてーしょんほてるは、2ねんまえの1がつ、「もりまりかいどうをゆく(http://blog.livedoor.jp/chiwami403/)」のちわみさんがにちようびのちゅうしょくにさそってくださったのがあしをふみいれたさいしょで、あんまりうれしかったので「5ねんかんのきゅうぎょう」のまえにもういちどいきたくなって、3がつちゅうじゅん、あらたにばんさんかいをかんこうしたのだった。まどからみえるえきのほーむには、103けい(だったかな)さいしゅうびゆえたいぐんしゅうがつどっていた。とうきょうすてーしょんほてるといえば、しょうわ40ねん7がつにといたやすじとうちだひゃっけんがたいだんをしたばしょで、りょうしゃはせんぜんの「すゐーと」いらいの20ねんよねんぶりのたいめんをした、というわけで、かずおおい「とうきょうといためいしょ」のなかでももっともみわくてきなめいしょのひとつなのだった(とうのたいだんは「とうきょうしんぶん」しょうわ40ねん9がつ17にちから23にちまで「ひゃっきそのしんりょうだんぎ」として7かいれんさいされ、のちしょうわ44ねん11がつにみかさしょぼうよりかんこうの『ざんゆめざんまい』にしゅうろくされた。おうぶんしゃぶんこの『ざんゆめざんまい・にちぼつへいもん』もわがしょかの「すゐーと」こーなーにならんでいる)。とうじちわみさんがさそってくださったのは、もちろんそのことがねんとうにあってのこと。
『ひゃっきそのしゃしんちょう』(おうぶんしゃ、1984ねん6がつ)より、まるのうちのゆうせんびる6かいのろくしさんごうしつ(「ゆめしやまぼう」)におけるまごのてをてにするうちだひゃっけん。めいじせいかのせんでんぶで PR し「すゐーと」のへんしゅうにじゅうじしていたといたやすじがゆうせんびるにげんこうをとりにおとずれたとうじのひゃっけんのふうぼうとしつむしつのしりょうとして。
ゆめしやまぼうはしちかいのにじゅうごたたみしきとちがつてそうがいのみはらしはない。……わたしはしめきつたへやのなかで、いえからもつてきたへんかおりをたき、となりのまるびるのはなやにとくやくしてとどけさせるはなをながめ、たけのぼうのさきにうしほねだかうまほねだかのちいさなてがついてゐるあさしゅうとめのてを、けいのからのかんからつつこんでせなかをぼりぼりかいた。(「ゆめしやまさんしょう」- 『きくのあめ』しょしゅう)
すうねんらい、「にっぽんゆうせんのうちだひゃっけん」にこころときめかしているうちに、おのずとせんぜんのまるのうちかいわいあれこれへとおもいがおよんでいる。せんぜんのまるのうちをほうふつとさせるぶんけんにであうたびにおおよろこびしていて、さいきんでは、すぎもりきゅうえい『たいせいつばささんかいぜんご』ちくまぶんこ(asin:4480424075)における、まるびるのちゅうおうこうろんしゃびょうしゃがうれしかった。まるびるぶんけんといえば、なんとはなしにてにとった、かじやまきゆき『るぽせんごじゅうだん』いわなみげんだいぶんこ(asin:4006021240)しょしゅうの「まるびるものがたり」(しょしゅつ:「ぶんげいしゅんじゅう」しょうわ33ねん5がつ)にたいへんこころがすいんぐしたものだった(とどうじに、すっかりかじやまきゆきのふぁんに)。
たかだほ『ゆうかんざっきちょう』(かいぞうしゃ、しょうわ9ねん9がつ)。なんてちゃーみんぐ! な、たかだほのもだんとしぶんけんのひょうしにえがかれたまるびる。ちかいには、もりながせいか、せんひきや、めいじやとともにめいじせいかのばいてんもあった(たいしょう15ねんかいてん)。
きゅうきょくのまるびるぶんけん、『まるびるのせかい』(かのうしょぼう、しょうわ60ねん12がつ)。あるにち、ふらりとあしをふみいれたきんととぶんこではじめてそんざいをしって、きゃー! とそくぎょうかってしまったほん。こんなつぼなほんがあったなんて! というようなほんになんどもであうみせ、それがきんととぶんこ。じょうきのかじやまきゆきの「まるびるものがたり」は「さらりーまんのこきょう」というたいとるでしっかりしゅうろくされているし、まるびるのちゅうおうこうろんしゃについても、もとしゃいんによる「ちゅうおうこうろんとまるびる」なるぶんしょうがある。
おづやすじろう『そうしゅん』(しょうわ31ねん1がつこうかい・しょうちくおおふな)より、とうきょうえきからまるびるをのぞむ。
『そうしゅん』でいけぶりょうがつとめるかいしゃはまるびるの7かいにじむしつがあった。そのまどからえきまえひろばをみおろしたところ。
おづやすじろう『ひがんはな』(しょうわ33ねん9がつこうかい・しょうちくおおふな)でもぼうとうに『そうしゅん』とにたしょっと。かじやまきゆきの「まるびるものがたり」とどうねんのえいぞう。
『ひがんはな』のはじまりは、とうきょうすてーしょんほてるにおける、なかむらのぶろうのれいじょうのけっこんひろうえん。
えとうあつし・はすじつしげひこ『おーるど・ふぁっしょん』における、うえけいの「しょくごのこーひー(ぐりるで)」のすぐあとのやりとりは、えとうあつしが《しゃべりながら、ついとたっていっかいをみおろすてすりのかたわらに。たのしそうにいっかいのけんそうをながめながら……》、「おづさんは、こういうしょっとはとらないんですか」といい、「そうですね、ふかんはさけておられますね、おづさんは」とはすじつがおうじると、「(わらいながら)みおろしちゃいけなんですね」。ここをよんでまっさきにおもいだしたおづえいがとして、いじょう、しつこくはりつけてしまったしだい。
……とかなんとか、せんぜんまるのうちぶんけんとして、『おーるど・ふぁっしょん』もわがしょかにならべるとしようとおもいつつ、ずんずんよみすすめて、えとうあつしがに〇ごごうしつで「ぶらんでーをのみながら」、『かがみこのいえ』について「おしいなあとおもって、そのことをあるところにそっちょくにかいた」おりにみしまゆきおからとどいたぶあついてがみ、えとうあつしが「しょうせつかがひひょうかにあてたてがみとして、けうなものだとおもっている」というそのてがみと、「かけだしのわかいひひょうか」であるところのえとうあつしがかいた『かがみこのいえ』についてのぶんしょうのしょうさいについてごじつかくにんせねばと、てちょうにめもしたところで、すくっとたちあがって、いったんきたく。まだしょうごまでだいぶじかんがある。はやおきするとついたちがながい。
□
ゆうしょくのち、きのうのかぶきざのおみやげ、うらわはなみの「しらさぎたから」をつまみつつ、ゆっくりとおちゃをのむ。「しらさぎたから」がすっかりきにいってしまったので、らいげつもこれをかうのをたのしみにかぶきざへでかけようおもう。きのうのかぶきざではひるのぶ、えびくらの『とかいや』『おおものうら』、さんつごろうの『きせん』、だんじゅうろうの『はたずいちょうべえ』をけんぶつしたのだったけれども、さんつごろうの『きせん』にとうぜんとなったいがいは、たんたんとながめるのにしゅうししてしまい、ざんねんなことであった。といいつつも、まいとしの「だんきくまつり」のおうごんしゅうかんのかぶきざいきはちょっとひにちじょうで、おしょうがつがもういちどやってきたきぶんがたのしい。こうなったらこんねんはおしょうがつみたいにしばいけんぶつのかえりは、とうきょうかいかんのかふぇてらすによりみちしてのんびりほんをよむとするかなと、まえまえからけいかくしていたのだけれど、いざとうじつになってみると、くたびれてそうそうにきたくすることになってしまって、これまたざんねんなことであった。とうきょうすてーしょんほてるは「きゅうぎょうちゅう」だけれど、とうきょうかいかんの「おーるど・ふぁっしょん」なかふぇてらすはけんざい。ちかぢか、ひさしぶりにいくのをたのしみに、れんきゅうあけをむかえるとしよう。
おうごんしゅうかんはきゅうじつがふえるので、かんげきのよていをここにとうにゅうすることで、ほかのきゅうじつへのさしさわりがなくなるのが、まいとしうれしい。けんぽうきねんびにはとうきょうたからづかげきじょうへでかけた。ここ2ねんほど、かぶきはじゅんれいふう(とじしょうするにはあまりにふまじめなかんげきたいど)にひとりでかんげき、たからづかはははうえとだいはしゃぎではせさんじて、そのかえりはぎんざかまるのうちでしょっぴんぐときっさないししょくじ、というふうになっている(なんて、じつはひとりでもちょくちょくいっているけれど。たからづかのないじんせいなんて!)。とうきょうたからづかげきじょうにでかけるようになって、ろっぱぜんせいきのごろのひびやかいわいにおもいをはせながらげきじょうへゆく、というたのしみをしった。
ひぞうの、「くらぶはみがき」しーるでふういんのあとがのこる(たちよみぼうし?)、ゆうらくざぷろぐらむ(しょうわじゅうごねんはちがつ)、《よしもとばくしょうじつえんたいかい きんごろうげきだんだいにかいこうえん》。しゅつえんしゃはやなぎやきんごろう、とくがわゆめこえ、かわだよしお、はやしだじゅうろう、あしのやがんたま。えんもくは、ぜんいんそうしゅつえんで『せがれはいきている』、かわだよしお・あしのやがんたま・はやしだじゅうろうのとりおで『はもにかこぞう』、ゆめこえ・かわだよしお・きんごろうのとりおで『ひこひだりとふたりたすけ』、やなぎやきんごろうしゅえんで『きんろうじょせい』。きくたかずおさくえんしゅつの『ひこひだりとふたりたすけ』がもうれつにみたい!
じょうきのゆうらくざぷろぐらむは、とうじのゆうらくちょう・ぎんざかいわいのまちなみをほうふつとさせるこうこくをながめるだけでもむねがおどる。みぎしたに「たつたの」のこうこく! たからづかかんげきのにちは、しょうのじゅんさんのまねをして「たつたの」でゆうしょくとなることがおおい。たつたののなごやかさよ、えいえんなれ! とこころからおもう。しょうのじゅんさんがまいかいたのしみにしていたというげきじょうないのばいてんでうっていた「よーぐるとふぁんしー」280えんはいつのまにかなくなってしまったようだけれど。









