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にち よう ちょう

2008ねん05がつ10にち(つち) みなみかわじゅんの『はくちょう』をよんで、もだんとしのだんすほーるをおもう。

れんきゅうがあけて、いつものあさのきっさてんでこーひーかたてに、まっさきによんだほんは、みなみかわじゅんの『はくちょう』(きょうのもんだいしゃ、しょうわ17ねん)。



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みなみかわじゅん『はくちょう』しんえいぶんがくせんしゅう3(きょうのもんだいしゃ、しょうわ17ねん11がつ)。そうてい:すずきしんたろうのぐちふじおとこの『たそがれうんが』(しょうわ18ねん3げっかん)がいっっているということで、まえまえからきょうみしんしんのしりーず「しんえいぶんがくせんしゅう」。『はくちょう』も『たそがれうんが』もすずきしんたろうによるひょうしのえはおなじ。のぐちふじおとこのじさくねんぷ(『ぶんがくとそのしゅうへん』ちくましょぼう・1982ねん8がつ)のしょうわ17ねんのこうに、《あき、きょうのもんだいしゃで「しんえいぶんがくせんしゅう」がきかくされ、ひびやのまつもとろうでおこなわれたちょしゃのかおあわせかいで、わだよしえをしる、わだはせんしゅうのきかくものであった》とある。わだよしえのきかくであるということになるほどとふかくかんじいっってしまうせんじかのしりーず。

にほんぶんまなのあたらしいほうこうをしじすべきみんぞくてきでんとうをいかしたきりょくとうつくしさとじゅんいとをもったさくひんのけっさくしゅうを、しんせだいのせいねんだんじょにおくるべくげんぶんだんにとくいなせいかくをほうっつしんえいさっかのきょうりょくをもとめて「しんえいぶんがくせんしゅう」をけいぞくかんこういたします。/ぜんへんかきおろしちょうへんをしゅとしていずれもきんらいのりきさくをあめてにほんぶんまなにしんせだいのいぶきをあたえんとしたやしんてきけっさくばかりです。/こんごまいつきいっさつかんこう。じょうきじゅうごさついごはけっていしだいはっぴょうします。(『はくちょう』のかんまつにある「しんえいぶんがくせんしゅう」こうこくぶんより)

「しんえいぶんがくせんしゅう」のかんこうかきはばんごうじゅんに、のむらたかしわれ『りょじょうのはな』(1)、なかしまあつし『みなみしまたん』(2)、みなみかわじゅん『はくちょう』(3)、いのうえゆういちろう『がんのやど』(4)、のぐちふじおとこ『たそがれうんが』(5)、はせたけし『しんせいざ』(6)、ふくださだきち『かぜねむる』(7)、たかぎすぐる『ふくしゅうたん』(8)、まきやぜんさん『しんせい』(9)、わだよしえ『りしゅうき』(10)、たなかえいひかり『はじていそうて』(11)、しらかわあく『やまやまらくき』(12)。かんまつのこうこくでよこくされているものの、みかんとなった(とおもわれる)さっかは、みやうちかんや、まきのきちせい、まるおかめい、おださくゆきじょ



としあけそうそう、ごたんだのこしょてんでふかいかんがえもなく200えんだしと『せいかつのせっけい』をかってよんで(id:foujita:20080125)、2がつは『てのひらのせい』と『にんぎょうのざ』をよみ(id:foujita:20080227)、3がつはきりゅうへでかけ(id:foujita:20080320)、そのゆうらんにあたってじぜんにこうにゅうしていた『ふうぞくとうか』は、よみさしのままだったのをついせんじつ、よんだ(おおもりびょうしゃがとってもよかった)。むねがしめつけられるまでにみなみかわじゅんにむちゅう! …というのではけっしてないのだけれど、せんぜんしょうわの「ふうぞくしょうせつ」ならではちょっとしたしゃれっ気が、どうじだいのもだーんなにほんえいがをみているかのようで、なんとなくはなれがたいたのしみなのだった。さらに、しょうせつにえがかれたとしふうぞくにかんきされるようにして、いわゆる「もだんとしとうきょう」をいろどるあれこれに、あらたにないしあらためてめをみひらかされるというのにいつもむねおどる。いもづるしきにほかのほんへとつながっていくのがまいかいうれしい。


みなみかわじゅんの『はくちょう』は、しょうわ15ねん10がつをもってへいさにおいこまれただんす・ほーるのだんさーがひろいんで、このはいけいはまさしく、のぐちふじおとこの『くらいよるのわたし』にえがかれていたじだいなのだなあと、しょっぱなからのぐちふじおとこをおもいだして、うれしくってたまらない(きたくごのよる、まっさきによみかえした)。すとーりーはややじきょくにそったもので、いままでのせいかつをりせっとして、まっすぐにひびをちゃくじつにいきていこうとするひろいんのさまをえがいていて、よみここちはたいへんきもちがよい。ひろいんがぶじにたいぴすととしてしゅうしょくするがらすかいしゃは、かまたからこうがいでんしゃでさんえきめだったり、せんぱいのゆうのうたいぴすとがすんでいるおおもりのびょうしゃ、だんす・ほーるへいさのあとのききょうのおりにたちよるおおさかがちらりとぶたいになったり、とうちでけしょうひんがいしゃ(なかやまたいようどう?)につとめるもとだんさー(ひろいんのはんとなる)のあぱーとくらしのようすなどなど、いつものとおり、ふうぞくしょうせつならではのでぃてーるびょうしゃもさーびすたっぷり。ぜんたいてきには、たくみにじきょくへのはいりょをちりばめつつも、じしんの「ふうぞくしょうせつ」をかきあげているというのがきょうみぶかかった(ことしはつめてよんだ『せいかつのせっけい』とどうように)。のぐちふじおとこはさいごのしょうせつつどとなった、『しあわせ』(こうだんしゃ、1990ねん11がつ)のあとがきで、《せんじちゅうにあさみふちしからのぶんげいじひょうで、じせいにじゅんのうせぬひこくみんとみなされてもいたしかたのない「さいごのふうぞくさっか」とひょうされたたいけんをもつわたしは、せんご、ふうぞくしょうせつとはなんだろうかとじもんした》としるしている。……などと、「いもづるしき」というのではなしに、いつもけっきょくはのぐちふじおとこへともどってゆくのだった。のぐちふじおとこのいう「ふうぞくしょうせつ」をかんがえると、おのずととくだあきこえながいかふうがそびえたつこととなり、のぐちふじおとこのとびきりのめいちょをあらためてくることになったりもする。ここすうねん、わたしのほんよみはいつものぐちふじおとこをちゅうしんにまわっている。



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はまたにひろし《とうきょうあかさか ふろりだだんすほーる かがみをみるだんさー》1935ねん。『もだんとうきょうきょうしきょく ずろく』(とうきょうとしゃしんびじゅつかん、1993ねん)より。



みなみかわじゅんの『はくちょう』をよんで、にわかにせんぜんしょうわのだんすぶーむぶんけんがよみたくなり、まっさきにてにとったのは、せがわまさひさ『 はくらいおんがくげいのうし―じゃずでおどって』せいりゅうしゅっぱん(asin:4860291395)。かねてからのあいどくしょ、わだひろふみ『てくすとのもだんとし』かぜばいしゃ(asin:4833131161)の「だんすほーる」のこうには、「あさひかめら」1937ねん3がつごうにけいさいされたというとくだあきこえのしゃしんがあって、このしゃしんがまえまえからなんだかすきだ。



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たまがわいちろう『CMまんだんし ふ おうべいCMのぞき』(ほししょぼう、しょうわ38ねん10がつ)。さしえ:わだぎさん・にしかわたつび。おなじく「だんすほーるぶんけん」としておもいだしたほん。

 とうきょうのだんす・ほーるがめだちはじめたのは、しょうわさんねんごろであったろう。おおさかでさきにはやりだしていたのだが、そのすじのだんあつをうけただんさーが、たいきょとうじょうしたものだという。

 ひとごろはしじゅうところもだんす・ほーるができたが、いろいろのへいがいがおこり、しょうわごねんごろには、はちところにせいりされ、けんぜんな? はったつをとげたのである。

 それらが、しょうわじゅうごねんじゅうがつさんじゅうついたち、ひじょうじのゆえをもって、ぜんだんす・ほーるがへいさされ、だんさーにせんめいがかんぜんしつぎょうになったまでのじゅうねんかんがはなであったのだ。

 どんなだんす・ほーるがしょうわろくねんごろあったか。


(ふろりだ)あかさかためいけにあった。よそがさんぷんかんにじゅうせんのときここだけはにじゅうごせんとった。きくちひろししなどのかおがよくみえたところ。たんご・ばんどなどもいちばんさきにいれた。よそはたんごとなると、れこーどであったじだいである。

(にちべい)やえすぐちのちよだしんたくびるのごかいにあった。だんさーがじょがくせいむーどなのでひょうばんであった。

(ゆにおん)にんぎょうちょうにあり、つうしょう「にんぎょうちょう」。げんざいえいがかんのあるびる。かぶやさんなどがわふくでぞろりとしたかっこうでおどっていた。たいしょうじゅうさんねんまつ、あさくさじゅうにかいかのまくつをたまのいにおっ払たもとけいしそうかんまるやまつるきちしがびあたるのようなふじんをともなってあらわれ、じぶんはらっこのえりのついたがいとうをきたままいすにすわり、ふじんがじぶんのはんぶんもないようなやせかたちのきょうしとおどるのをけんぶつしていた。

(くにはな)はっちょうぼりのなかしまというごふくやのびるのなんかいかにあった。ここのなんばー・わんでいとかわというだんさーがかぶをやり、おおもうけをしてじゃーなりずむにさわがれたりした。ぜんたいてきにしたまちじょうしょのあるほーるであった。

(ぱるなす)にほんばしよこやままちのこまつびるというびるのなかにあり、だんさーはにじゅうにんくらい。いちばんちいさなほーるであった。これが、のちのていとざだんす・ほーるのぜんしん。

(くだん)くだんのなんとかというびるのなかにあり、がくせいのきゃくがおおく、ばんどのれんちゅうがだんさーとおどったりして、だらしのないほーるであった。これがのちのおおたやびるのしんばしだんす・ほーる。

(いいだばし)いいだばしのしなりょうりてんのさんかいにあり、ちけっともよるけんがじゅうごせんというやすさでにんきがあった。これがのちのいずみはしだんす・ほーる。きょうしのたまきまこときちしがひょうばんであった。とくだあきこえしがせっせととおっていて、てのこんだすてっぷをやっていたが、あんまりじょうずではなかった。

(しぷれー)みはらはしのなんとかというそうこのあるびるのかいじょうにあり、のちのきょうばしこうさてんちかくのぎんざだんす・ほーるのぜんしん。あくたがわめでよにでるまえのいしかわたちさんしが、ここでだんすきょうしをしていたことはしるひとぞしる……。


てなもんであった。

 ざっしのしんぶんこうこく、しかも「しんせいねん」のごとき、せんたんをいくもだんなざっしのこうこくのあいであや、ひんとをえるには、じだいのきゃっこうをあびつつあるだんす・ほーるにいかなくてはだめだ、とわたしはおもったのである。


たまがわいちろう『CMまんだんし ふ おうべいCMのぞき』 - 「だんすほーるかよい」】 

たまがわいちろうは、しょうわ3ねん3がつ、とうきょうがいこくごがっこうふつごぶそつぎょう、はくすいしゃにつとめるがごがつでぎょうむしゅくしょうのあおりをうけしっしょくし、11つきはじめにひろふみかんこうこくぶにいり、おもにしんぶんこうこくをさくせい。しょうわ8ねん3がつたいしゃのち、いとうやせんでんぶにしょくたくとしてきんむ。そして、しょうわ9ねん1がつよりころむびあれこーどへ……という、もだんとしのせんでんぶをわたりあるいたというけいれきのもちぬし。『CMまんだんし』は「でんつうほう」にれんさいされたもので、でんつうのしゅっぱんぶぶちょうしみずもとよしによるはしがきにあるとおりに、まさに《たまがわいちろうしのじでんてきよみものですが、そのままにっぽんのCMはってんしでもあり、かつせそうしとしてもおおいにきょうみぶかく……》というふうなよみもの。




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ふくだかつじ『ぎんざ』(げんこうしゃ、しょうわ16ねん7がつ5にちはっこう)より。かんまつのしゃしんのせつめいには《おやこはいとうやでかいものをしたからいとうやのつつみをもつてゐる。やがてのりものにのつてかえつてゆく。ぎんざはかうしたにんたちをついたちどれくらいおくりむかへることか。「どこでかひましたか」「ぎんざです」にんはあるほこりをもつてさういふ。》というふうにかいてある。みなみかわじゅんの『はくちょう』とどうじだいのぎんざ。『はくちょう』のひろいんは、いとうやでりれきしょをかくためにふでとすみをかっていた。

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