うつにっき このぺーじをあんてなについか RSSふぃーど

2006-12-01

[][]ちょうせんそうれん、ひなんのこわだかく〜じぶんたちのおかれているたちばがみえないやつら 21:28 ちょうせんそうれん、ひなんのこわだかく〜じぶんたちのおかれているたちばがみえないやつら - うつにっき をふくむぶっくまーく はてなぶっくまーく - ちょうせんそうれん、ひなんのこわだかく〜じぶんたちのおかれているたちばがみえないやつら - うつにっき ちょうせんそうれん、ひなんのこわだかく〜じぶんたちのおかれているたちばがみえないやつら - うつにっき のぶっくまーくこめんと

2006ねん12がつ01にち11とき10ふん

 やくじほういはんようぎなどでけいさつとうきょくがとうきょうにいがたざいにっぽんちょうせんじんそうれんごうかいちょうせんそうれん)などをかたくそうさくしたことにたいし、ざいにちちょうせんじんじょせいらやく130にんが1にちあさから、とうきょうながたちょうしゅういんぎいんかいかんまえでこうぎのすわりこみをはじめた。これにさきだち30にちゆうも、とないでこうぎしゅうかいをひらき、ちょうせんそうれんによるとやく700にんがあつまった。

 ざいにちちょうせんじんじょせいがてんてきくすりをかくしてまんけいみねごうにのり、きたちょうせんにもちだそうとしたとされるようぎについてちょうせんそうれんがわは「じょせいがじぶんでつかうためじさんしたえいようざい。これまでぜいかんでせいしされたことはなかった」とはんろん。「そうさくはふとうであり、まんけいみねごうにゅうこうきんしなどのせいさいをせいとうかしちょうきかさせるものだ」などとにほんせいふをひなんした。

じょうきをいっしているとしかいいようがない。けいしちょうこうあんぶは11がつ27にちあさからすうひゃくにんのきどうたいけいさつかんをどういんして「やくじほういはん」でそうれんとうきょうとほんぶ、どうしぶやせたがやしぶ、そうれんにいがたしゅっちょうところなどをだいだいてきにきょうせいそうさした。いちどうほうじょせいの「やくじほういはん」にからみ、まったくむかんけいなそうれんしせつまでそうさくするのはふとうとしかいいようがない

▼やく1ねんまえのちょうせんしゅっぱんかいかん(とうきょうとぶんきょうく)そうさくのときもそうだったが、ますこみにだいだいてきにほうどうされることでそうれんのいめーじがいちじるしくきずつけられる。げんざいのところ、じじつはどうほうじょせいがてんてきくすりをもちだそうとしたことだけなのに、こんきょもなしにおひれのついたほうどうがなされる

▼なかには、このてんてきくすりとせいぶつかがくへいきをむすびつけるものも。えいようじょうたいのわるいへいしにつかわれるかもしれないとのほうどうがあったり、ぎゃくにとうやぐんのかんぶしかつかえないとのほうどうがあったり、まさにかきたいほうだいだ。しかし、せいぶつかがくへいきとのかんれんについてれんごうにゅーすは「りんげるえきはこくさいきゅうごだんたいでもなんみんしえんなどにつかういやくひんで、しゅせいぶんはしゅじゅつごのけんこうほじゅうをもくてきとしたあみのさん」だとしてきしている

れんごうにゅーすはそのため、「にっぽんとうきょくのそうさくはついきたせいさいのえんちょうせんじょうにあり、きたのしどうぶにあつりょくをかけようとのいとがつよい」とぶんせきした。せんじつもにほんせいふは「ぜいたくひん」だとしてぎゅうにくまぐろたばこさけるいなどのゆしゅつまでせいげんしたばかりだ

▼おりしも6ものかいだんのさいかいがにっていにあっている。そうしたじょうきょうかでそうれんへのだんあつをつよめるにっぽんとうきょく。ちょうせんがいむしょうさいきんにっぽんにたいし6ものかいだんにさんかするひつようがないとけいこくしている。(ひじり)

ちょうせんしんぽう 2006.11.29]

けいしちょうこうあんぶは(11がつ)27にちごぜん、「やくじほういはん」をこうじつにすうひゃくにんのきどうたいけいさつかんをどういんし、ちょうせんそうれんとうきょうとほんぶとちょうせんそうれんしぶやせたがやしぶ、ちょうせんそうれんにいがたしゅっちょうところおよびとないざいじゅうのざいにちちょうせんじんじょせいたくなどにたいするきょうせいそうさくをだいだいてきにきょうこうした。

 こんかいのきょうせいそうさくのこうじつとなったてんてきくすりは、ざいにちどうほうじょせい(75)がさる5がつにそこくをほうもんするきわ、じぶんのびょうきちりょうけんこうかんりのためにじさんしようとしたものにすぎず、けっして「やくじほういはん」にはあたらない。

 にもかかわらず、にっぽんけいさつとうきょくがこのようにだいだいてきなきょうせいそうさくをいったことは、ぜんれいのないきわめてあくしつでゆるしがたいぼうきょである。

 いちざいにちどうほうじょせいの「まんけいみね92」ごうによるそこくほうもんにかんれんづけおおきなせいじてきじけんにでっちあげようとするけいさつとうきょくのこういにこみあげるいかりをきんじえない。

 このざいにちちょうせんじょせいをきょうせいそうさくのたいしょうとすることじたい、ひどきわまりないこういであり、けいさつとうきょくのいう「やくじほういはん」とはまったくかんけいのないちょうせんそうれんをはんざいしし、むかんけいのきかんとじむしょまできょうせいそうさくしたことは、ほうとけんりょくのらんようであり、げんごどうだんである。

 また、「かきょうがいやくひんもちだしにかんよしたうたがい」をうんぬんし、ひいては「ぐんようぶっしちょうたつ」「たいりょうゆしゅつ」などとまったくこんきょのないきょぎじょうほうをるふしながら、あたかもちょうせんそうれんが「はんざいだんたい」であるかのようなひずんだいめーじをつくりあげようとすることをけっしてようにんすることはできない。

 われわれはこんかいのけいさつとうきょくのじょうきをいっしたふぁっしょてきなきょうせいそうさくをだんこきゅうだんする。

 さいきんにほんせいふとうきょくは、たびかさなるせいさいそちをこうじざいにちちょうせんじんじんけんとせいかつをきょうかすふとうなせいじてきよくあつをつよめてきた。

 とりわけ「まんけいみね92」ごうのにゅうこうきんしにより、おおくのざいにちどうほうとがくせいたちのそこくほうもんにはじんいてきなしょうがいがつくりだされおおきなひがいをおおっている。

 こんかいのきょうせいそうさくが、そこくざいにちどうほうをむすぶじんどうのふねとして14ねんかんにわたりうんこうされてきた「まんけいみね92」ごうのにゅうこうきんしにたいするないがいのひなんのこえがたかまるなかで、にゅうこうきんしをひきつづきせいとうか、ちょうきかさせようとするひれつないとのもとにおこなわれたことは、まぎれもないじじつといわざるをえない。

 ろうねんのざいにちどうほうじょせいそこくほうもんにさいし、じぶんのびょうきちりょうけんこうかんりのためにやくひんをじさんしようとすることまでもはんざいしし、とりしまろうとするにっぽんとうきょくのひどかつひれつではんにんげんてきこういをだんじてゆるすことができない。

 6ものかいだんのさいかいのきざしがみられるなかでおこなわれたこんかいのだんあつそうどうは、ちょうせんはんとうじょうせいのかんわのながれにまっこうからぎゃっこうするものであり、あさ・にちかんけいをさらにあっかさせおおきなかこんをのこすことになろう。

 われわれはちょうせんそうれんとざいにちちょうせんじんにたいするふとうなだんあつとじんけんしんがいをそくじちゅうしすることをつよくようきゅうする。

ちょうせんしんぽう 2006.12.1]

さて、いずれのきじにも

ざいにちちょうせんじんじょせいがてんてきくすりをかくしてまんけいみねごうにのり、きたちょうせんにもちだそうとしたとされるようぎについてちょうせんそうれんがわは「じょせいがじぶんでつかうためじさんしたえいようざい。これまでぜいかんでせいしされたことはなかった」とはんろん。(あさひ

げんざいのところ、じじつはどうほうじょせいがてんてきくすりをもちだそうとしたことだけ(はる・なつ・あき・ふゆ/ちょうせんしんぽう)

こんかいのきょうせいそうさくのこうじつとなったてんてきくすりは、ざいにちどうほうじょせい(75)がさる5がつにそこくをほうもんするきわ、じぶんのびょうきちりょうけんこうかんりのためにじさんしようとしたものにすぎず、けっして「やくじほういはん」にはあたらない。(みなみのぼるすけ・そうれんちゅうおうふくぎちょうのだんわ(ぜんぶん)/ちょうせんしんぽう)

とあるが、これはもんだいのすりかえにほかならない。ざいじょうはあくまで「やくじほういはん」である。さいごの【みなみのぼるすけ・そうれんちゅうおうふくぎちょうのだんわ】など、じじつかんけいがかくにんできていないのかとうたがってしまうほどだ。もんだいはである。きちんとしたてつづきなしにこのざいにちちょうせんじんじょせいがてんてきくすりなどをたいりょうににゅうしゅしていたことである。まんけいみねごううんぬんは、まんけいみねごうきたちょうせんにもっていこうとしていたところ、にもつけんさでとうきょくにばれてしまったというだけのはなしであり、ざいにちちょうせんじんじょせいやくじほういはんとはまったくかんけいない。【みなみのぼるすけ・そうれんちゅうおうふくぎちょうのだんわ】はじじつをひっしにわいきょくしようとしている。これはちょうせんそうれんが、このけんにかんしてふれてほしくないということをめいはくにものがたりっている。

また、じょせいびょうきちりょうのため、まどとしょういているが、はたしててんてきくすり60ふくろもひとりでつかうのであろうか?ないぞうしっかんけいのやくひんは120じょうともほうじられている。

また、これがじじつだとしても、ではたえずてんてきがひつようなろうばがきたちょうせんにきこくすることはたいりょくてきにかのうなのであろうか?またじんどうてきけんちからみてもだとうなのであろうか?いりょうたいせいがまともにととのっていないきたちょうせんで『じぶんのびょうきちりょう』などできるはずがない。

にもかかわらず、にっぽんけいさつとうきょくがこのようにだいだいてきなきょうせいそうさくをいったことは、ぜんれいのないきわめてあくしつでゆるしがたいぼうきょである。

 いちざいにちどうほうじょせいの「まんけいみね92」ごうによるそこくほうもんにかんれんづけおおきなせいじてきじけんにでっちあげようとするけいさつとうきょくのこういにこみあげるいかりをきんじえない。

 このざいにちちょうせんじょせいをきょうせいそうさくのたいしょうとすることじたい、ひどきわまりないこういであり、けいさつとうきょくのいう「やくじほういはん」とはまったくかんけいのないちょうせんそうれんをはんざいしし、むかんけいのきかんとじむしょまできょうせいそうさくしたことは、ほうとけんりょくのらんようであり、げんごどうだんである。

 また、「かきょうがいやくひんもちだしにかんよしたうたがい」をうんぬんし、ひいては「ぐんようぶっしちょうたつ」「たいりょうゆしゅつ」などとまったくこんきょのないきょぎじょうほうをるふしながら、あたかもちょうせんそうれんが「はんざいだんたい」であるかのようなひずんだいめーじをつくりあげようとすることをけっしてようにんすることはできない。

 われわれはこんかいのけいさつとうきょくのじょうきをいっしたふぁっしょてきなきょうせいそうさくをだんこきゅうだんする。

などとおおげさにことをこうげ、あじるのはさよくでんとうであるといってもかごんではないが、それにしてもまぁ、じしんのことをかんぜんにたなあげするだけではあきたらず、じじつわいきょくまでおこなうとは、まさしくまっきである。さよくならろじっくだけでみんしゅう(いや、ぐしゅうというべきか)をけむりにまいてみろ、といいたくなる。

ちょうせんそうれんはたしかに、いまのにっぽんのげんこうほうでははんざいそしきではないかもしれない。だが、そぱいぼうしほうなどのほうせいびやきたちょうせんほうかいのちのないぶしりょうのこうかいによってはんざいそしきとにんていされるのもまたゆるがないじじつである。

ぜんたいしゅぎこっかのてさきに『ふぁっしょ』などといわれてもなんのかんがいもない。


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[][]ほろびよぶさよ。これがさよくのほんねだ!〜しゅうかんきんようびしゅさいのしゅうかいでへいかびょうきをちょうしょう 23:56 ほろびよぶさよ。これがさよくのほんねだ!〜しゅうかんきんようびしゅさいのしゅうかいでへいかのびょうきをちょうしょう - うつにっき をふくむぶっくまーく はてなぶっくまーく - ほろびよぶさよ。これがさよくのほんねだ!〜しゅうかんきんようびしゅさいのしゅうかいでへいかのびょうきをちょうしょう - うつにっき ほろびよぶさよ。これがさよくのほんねだ!〜しゅうかんきんようびしゅさいのしゅうかいでへいかのびょうきをちょうしょう - うつにっき のぶっくまーくこめんと

1:☆ばぐた☆HNかえられなか@2ちゃんとしうできしゃ「ばぐた」ってなにものだφ ★ :2006/12/01(きん) 20:13:57 ID:???0 [off_go@yahoo.co.jp]

11がつ19にちひびやこうかいどうでひらかれた『しゅうかんきんようびしゅさいの「ちょっとまった!きょういくきほんほうかいあくきょうぼうつみ けんぽうかいあく きんきゅうしみんしゅうかい」。2000にんちかいかんきゃくのまえで、ゆうひとししんのうは「さるのぬいぐるみ」にされ、てんのうへいかのごびょうきぎゃぐにされるしばいがえんじられた…。

 ほんだかついちへんしゅういいんのあいさつからはじまったしゅうかい。しかいは、どうしはっこうにんでもあるさたかしんしだ。「きょうはとてもこうきなほうのおくさんにきていただきました」 さたかしがそういうと、しずしずとみちここうごうをまねたこめでぃあんがでてきた。がんめんだけおしろいをぬってじょそうしたおとこである。かいじょうははくしゅかっさいだ。「おおくのこくみんがあつまっているなか、なんのしゅうかいだかわかりませんが」ときりだすと、おおきなわらいがおこった。「せんじつ、しゅじんといっしょにおうかんとくにおあいしたんです。おうさんは“ひのまるのおかげでゆうしょうできました”と、あおっていましたが、このにんがひのまるのおかげなんていうのは、おかしいんじゃありませんか?」そういっって、わらいをとった。えんゆうかいで、おうかんとくてんのうへいかにはなしたないようをひにくったのだ。

 つづけて、「きょねんはこうしつてんぱんをかえるとかかえないとかでずいぶんさわがしかった。でも、じなんのとこにおとこのこがうまれたら、ぴたっとおさまっちゃいましたね」とゆうひとししんのうのことをわだいに。そして、「きょうはそのこをつれてきてるの。ちょっとつれてきて」というと、すたっふがけーぷにつつまれたあかちゃんにんぎょうのようなものを“こうごう”にてわたした。さるのぬいぐるみである。“こうごう”は「ひさひと!ひさひと!」とこえをかけながら、そのさるのかおをきゃくせきにむけたりうでをうごかしたりする。

 じょうないはだいばくしょう。やがて「ひさひと!ほんけにおとこのこがうまれたら、おまえなんか、いーらない!」とさけんで、 ぽーんとほうりなげた。だが、じょうないはしずまりかえった。わかもののなかにはわらいをもらすものもいたものの、さすがにここまでくるとかんきゃくのたいはんがこおりついてしまったのである。

 ここでとうじょうしたのがじゃーなりすとやざきやすしきゅうしと、さっかであり、たれんとでもあるなかやまちなつさんだ。「これはこれは、さるこうきなおほうのおくさんではないですか」とやざきし。「てんのうなんてもういらないんじゃないですか。てんのうなんてのはみんかんのじゃまになるだけでしょ?」ときくふたりに“こうごう”は、「あら、あたしはみんかんからあがったのよ」と、こたえる。

 なかやまじょしが「てんのうになれるのがちょっけいだんしだけというほうがおかしいでしょ?おとこでもおんなでもちょうしがなれるようにすべき。それではたちになったら、てんのうなりたければなり、なりたくなければいっぱんじんになっておわり。そうしていけば、てんのうけといううちはなくなります」とじろんをてんかい。

 すると、やざきしが「ごしゅじんがきてませんね?」と“こうごう”にたずねる。「どこかわるいの?」とやざきし。「はい。まえたてせん?じゃなかった、そうそう、ぜんりつせんをわるくしまして。あまりかんばしくないのですよ」そんなやりとりがつづいたのち、とつぜん、やざきしが「それであっちのかたはたつんですか?」ときく。“こうごう”は「であいてにすこーとのときはげんきでございました」と、こたえる。じょうないはしーんとしずまりかえった。さすがにかんきゃくがしらけてしまった。

 「なんてげれつな、とおもわずこぶしをにぎりしめてしまいました」と、さんかしたかんきゃくのひとりがいう。「けんぽうやきょうもとほうのしゅうかいだとおもってたのに、けっきょくこのにんたちがやりたかったのは、あべすすむさんのこきおろしと、こうしつをちゅうしょうすることだけだったんですね」

 こんどは、たれんとえいろくすけしがぶたいにとうじょう。えいしは「ここ(ひびやこうかいどう)は、しゃかいとうのあさぬまいねじろうさんがしさつされたところなんです」「きみがよは、じつはうたいにくいきょくなんですよ」などとかたり、あめりかの「せいじょうきえいえんなれ」のめろでぃーで『きみがよ』をうたうというぱふぉーまんすをみせるのである。─それは、このきんきゅうしみんしゅうかいとやらの“しょうたい”がよくわかるものだった。

 こんかい“こうごう”をえんじたのは、げきだんにしょぞくするいしくらなおきし(49)である。えいろくすけしにかわいがってもらってかくちのいべんとでかつやくしているげいにんだ。

 「ぼくたち(ちゅう=めんばーは3にん)は、てれびではできないたぶーにきりこむわらいをやってるんです。もちねたはいろいろ。すぎむらたくらはしもとりゅうたろうそうあたいがっかいだってやってます」といしくらし。「おわらいげいにんとしてかつどうをはじめたごろ、しょうわてんのうがごびょうきになって、うたまいおときょくつつしめ、としごとがつぎつぎきゃんせるされたことがありましてね。16ねんへったいまも、およつぎぎがどうこうとやってる。なんともいえないこわさをかんじます。みちこさまのことはすきなんで、きれいにえんじたいんですけど」

ゆうひとししんのうをさるのぬいぐるみにしたことには、「ふだんは、なまえをいわないんですが、あのしゅうかいではついふるねーむでいっってしまいました。(ごびょうきについては)やざきさんとなかやまさんにしもねたをふられ、のせられてしまいました。きょうとでは、ぼくがこうごうでえいさんがじじゅうのやくで、いろいろやりましたよ。これを(しみん)うんどうとしてやってるつもりはないし、おもしろいとおもうことをやっているつもりです」おわらいげいにんとしてたぶーにちょうせんする─いしくらしははらをすえてえんじているらしい。

 いっぽう、さたかしのはんのうはまったくちがう。「あくまで“さるこうきなおほうのおくさま”としかいっってないんですから。こうしつのちゅうしょうなどではありません。それはうけとるがわのみかたですから。そんなこというならかくぎろんとおなじで、こっちもふうさつするな、といいたいですね」

 えいろくすけしは「ぼくはあのにち、くるまがじゅうたいしておくれとうちゃくしたんです。だから、そのこんとじたい、みてもいないし、ぜんぜんわからないですよ。『しゅうかんきんようび』にきいてくださいな」と、しらぬぞんぜぬだ。

 やざきしとなかやまじょしにいたっては、しゅざいもうしこみにたいしてなしのれきだ。えいしは、かつて、どうよう『ななつのこ』などのぐちあめじょうのめいさくをこんきょなく「きょうせいれんこうされたちょうせんじんのうた」といっってのけ、かんけいしゃをげきどさせた“ぜんか”がある。

そのかんけいしゃのひとり、さっきょくかすぎやまこういちしは、こんかいのことをこうかたる。「まだ(えいしらは)そんなことをやっているのですか。あきれますね。げひんです。じぶんにおきかえてかんがえてみればいい。まごがさるのぬいぐるみにされてほうりなげられたり、びょうきのことをやゆされたり。じんけんいしきもなにもない。かれらは、いつもはじんけんじんけんというくせに、じつはそれがかれらのしょうたいなんですよ。」

 『しゅうかんきんようび』きたむらへんしゅうちょうは、へんしゅうこうきでしゅうかいのもようをこうしるしている。<ふしぎなほどにおだやかなくうきがかいじょうにはながれとぎれるなかった。ながたちょうのじゅうにんにたいする、まんまんたるいかりをふかくきょうゆうしながら、しかし、そこにぜつぼうはなかった>

 ※そーすしゅうかんしんちょう12がつ7にちごうP.30-32(えまにえるぼうやきしゃてきすとかしたものをいちぶりゃく)

http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/

このきじがすべてをものがたりっている。ふだんからさたかなどきらいできらいでしかたなく、しょうらんでもたびたびとりあげてきたが、これほどまでとはおもわなかった。

にんをわらいものにし、いわれなきちゅうしょうをおこない、びょうをちょうしょうし、でてきたことばがこれである。

 いっぽう、さたかしのはんのうはまったくちがう。「あくまで“さるこうきなおほうのおくさま”としかいっってないんですから。こうしつのちゅうしょうなどではありません。それはうけとるがわのみかたですから。そんなこというならかくぎろんとおなじで、こっちもふうさつするな、といいたいですね」

ようは

「じつめいをだしていない。(さんざんそれをほうふつさせることをいっておきながら、)そうぞうするそちらがわるい。にんのあかちゃんをさるよばわりし、ほうりなげ、びょうをちょうしょうし、しもねたにするのも、にんのこくせきやゆするのもげんろんのじゆうだ」

ということであろう。とんだじゆうがあったものだ。

ましてや、このちょうしょうのちゅうしんはこうしつである。さたかはあくまで、「こうしつとはいっていない」というしせいをつらぬいているが、これは「しょうぼうしょのほう(かく)からきました」といってしょうかきをおしうりするひとむかしまえのさぎとどれほどのちがいがあるというのだろうか。

おうさだはるしのじんしゅこくせきにかんするぶじょくもゆるされるものではない。おうしはひのまるをせおい、にっぽんのだいひょうちーむのしきかんをつとめた。ゆにふぉーむには、むねにはつねにひのまるがあった。にほんじん、いちおくさんせんまんのほこりときたいはときにじゅうあつになっただろう。だが、しはそれがゆうしょうへのげんどうりょくとなった、とへいかかんしゃしたのである。これは、いこーるぜんにほんにんへのかんしゃである。けっしてまんらず、みなさんのおかげです、といったのだ。にほんじんならこころにぐっとこよう。いや、こくせきなどにかんけいなく、このいつわをきけばだれしもおうしのひとがらにこころうたれるはずだ。

だがやつらは、このびだんをこくせきじんしゅとをつかいぶじょくしたのである。

ひとりのにんげんとしてゆるせるはずがない。

せんぜんにっぽんしんみんとしてなんぽうでふんせんし、こうぐんのきゅうちをいくどとなくすくったたかさごぞくのしそんのかたがたも、ほこりをもってひのまるにからだをゆだねる。ひのまるをとうとびたいひとびとにじんしゅこくせきのかべなどない。

WBCではいちろーのふんとうなど、はんにちいえたちにはくしいおもいだしかなかろう。そのひずんだくやしさがこんかいのじんしゅさべつをうんだようにおもえる。


さたかにはじしんのげんろんのせきにんすらもとうとしていない。そんなにんげんが「げんろんのじゆう」をかたるけんりなどない。やつは「げんろんのじゆう」をだまっているにすぎないのである。

せきにんしゅうかんきんようびにすりつけるえいろくすけ

『「ぼくたち(ちゅう=めんばーは3にん)は、てれびではできないたぶーにきりこむわらいをやってるんです。』などといっておきながら、『(ごびょうきについては)やざきさんとなかやまさんにしもねたをふられ、のせられてしまいました。』とさいごはせきにんてんかをするいしくらなおき。

『「それであっちのかたはたつんですか?」』ととつぜんくちばしる、じょうしきのけつじょしたやざきやすしきゅうや『てんのうなんてのはみんかんのじゃまになるだけでしょ?」(ちゅうりゃく)「てんのうになれるのがちょっけいだんしだけというほうがおかしいでしょ?おとこでもおんなでもちょうしがなれるようにすべき。それではたちになったら、てんのうなりたければなり、なりたくなければいっぱんじんになっておわり。そうしていけば、てんのうけといううちはなくなります」』とこんきょなきみんいをかたり、むちをさらけだす(こうせきりだつげんざいでもかのうである)なかやまちなつにいたってはかんぜんにほおこうむりである。

しゅうかんきんようびへんしゅうぶでんとつした2ちゃんねらーはいう。『しゅうかんきんようびへんしゅうぶはだまりをつらぬいた』と。

このかいじょうにせきにんかんあるものはいなかったようだ。

ついき・さたかしんいいわけといしくらのいじょうな「なんともいえないこわさ」、およびかんれんURL

きのうしてきしきれなかったことを。

さたかは

いっぽう、さたかしのはんのうはまったくちがう。「あくまで“さるこうきなおほうのおくさま”としかいっってないんですから。こうしつのちゅうしょうなどではありません。

とおおみえをきっているが、

「せんじつ、しゅじんといっしょにおうかんとくにおあいしたんです。おうさんは“ひのまるのおかげでゆうしょうできました”と、あおっていましたが、このにんがひのまるのおかげなんていうのは、おかしいんじゃありませんか?」そういっって、わらいをとった。えんゆうかいで、おうかんとくてんのうへいかにはなしたないようをひにくったのだ。

 つづけて、「きょねんはこうしつてんぱんをかえるとかかえないとかでずいぶんさわがしかった。でも、じなんのとこにおとこのこがうまれたら、ぴたっとおさまっちゃいましたね」

(ちゅうりゃく)

(いしくら)みちこさまのことはすきなんで、きれいにえんじたいんですけど」

*1

とかんぜんにみちここうごうでんかゆうひとししんのうでんかのことをいっている。ゆうひとししんのうでんかにいたっては「じつめい」つきだ。これでもって、こうしつのことではない、などとよくいえたものである。さたかのうそはきふりにはもはやあきれるほかない。このようなうそはきやろうがたいげんをはくとはよもまつである。

しかし、のさたかのうそはなかばけいさんずくのものであったらしい。

「ふだんは、なまえをいわないんですが、あのしゅうかいではついふるねーむでいっってしまいました。

といしくらはしょうげんしている。いしくらがついついちょうしにのらなければさたかのいいのがれはうそではなくなっていたかもしれない。なんともまぬけなはなしであるが、このいしくらのしょうげんは、さたかたちの「けいかくてきはんこう」をうらづけているのだ。

しかし、ひなんをおそれいいのがれまでじぜんにかんがえるこのやりくちのよごさ。さよくとは、いや、さたかやしゅうかんきんようびへんしゅうぶとはここまでいじおかったのか、といまさらながらにおもわされてしまう。

また、いしくらの「にっぽんかん」のけつじょした『なんともいえないこわさ』にかんしても。

おわらいげいにんとしてかつどうをはじめたごろ、しょうわてんのうがごびょうきになって、うたまいおときょくつつしめ、としごとがつぎつぎきゃんせるされたことがありましてね。16ねんへったいまも、およつぎぎがどうこうとやってる。なんともいえないこわさをかんじます。

といしくらはかたっているが、いしくらは「もにふくす」というぎしきをしらないのだろうか。たいそうのれいはいうにおよばず、にっぽんのげんしゅがほうぎょなさったのだからこくみんが「もにふくす」のはとうぜんのことである。いしくらのじょうしきのなさにはひらいたくちがふさがらない。


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*1:きょうちょうなどはぶろぐしっぴつものによる

とらっくばっく - http://d.hatena.ne.jp/gunnsenngoku/20061201