2009-01-06
■[ざっき]のうたりんのあたまでかんがえたはけんしゃいんもんだいにかんするめもかきのようなもの
よくだんこうということばをきくとおもいます。かんたんにいうとろうしがろうどうじょうけんなどにかんしてだんたいでこうしょうすることです。してつがすとらいきをうつまえにやる、あれっす。おうべいにおいてはそのしょくばのくみあいがかいしゃとはなしあいもしますが、しょくしゅのいかをとわずにどういつさんぎょうにじゅうじするろうどうしゃを(じゅくれんみじゅくれんのくべつなく)そしきするろうどうくみあいであるさんぎょうべつくみあいがちんぎんなどろうどうじょうけんのだんたいこうしょうをおこないます。で、わーくしぇありんぐなんてのはおうしゅうきげんですが「みんながどうはたらいて、どういきるか、どうあそぶか」というのがとくにおうしゅうのぶんかのこんかんであって、いきかたにみっちゃくしてるからかろうどうじょうけんなどについてきぎょうやせいふとたたかうろうそをしじします。もちろんきぎょうもしゃかいてきせきにんをかんがえてしつぎょうたいさくをかんがえます。ふらんすでじゃくねんそうのしつぎょうしゃがふえたときぱりのでぱーとはしつぎょうなかのいけめんをそろえとくちゅうのせんようゆにふぉーむをきせらいてんしたこきゃくにえすこーとさせてわだいになりしょうひをかんきさせました。でもってふしぎなことにそういうでぱーとでかいものをみんなするのです(いけめんがおおいからしじしたっていうせつもありますが)。
おうべいはすとのおおいところっすけど、そういうそくめんがあります。
にっぽんのばあいはせんいかんけいのぜんせんとかえれくとろにくすかんけいのでんきれんごうとかのさんぎょうべつろうどうくみあいはあるんですが、それらはじっしつはきぎょうべつくみあいのなかよしくらぶてきれんごうたいでしかありません。さんぎょうべつろうそがさんぎょうべつしようしゃだんたいとのかんでそのぶんやにかんするろうどうじょうけんについておうべいのようにだんたいこうしょうをすることはすくないです。きぎょうごとたとえばまつだのくみあいいんがまつだにたいしてろうどうじょうけんについてだんこうをもつのがふつうです。まつだろうそのじょうぶそしきであるさんぎょうべつろうそのじどうしゃそうれんは(かいにゅうすることもありますが)ふつうはうごきません。まただんこうのほかんてきなやくわりとしてにっぽんのろうしのまにはひんぱんにろうしきょうぎがもたれます。このろうしきょうぎがばあいによってはじじつじょうのあらかじめのふんそうかいひのためのいしそつうのばになっていて、たとえばとよたのばあいはくみあいいんのこようをまもるためにかいしゃにろうそがせっきょくてきにしさくをていあんをしたりします。
これらろうどうもんだいのかんこうはきぎょうべつのくみあいときぎょうのかんでのろうしこうしょうはぎょうかいよこなみびでないのでいちきぎょうないにおいてこゆうのじじょうをはんえいしやすくじゅうなんにたいおうでき、またもうひとつのかんこうであるろうしきょうぎせいどじたいはいちきぎょうないでのせいしゃいんのこようをまもるといったてんではせんえいてきなたいりつをかいひできひじょうにゆうえきでした。じっさい、ろうしきょうちょうろせんがなければかこにあったおいるしょっくやばぶるほうかいのちのふきょうをのりきれなかったでしょう。にっぽんがたびおもなるききをのりこえてきたのはそこらへんにもげんいんがあります。むだにちんぎんあっぷをしたりするのではなくきぎょうごとにみのたけにおうじたちんぎんあっぷをろうしそうほうがもさくしたり、かいしゃのそんぞくをろうしがそうほうともかんがえてきたのです。にっさんのばあいもそうで、にっさんとにっさんろうそはろうしともにきょうちょうしてききをのりこえました。ひょっとしたらこれらのろうしかんこうはかなりとくしゅなのかもしれません。じつはるのーがじっけんをにぎってにっさんをこんとろーるしはじめりばいばるぷらんにそってこうじょうをふくすうへいさしたのですが、そのりばいばるぷらんをしってらいにちしたふらんすせいふのこうかんがすとやでもすらおこらないにっぽんってほんとふかかいだ、といっってたくらいです。
いま、いろんなかいしゃでこすとさくげんをしています。
はんきゅうでんてつのばあいいぜんはしゃしょうはぜんいんはんきゅうでんてつのしゃいんでしたがここすうねんでこがいしゃのにんがふえました。そのほうがやすくつくからです。つか、そうでもしないときびしいのです。JRとのきょうそうにさらされてるはんきゅうはせいしゃいんをふやすこすとがしょうじきたえられないのです。
それとねっこはおなじなんすけど、いまもんだいになってるろうそとむかんけいなはけんしゃいんのもんだいもここすうねんはこすとてきにこうじょうのじんいんをふやすかわりにいろんなきぎょうがはけんしゃいんにたよらざるをえなかったぶぶんがあります。いま、にっぽんにあるはけんしゃいんというしすてむはしようしゃがわからするとべんりです。せいしゃいんだとふくりこうせいのこすともかかりますし「はんばいじょうきょうががくんとおちたから」なんていうりゆうでかんたんにきれませんししごとはなくてもかいこにじかんがかかりますからかなりこすとがかかります。でもはけんしゃいんはけいやくをはきしてにんをはけんしてくるはけんがいしゃにせいひんのじゅようがなくなったじてんでつうちをしていっていのそんがいばいしょうをしはらえばすみます。せいしゃいんをふやすこすとをかんがえるとてがるなはけんしゃいんっていうふうになっちまう。たとえばおおいたきやのんのはけんじゅうぎょういんはおおいたきやのんとけいやくしてるはけんがいしゃにやとわれてそこのしじできやのんのこうじょうではたらいてるのですがはけんじゅうぎょういんはおおいたきゃのんとのまにはこようかんけいがなく、かいしゃとしてはざいこがだぶついたらこうじょうにきてもらわないですむようにおおいたきゃのんはひつようにおうじてけいやくをはきしてそんがいばいしょうをはけんがいしゃにしはらえばいいわけっす(たいしょくきんをはけんじゅうぎょういんにたいしてちょくせつしはらうぎむはなかったりします)。せいしゃいんだったらあしたからしごとないからこなくていい、なんていえません。ろうそとこうしょうしたりかいこてあてをはずまなきゃならなかったりします。で、はけんしゃいんをりようしてろうむかんけいこすとをきりづめてせいひんをしゅっかすることでかいがいとのきょうそうにうちかってかいしゃをそんぞくさせてきました。きやのんにかぎらずいくつものめーかーがやってきたことです。
それらのめーかーのしせいやそれをもくにんしてきた(ほんらいはよわいろうどうしゃのみかたであるべきはずの)ろうそはせめられるべきものかっていったら、そうではないのではないか、っておもいます。やはりあるきぎょうをそんぞくさせはめつのみちをあゆむのをそししろうそくみあいいんをちゅうしんにあるいっていのこようをうみだしていたからです。でもめーかーやいまのろうそのありかたをしじするかっていったら、だれもしじしないんじゃないかとおもいます。しょくしゅのいかをとわずにどういつさんぎょうにじゅうじするろうどうしゃをじゅくれんみじゅくれんのくべつなくかばーしようとするおうしゅうとちがいきわめてないこうてきというかはんけい30せんちくらいのほんとのみうちしかたすけてないからです。ここらへん、にっぽんはひげきです。
で、いわゆるはけんきりもんだいのはけんしゃいんのこようさきははけんされてるめーかではなくはけんがいしゃですからはけんじゅうぎょういんがくみあをけっせいしてなにかをもとめようにもはたらいてるしょくばであるおおいたきゃのんにだんたいこうしょうをもとめるのはだとうじゃなくはけんがいしゃにもとめるしかありません。きやのんのもんだいでありながらきやのんろうそもりくつのうえではおなじしょくばではたらいてるのにはけんがいしゃのにんたちについてはてがだしにくい。ただはけんがいしゃとてだんたいこうしょうにおうじたくても、めーかーからじゅちゅうがなかったらてのうちようもないのですが。
こんかいはとくにせいみつきかいやじどうしゃさんぎょうにおけるはけんしゃいんのもんだいがくろーずあっぷされていますが、かいしゃがわがこうしたふあんていかつしょうらいにきぼうがもてないこようけいたいにいぞんし、おなじしょくばではたらきながらはけんしゃいんとせいしゃいんとのまにさいがあることをしりつつろうそももくにんしろうそにとりこむこともせず、ろうどうしゃのみかたのはずのろうそのじょうぶそしきとてあまりゆうこうなたいさくをたててこなかったことでいまのじょうたいをつくりだしちまったわけで、いまのじょうきょうはろうそとしようしゃがわのりょうほうにせきにんがあるようなものなんすけども。いまのじょうきょうをふまえだいいちぎてきにはどうぎてきにめーかーやろうそがなんとかしなきゃ、ってところがあるはずなのですが、どこのかいしゃもろうそもみうちをまもるのにせいいっぱいでそんなよゆうはないはずです。
で、どうしたらいいのか、っていってもわたしのようなのうたりんのあたまではこたえがみつかりません。
けいえいすたいるなんかはあたまのいいにんたちがおうべいにわたりおおくのをことをきゅうしゅうしてにっぽんにもってきました。こんなことをいっってもしかたないっすけどけいえいすたいるだけでなく「どうはたらいて、どういきるか、ついでにどうあそぶか」というのがぶんかのこんかんであるとするおうべいのろうどうのかんがえかたももってきてたら、こんなことおきなかったかもしれません。
おうべいのまねでにほんじゅうからせんばつしてしつぎょうなかのいけめんをあつめててんないあんないさせるでぱーとなんてできたらこのくにはんがんびいきのくにですからみんなしじするとおもうのですが、どうっすかね。いままずひつようなのはていがくきゅうふきんなんかじゃなくってゆめときぼうをあたえることとしょうひをかんきするようなあかるいにゅーすなんじゃないかな、とおもったり。
2009-01-04
■[ざっき]ふつかよいたいさく
しんだちちのかかりつけのせんせいがよく「しょくよくはすべてをいやす」ってよくいってたので、しょくよくがないときでもなるべくものをたべるどりょくはしてます。
かぜぎみのときはふゆばはたまにからみもちをします。だいこんおろしをすってしょうゆをたらしてもちにかけてくうのですがこれだとふしぎとしょくよくがますからふしぎです。
しんねんかいしーずんですがふつかよいでしょくよくがないときはなんでおれはあんなにさけをのんじまったんだろう、なんてかるくじぶんのことをのろいながらよくあいすくりーむをたべます。しょくよくがぞうしんしないかわりというか、あいすはかってにたかかろりなんじゃないかとはんだんしてのせっしゅです。ふゆばでもふしぎとせっしゅできる。
そんなになるまでのまなきゃいいじゃないか、ってのはごもっともなんすけど、きをゆるしてるあいてとのんだりびしゅだったりするとたまにじせいがきかないっす。えっと、あの、たとえはわるいけどはだかえぷろんやばすたおるいちまいまとっただけで「おいでおいで」されたらことわりにくいのとおんなじなんすけども。
■[ざっき]りせい
ゆうわくというもじはひどくきになることばで、さそって・さそわれて、なおかつまどわせる・まどわせられるってことばにひどくひかれます。ゆうわくしたりされたり、ってのになんでひかれるかっていったらかんたんで、ふだんはよいこでいよう、りせいてきであろう、としてるからじゃないかと。で、じぶんのおくのそこによのなかのりんりとかとはちがうほんしょうってものがふくりゅうすいのようにながれてるんだとおもうのですがそれをむいしきにふだんはりせいでひていしてるから、りせいでもってひていしないですむしちゅえいしょんがすごくあこがれるんだとおもう。
そしてりせいとかりくつじゃないことにみをゆだねることってのはかいかんとどこかむすびついてるんじゃ?っておもえるときもあります。よいこでいなくてもいいのがわかるとき、けっかとしてのんだらふつかよいになるとわかっててむしょうにのみたくなったりするんすけど。
2009-01-02
ほるもーということばもけっこうじゅうようなんすけど、でももんだいのほるもーがなんなのかがなかなかあきらかになりません。で、どこかみすてりをよんでるようなそんなかんかくでした。
それとわたくしごとできょうしゅくですが、しゅじんこうこゆうのこだわりもそうそう、なんておもってました(わたしのばあいはそれがせなかなんすけども)。せんぱいからうけつがれたあるしゅうだんのなかでしたつうじないおどりってのもかんがえてみたらおどれます。そのせいか、「あーあるよなーこんなこと」かんがしかおとこどうようつよかったっす。
さて、どくとくのことばのいみとかみえるにんにはみえるけどみえないにんにはみえないものってのは、どこにでもあります。たとえば「おんあぼぎゃべいろしゃのまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん」なんてことばがあるのですが、これもいみがあるんすけど、わからんにんにはそうぞうつかないとおもうんすよ。そういう「ひとすじなわでいかないせかいがある」ってことをうけいれることができるかいなかでこのさくひんたのしめるかどうか、がちがってきそうなきがしました。で、かもがわほるもーはみえないものをみえちゃった、しらんでもいいことばのいみとかをしってしまった、きこえちゃったにんのきろくでもあるよな、なんておもってよんでました。
よだんですが、いちじょうもどりはしのせいめいじんじゃって、よしだやまからつづくだんそうのうえにあるんすよね。それとでまちやなぎのにしがわ、かもおおはしのそばにあるやつみたいに、かわをわたるとびいしをせっちしたそのせんすにだつぼうするのですが(たぶんまちなかにあんなものがあるだいとしはきょうとだけではないかとおもう) 、これらすらもこのほんをよむとなんかいみがあるのではないか、っておもえてくるからふしぎっす。でも、そういうふしぎがまちなかにあふれてるほうがおもしろいっていえばおもしろいとおもう。
2009-01-01
しんねんこう!
(あいさつだけはけいきよくしたいなーとおもったのでおおもじで)
こんぶかいりこかどっちかから
とれただしにきょうやさいをいれ
しろみそをとかして
もちをいれるぞうにってのは
よくかんがえるとたべたことがない。そんなぞうにをたべ、ごぞう
ろっぷにしみわたる
しんねんのむかえさけを
くいっとのんですごすしょうがつをいちどはやってみたかったり。
おとなになるとそんなしゃれたしょうがつをすごすとかのたあいもない
ねがいごとなんかは
がんばればなんとかなりそうなきがするのですが
いかんせんしょじじょうでじつげんしてません。さて、あらためてにほんごでごあいさつを
しんねんあけましておめでとうございます。
ますますのごひいきをなにとぞよろしくおねがいもうしあげま
す
2008-12-31
おおきなこえではいえませんがとちゅうでぶろぐをやめるつもりでした。わたしのなかではしこくをうちおわったじてんでしおどきかな、なんておもってました。でもだらだらつづけてます。だらだらつづけるといってもちからはぜんぜんぬいてません。たとえはわるいっすけどえっちぃことをしてるときとおなじです。いっぱつにゅうこんみたいな。いっぱつにゅうこんしてもうまくいかないところがあるのもえっちぃこととおなじかもしれません。それこそひとりよがりのところもあろうかとおもいます。
で、よんだほうがえっちぃきぶんにならなくてもいいからせめてきおくにのこったりかんがえるきっかけになるよなものをちょっとでもかけたらいいな、とおもってやってきました。できてるかどうかはわかりません。また、なんだかよくわからないものとかへんだぞってのもめもかきするようにかいてきて、わからないままじゃくやしいのでわかりそうなところからかいどくしてるつもりです。が、これもできてるかどうかはわかりません。
そしれどんどんかくことがなんだかふくろこうじにいっってきちまってるなー、というじかくがあります。それでもこんきつよくつきあってくださるみなさまにかんしゃします。
このぶろぐをよんでくださったみなさま、こめんとくださったみなさま、こっそりめーるくださったみなさま、はてなすたーつけてくださったみなさま、ありがとうございます。
やろうがあいきょうふりまくすがたをはってもだれもよろこばないとおもうのでかわりにういんくするぺんぎんをはっときます。
もうすぐくるあたらしいいちねんがみなさまにとってすこやかでみのりおおきものになりますように。
とうきょうのかたすみでこっそりいのっております。
そもも
まだまつのうちなので、あけましておめでとうございます。
これは・・・めいはわかりませんが、Suicaぺんぎんでしょうか?JRひがしにほんの(うしろのしゃめいより)。うぃんくしかえしたいくらいかわいいですね。
ここ「くものす@まるたまち」でしこくのけしきをみるのはたのしみにしていたので、うちおわったときはかんがいふかかったのをおぼえています。こんどはじぶんがいけばいっか、ともおもいました。
さくねんはいろいろかんがえるきっかけ、とか、かんがえなかのことへのひんと、とか、ちょっとべつのしや、とかこちらでいただきました。ありがとうございました。
こんねんもよろしくおねがいします。
このいちねんがぐすたふさんにとってよりみのりゆたかなねんでありますよう、こころよりおいのりもうしあげます。
ぐすたふ
そももさんこんばんは。まつがとれてしまってのへんしんですいません。
べつのしややかんがえるひんとをなげかけてて、やくにたってればいいですがおよそだいぼうとうしてるかのうせいもあります。きをつけてあんぜんうんてんでいきたいな、ともおもってます。
ほんねんもよろしくおねがいします。
わたしはしこくでいろんなべんきょうをさせてもらいました。しょうじき、ふうけいのしゃしんもほぼかたてまにとってます。で、そももさんがしこくでわたしとおなじものがみえるかどうかもわかりません。というのはわたしがうつしたしゃしんでかんこうめいしょはあしずりとどうごとないことやしまくらいだとおもいます。それいがいはふつうのにんはいかないものっそまいななばしょです。で、しこくへいかれることをとめませんがわたしはしこくをほとんどしらないにひとしいのでせっきょくてきにすすめもできなかったりします。
しゃしんはSuicaぺんぎんです。しんじゅくのJRひがしにほんほんしゃまえにいます。
こめんとありがとうございました。
2008-12-29
はだぎもくたびれてるのであたらしいのをかおうとおもってせいゆうへ。で、このふけいきにむだにおきんはつかうのはあほのすることかも、とおもいつつ、やすいまっしろなぶりーふとかちーぷなとらんくすはどうしてもかごのなかにいれることができなかったっす。しょうぶしたぎじゃなくても、なんでか「そこまでかれたくない」「そこまでけちりたくない」ってのがありました。だれかれにみせるわけじゃないんすけどね。
すいそくですが「ぶしはくわねどたかようじ」のせいしんってたぶんこんなものなんじゃないか、とおもう。あ、ぶしのまつえいじゃないんすけども。
■[ざっき]たわごと・ただしいことをいうにんについて
むらかみふぁんどがはんしんでんてつのかぶをかったときははんしんをよくすることやかぶぬしかちのこうじょうということをいっっていました。はんしんでんてつはこおうしてちゅうちょうきてきなかぶぬしかちこうじょうさくをうちだし、むらかみふぁんどがわはたいがーすのかぶしきこうかいをふくむたんきてきなかぶぬしこうじょうさくをはんしんさいどにていあんしていました。で、はんしんはとくに(こうこうむすこであるたいがーすのせんしゅのほうしゅうすらしぶるような)てつどうじぎょうへのこだわりがつよいかいしゃで、てつどうじぎょうにりかいがあるかどうかわからぬふぁんどがけいえいけんをにぎることにしゃないがいにかなりのかんじょうてきていこう・はんぱつがあったはずです。ただむらかみふぁんどがわにはどこか「ただしくはんろんできない」ぶぶんをふくんでいます。こうかいかいしゃなんだからかぶぬしかちこうじょうってのは(あんぜんへのとうしよりはいとうにまわせとめいげんしたわけではなかったので)それほどまちがってないはずですしはんしんかぶしゅとくのけいいもいほうせいはありません。ちゃんとしたるーるにのっとってやったことですから、どこもわるくない。
でも、むらかみふぁんどのなにかがどこかへんだ、っていんしょうをわたしはさいごまでぬぐえませんでした。
たぶんむらかみしが「じぶんがただしい」というすたんすをくずさなかったからでしょう。
なんというかどこかわたしこじんはかんかくてきに「よくする」とか「ただしい」ってのにどこかひっかかります。
ひとつはたんじゅんに「よくする」ということばにとらうまがあるからかもしれません。なんというか、むしばをなおすとかちゅうしゃのような「よくする」ということがえてしていたいことやきょうふといっしょだったせいかも。わたしにとってどこかいたいことは「よくする」ということばといっしょにやってきたからっす。
また、あるていどのりくつをもったただしさをもってなにかをいわれるとき、あいてをなっとくさせるだけのはんろんがひどくむずかしいってのがあります。で、そのただしさにしたがわないほうがひなんのたいしょうになりやすい。それがちょっとしんどい。
そして「ただしいこと」のすすめとして「けんえんけんってのがあるからたばこをすうな」とか、「けんこうにいいからはやねはやおきれいこうせよ」ってのはじっさいそれはどこかただしいきがしますが、ものっそなんかいきぐるしいのです。ただそのいきぐるしさのげんいんはわたしが「せけんでいうただしさ」というものさしでじぶんをみたときかならずしも「せけんでいうただしさ」からいつだつしたところにいるからかな、とすいそくはつけてます。
せいごのもんだいってびみょうで、なにかよくすることやせけんでいうところのただしいことのしてきってけっしてわるいことじゃないとおもいます。
でもなんか「ただしい」ことをこわだかにしゅちょうするにんにたいしてどこかけいかいしんがあります。
かんけいあるかどうかわかりませんが、たいじんかんけいでだんじょをとわずじぶんのことをぜんにんぶるにんほどじぶんがよいにんであることをPRしたがるきがするのですが、たいていそういうにんってどこかひとりよがりなんすよ。それとどこかだぶってるのかも。ほんとむこんきょのきわめてひふかんかくてきなものっすけど。
(ついき:じぶんもひとりよがりっぽいことをしかねないし、だれかにいあつかんをあたえてるとはおもいます。ここらへんじかくしないとまずそうっす)
2008-12-28
まうすがいかれたのとぷりんたのいんくがたらないのと、とーすたがおかしくなってきたのでばいだしに。
そのまえにうえののこくりつかがくはくぶつかんで「きんるいのふしぎ」をまだやってたよなー、とおもってうえのまであしをのばす。
「きんるいのふしぎ」てんへいこうとおもったのは「かもすぞー」といってみたかったこめとみずをつかうにほんしゅであちこちでつくられるさけにやはりちがいがでてくるようそのひとつがこうぼであるってしったからです(でもよいこうぼがかりにてにいっったところでよいさけができるわけじゃくこうぼをしゅまくかんきょうもこれまたじゅうようらしいのですが)。ふしぎてんがこうぼについてやってるかどうかはふめいなんすけどもきんるいなんてみちのせかいなのできょうみがあったわけっす。
ところがねんまつなのでげつようじゃなくてもきゅうかんび。
いきあたりばったりじゃだめみたいっすね。しらべときゃよかった。
いきしょうちんしてうえのひろこうじへむかうとちゅう、あつあつのたこやきをかってだいどうげいのにんのかなでるおんがくにみみをかたむけながらちゅうしょく。
なんのきなしにさいごうたかもりぞうをとりました。さいごうさんはうえののばあいはきものをきてますし、じんじゃにまつられてるわけでもなかったりします。
でもさっききがついたのですがよりによってあたまのうえにとりが。
うまくいかないにちはほんとなにもうまくいかないっす。
■[ざっき]きおくをよびおこす・しこく
きたくしててれびをつけたらたっきゅうせんしゅがしこくをじゅんはいしてるばんぐみのそうしゅうへんをやってて、ねんがじょうをさくせいしながらみてたのですが、ふしぎなものでいちどかよったみちというのはてれびのがぞうをきっかけに、いしきになかったそこでじぶんがどういうけしきをみたかとか、もしくはどういうことばをかけてもらったかとか、きょうれつにおもいだせました。
■[ざっき]きおくをよびおこす・なちす(さいかひつあり)
どいつでなちすがじっけんをにぎってたころ、いろいろとあくめいたかいせいさくがじっこうできたのはいわゆる「じゅけんほう」がせいりつしたからっす。この「じゅけんほう」はぎかいせいみんしゅしゅぎをとるけんぽうしたのどいつでなちすがせいけんをにぎったあとていしゅつされました。ひじょうじたいにあたってこっかいからりっぽうけんをせいふにいゆずるしてせいふのせいていしたほうりつ・せいれいはけんぽうにはいはんしてもゆうこうとするないようだったんすけど、ほうあんがじげんりっぽうだったせいでぎかいせいみんしゅしゅぎがしかれてたたいせいのなかでせいりつしたのです。つまるところほうりつやてつづきをげんしゅするくにでそれこそほうりつとてつづきげんしゅして(きぞんのいしけっていしすてむをへて)なちすにじっけんをごうほうてきにどいつこくみんはわたしたわけっす。で、なちすはそのあとやりたいほうだいになるわけですが。
やりたいほうだいというかいまとなってはなんでそんなことしたのだろう、ってことのひとつにきょうせいしゅうようところへのかくりせいさくがあります。
けいばつのほんしつははんざいのおうほうというかんてんでなくはんしゃかいてきせいかくをかいぜんきょういくするためのものというしんぱとよばれるかんがえかたがけいほうがくせつのなかにあります。で、せいとくてきにはんざいけいこうをもつにんげんってのはいて、わるいせいしつをもつからはんざいをするにんげんがいるというのならばしゃかいぼうえいとほんにんのきょうせいをもくてきにかくりすべきっていうかんがえかたをとります。このかんがえかたがこじんよりしゃかいをゆうせんするぜんたいしゅぎであるなちす・どいつにえいきょうをあたえるわけっす。きゅうきょくのかくりはまっさつなんすよ。で、なちすは「どいつこくみんのしゃかいぼうえいのために」かくりせいさくをおこなうわけっすね。で、しゃかいぼうえいのためにかくりされたのがゆだやにんでありどうせいあいものであり、ろまのにんだったりしたんすけど。ここらへんのことはけいほうをやるとでてきます。
かれらがとったかくりせいさくもたいしょうはともかくとして「せいとくてきにはんざいけいこうをもつにんげんってのはきょそうでわるいせいしつをもつからはんざいをするにんげんがいるというのならばしゃかいぼうえいとほんにんのきょうせいをもくてきにかくりすべき」というのはひふかんかくではわたしはなんとなくわかるのです。それは「やっちゃいけないこと」「ただしくないこと」とおもいつつどこかげいごうしかねないよちがじぶんのなかにあったりします。
きおくのかたすみにのこってたこれらのことをはてなないでよんだなちすどいつにかんするえんとりをよんでおもいだしました。なんでおもいだしたかっていえばだいがくせいのときもかんじたしこんかいもかんじたなちすをひていしたくても「どこかひていできそうにないただしさ」にたいするきょうふみたいなものゆえです。
なちすはせんきょのせんれいをへてせいりょくをのばし、かれらがだしたじゅけんほうもてつづきうえのかしはたぶんないです。かしのないてつづきをへてどいつはくうぜんぜつごのただしくないせいさくをやってのけました。
で、なちすのやったことはぎかいせいみんしゅしゅぎとかほうりつやがくせつってのはばんのうではないしりくつやしすてむがただしくてもかならずしもけっかがだとうなほうこうへゆくとはかぎらないってことのしょうめいです。
だとうなほうこうへゆくためにどうすればいいのか、ってのもひどくなんもんなんすけども。





こんねんもよろしくおねがいします^^
がしょうときんがしんねんのさいもさいきんまでしらなかったふつつかものですがほんねんもよろしくおねがいします。
ところで「がしょうときんがしんねんのさい」をわたしはしらないです(あせ
ひー、きになりますよ。
こんらんさせてすいません。
こんなふうにことたらずのところがありますが、ほんねんもよろしくおねがいします。