November-20(Thu)-2008
めも
sotsukei |
ぜんきのちほうとしについてのこぴぺ
いま、ちほうとしのちゅうしんしがいちではくうどうかがすすんでいる。そこではそのばしょがが「いきているのか、しんでいるのか」つまりそのばしょがつかわれているのかつかわれていないのかということをもんだいにしなければならない。
しゃかいのくうかんてきじっせんは、しゃかいのくうかんをぶんぴつする。それはべんしょうほうてきそうごさようにおいて、しゃかいのくうかんをていきし、そのくうかんをぜんていとする。くうかんてきじっせんは、くうかんをしはいしりょうゆうするにつれて、ゆっくりと、かくじつに、くうかんをせいさんする。ぶんせきてきしてんからすると、しゃかいのくうかんてきじっせんがはっけんされるのは、そのくうかんのかいどくをとうしてである。(『くうかんのせいさん』あんり・るふぇーぶる)
どんなにみにくいいえでも、ひとがすむかぎりはふしぎなこどうをうしなわないものである。へんかしながらあんていしている。しかし、けっしてせいしすることのないあのじどうしゅうふくかいろのようなしすてむである。まめつしたかふうかしてぼろぼろになったしきいやはしらも、きずだらけのかべやてんじょうのしくみも、うごいているそのしすてむのなかではじかんのかたちにみえてくる。すむことがひびすべてをげんざいのなかにならびかえるからである。いえはただのこうちくぶつではなく、いきられるくうかんであり、いきられるじかんである。(『いきられたいえ けいけんとしょうちょう』たきこうじ)
いえは、そこにひとがすむかぎりにおいていえである(ひとがすまぬいえはやがてはいきょとなる)ばしょをつかうということは、あるせいめいたいがそのくうかんをしはいしりょうゆうすることによってくうかんをせいさんすることである。じかんをかけてつかうことがそのたてものをいきいきとさせる。いきた(つかわれている)たてものでできたふうけいと、しんだたてもの(はいきょ)でできたふうけいはあきらかにちがったふうけいになる。とうきょうにおいてはきょだいなしほんえねるぎーにまちのくうかんのりょうゆうはささえられており、あらゆるばしょはけいざいせいのためにつかわれており、じぞくせいにうたがいはない。しかし、ちほうとしではそのまちのくうかんのりょうゆうのじぞくかのうせいがしんけんにとわれるじょうきょうにある。けいざいのていせいちょう、じんこうのげんしょう「ちぢみゆくにっぽんのくうかんもんだい」がちほうとしにこそせんえいかしている。こういったこんてくすとのなかで「けんちくをつくる」ことも「しょうばいをする」ことも「すむ」ことも、あらためてとわれる。
としとはにんげんのせいもろうどうも「しょうひん」のげんえいとなってあらわれるせかい
べんやみんによれば、19せいききんだいのとし・ぱりでは、ぐんしゅう、ゆうほもの、たんてい、あるいはばいしゅん、とばく、しゅうしゅう、あるいはもーどやとうきのようなげんしょうをあげることができるし、そのとしのいかがわしくもせいみつなありようをぶるじょわじーのゆめのけいしょうとしてきじゅつすることもできるだろう。だがそこでじゅうようなのは、としとそのゆめのけいしょうがいっしゅのときがたいげんえいによってしんとうされていることである。それは「しょうひん」のげんえいであり、としとはにんげんのせいもろうどうも「しょうひん」のげんえいとなってあらわれるせかいなのである。にんもものもすべてが「しょうひん」となることによってかんれんしかんけいしあうせかいとしてとしはそのまことにげんえいにみちたせいさいをたもつことになる。
つまり、ぱりはぶるじょわじーとしほんせいのしはいするとしであった。
「しょうひん」のげんえいともーどのしはいというひょうそうのふかみこそ、そのとしのもっともないてきなほんしつをひょうげんしているといえる。
この「しょうひん」のげんえいによってうずめられるしゃかいをげんじつにうごかしているのはしほんとよばれるちからである。
○しほんがうごかすしゃかいにおいて、ひょうそうであるしょっぴんぐせんたーのはっせいとこうせいをさいていぎすることによって、しゃかいにしんそう、としのないてきなちからをひひょうすることはできないか?
「しょっぴんぐ・がいど」へのがいど/やつかはじめのばっすい
「しょっぴんぐ・がいど」—「こうきょうてきかつどうのさいごののこされたけいたいともいいうるもの」、つまり「しょうぎょうかつどう」がとしけいせい(あるいはまちづくり)にいかにかんよしてきたかというけんしょう。
「はじめにしょっぴんぐありき」、つまりこうきょうせいかつのさいごのとりでがしょっぴんぐだというわけ。
けんちくか、とくにだいがくにいるけんちくかはしょうぎょうけんちくをきらう、なぜか、けいたいもこうせいもないからだ、とかいうぶんしょうがあるし、はい・あーきてくちゃー(けんちくのえりーと)がしょうぎょうへのかんよをきょひしたがためにかれらは20せいきのあーばにずむへのさいだいのこうけんにさんかするしかくをうったなどというしてきもある。
しょっぴんぐ・もーる(にっぽんではしょっぴんぐ・せんたーというほうがふつうだが、きほんてきにこうがいがたのだいちゅうしゃじょうがついたしせつ)のさいしょのきほんけいをつくったのがぐるーえんだ。つまり、このぶんやでのさいしょのぱいおにあである。それとはべつにちょっとはずれたぶんやではうぉると・でぃずにーというおおものがいてかれもまたほんしょでとりあげられているが、そのでぃずにーもぐるーえんのほんをもっていたとしるされている。
ぐるーえんはりょうたんにじゅうりょうきゅうのでぱーとをおいて、まにちいさなてんぽのもーるをてんかいするいわゆるだんべるかた(2かく1もーるかた)をはつめいした。
そのすきーむをかくめいしたのがじょん・じゃーでぃである。
じゃーでぃはもーるをもっとはいぶりっどなくらすたーのたいぷにかえた。ぐるーえんのぷらんがしょうぎょうかされたみーすであるのにたいして、じゃーでぃのしょっぴんぐ/えんたていんめんとのはいぶりっどは──げーりーどうよう──としのかおすをせれぶれーとするというわけだ。べんやみんはけんちくがあるじきからにんのちゅうしからぬけおちるようそとなったといったが、じゃーでぃのもーるはそれをすぺくたくるにかえる。すぺくたくるなかおす!
ただし、ぐるーえんもじゃーでぃもしょっぴんぐそれじたいにはきょうみがないといっているのはおもしろい。
『さくらんのにゅーよーく』には、たしかおーちす(えれべーた)がとしんぶのこうそうかを、じーめんす(でんしゃ)がこうがいへのかくさんをかのうにしたというようないっせつがあった(ようなきおくがある)が、ここではしょうかんきょうをかのうにしたものとして、くうちょう(ぜんかんくうちょうのしすてむ)やえすかれーた、うごくほどうなどのぎじゅつてきなはつめいとはってんについてのきじゅつがある。
「どみの・ふれーむ」+えすかれーたが「りそうのしょうぎょうこうぞうぶつ」だなんていうたしざんはめいかくそのもの。
いんどねしあのLippoぐるーぷはとしかいはつにはけいけんがなかったために、いろんなてをつかったわけだが、それをここでは「せんもんかをつかってとしをつくるほう」みたいなまにゅある(?)にまとめてある。なかなかけっさくなのでしょうかいしておこう。まず「ふっとぼーるばなんこかふんにあたるおおきさの〈れくりえーしょん-しょっぴんぐ〉ふくごうたいをつくる(いんようものちゅう:このふくごうたいはぜんきぐるーえんのしゅほう)。ろーらーこーすたーとあみゅーずめんとぱーく、それにあめりかのしょっぷをいくつかいれること」。つぎに「じょん・じゃーでぃにせっけいをたのむこと」、「まわりのごみ(ろーこすと・はうじんぐみたいな)がめにいらないようにそとかまをくふうすること」、「げんちのがーどのぐんたいをやとってここをぱとろーるさせること」、「せいふのやくにんをばいしゅうしてけんせつきょかをえること」、「すとらーたをものにして、くらいあんとととうしかにかれらのりそうとするゆめのてんぽのからーれんだりんぐをみせ、たてるまえにてんぽすぺーすとこんどみにうむをうってしまうこと」、「いんたいしたにっぽんのしちょうをやとい、まちのけいえいとけいかくにじょげんさせること」(いんようものちゅう:Lippoはじっさいになんにんかよんだらしい。やくにたったのかね、ほんとに?)、「けいけんをつんだらつぎのやつにとりかかるべきだ。こんどは」「のすたるじーでいけ」、「きょうかいはとりこわし、しょっぴんぐせんたーをが〜〜んとたてるべし」、じゃなければ「きょうかいはそのままにして(ただいてんさせるとか)、がっこうをつくる」「びょういんもだ」、「かんしゅうがふえすぎること、じゅうみんがすくなすぎることはまずい」、でさいごに「ばくだんとぼうどうにはきをつけること」というわけだ。
〈Ecological correct〉つまりえころじーをしょうせんりゃくとすること。かんきょうしゅぎとしょうぎょうしゅぎのゆうわ。それは「さすてなびりてぃとぶらんどのそんぞく、そしてguilt-freeつまりつみのいしきからまぬかれたしょっぴんぐをこぶする」。
○これはいおんがれいくたうんでやっていることそのまま。
「えこ・あくてぃう゛ぃずむ」「えこ・あんちまーけてぃんぐ」、たとえば「BUY NOTHING DAY」(あーてぃすと、ふぃおな・じゃっくのきゃんぺーん)をつくるとかいうぐあいになる。「あくてぃう゛ぃずむ」は「みどりのとう」にだいひょうされるようにいっぱんてきにはしょうぎょうしゅぎのふぐたいてんのてきのはずである。しかししょっぴんぐというあくまはこのてきまでかんたんにとりこむ。おうせいないえきでなんでもとかしこんでしまう。「しょっぴんぐがすべてにとけこむのではない、すべてがしょっぴんぐにとけこむのだ」。
それはびるでぃんぐ・たいぷのまのさいなどよういにむかする。〈Devine Economy(これは[しんきょく=でぃう゛ぁいん・こめでぃ]のもじり)〉つまりきょうかいをびじねすかすること、あるいはみゅーじあむもびじねすかすること。あめりかのもーるのへいきんてきうりあげは250どる/へいほうふぃーと、それにたいしてMoMAのすとあは1,750どる/へいほうふぃーとだ。もちろんしゅうやくしたちいさなすぺーすで、それいがいにぼうだいなひしょっぷ・えりあがついていればこそだが、92ねんいらいあめりかのみゅーじあむでは、ぎゃらりー・すぺーすはわずか3%しかふえていないのに、しょっぷ・すぺーすだけは29%ぞうなんだそうだ。L.A.にあるあーるでこのふぁさーどでゆうめいなでぱーと「めいかんぱにー」がいまやかうんてぃ・みゅーじあむのにゅー・うぃんぐになっている、とか…
えころじーのせいはんたいのせんりゃくもある。それは「Replica」と「Landscape」をたした〈Replascape™〉、つまりにせのしぜんである。
じんこうしばやじんこうつたのるいで、ここでおもにとりあげられているのはじんこうのやし。しゅとしてしゅうけいようである。ふずには「う゛ぃくたー・ぐるーえんもさんどうしたでしょう!」というみだしつきのかたろぐ(ぐるーえんはもーるにしぜんかんきょうをもちこむことをしゅちょうした)とか、ぺんぎんのはいけいにこのにせやしがたっているこうこくとかがあり、そのてのぎょうしゃのりすともあるが、けっさくなのはAvant Gardenしゃ! なんでもありだ。おーでぃおろっくとしょうしてなかにすぴーかをうめこんだじんこういわのかたろぐもあるが、たしかあーきぐらむのぷろじぇくとにきのきれはしにでんしたんまつをしこむというのがあった。かれらにせんけんのめいがあったというべきか、しょうぎょうしゅぎのおうせいなかいはつよく(ちから?)おそるべしというべきか。ゆめはげんじつかしている。ちなみに、えぐいところばかりろんじられているわけではない。せいおうのていえんげいじゅつ(みえるところでのじんこうせいをきょうちょうしたふらんすしきからみえないところでそれをやったいぎりすしきまで)のがいかんもぬかりなくおこなわれている。
せんりゃくのさいだいのたーげっと、それはもちろんしょっぴんぐのちゅうかくをしめるじょせいたち〈M's Consumer〉である。いぎりすでは80%、あめりかでも75%のこうばいりょくはじょせいににぎられている。こきゃくとしていがいにうりばでもじょせいのわりあいはぞうかのいちずだ。だから、かのじょたちのどうこうはしょうくうかん、つまりとしくうかんをけっていてきにへんぼうさせる。それはふつうせんきょけんのかくとくのようなこうきょうりょういきへのしんしゅつよりはるかにさきだっておこなわれた。しかし、それはそうたいてきである。なぜならかのじょたちのしゃかいしんしゅつはしょっぴんぐいがいのかつどうのはんいとじかんをひろげ、けっかとしてしょっぴんぐにふりむけられるえねるぎーとじかんをうばった。つうしんはんばいやこんびにでのかいものはかつてこきゃくとしてのおうさまのじかんをすごしたじょせいたちをたーげっとにしていたじだいとしょうかんきょうのありほうをかえる。しょっぷばかりではない。こうこくもふじんざっしのようなものから、もっとそとに、つまりとしくうかんにしんしゅつする。かうばかりでなく、みる、たべる、あそぶといったとーたるなたいけんがようきゅうされる。それについずいできないしょうぎょうしせつはだつらくする
あめりかではさけやたばこのこうこくがげきげんしたのにはんぴれいして、じょせいむきのこうこく(くるまのようなだんせいちゅうしんのぐっずでさえかのじょたちのはつげんりょくがおおきいというりゆうで)がはんらんする。
とうぜんとはいえ、しょうぎょうかつどうはげんざいのぐろーばりずむしたの(ねぐり/はーとの)「〈ていこく〉」そのものだというきもしてくるわけだが、となれば、そこに〈Resistance〉がはっせいしてくるのもむりからぬことだ。このこうはいっけんついどくれじすたんすしたのもののようなまんが(ふらんすごからのわけだそうだ、にせかもしれない)からはじまる。「ぶんかせんりょうぐん」にたいしてれじすたんすをしていて、「けんたっきー・ふらいどちきん」をていさつしてきたおとこが「ひどい、ほんとにひどいしろものだ。おおくのしみんたちがとちくるってあんならんちをくわされている」とかぼやいているところにないつうものがいてかんけんにふみこまれ、たいほされる。「しつもんにこたえてもらおうか」「だれが!」「いやくんはきっとはくさ。はなさせほうをしっているんだから」といってじんもんものがとりだすのはまくどなるどとこか・こーらである(じごう「ゆーろでぃずにーでのじんもん」なんてよこくもある)。ないようてきにはあっとうてきなあめりかかたしょっぴんぐ・まーとのでみせらっしゅにたいしてとうしょはじもとけいざいへのしげきとしてかんげいしていたじもと(せいふなりじちたいなり)によるはじめてのきせいのきじゅつ
さいごのこうもく〈Ulterior Spaces〉。「Ulterior」はいんてりあ/えくすてりあのどれでもなく、といういみと「Ultimate」をごうせいしたのだろうが、まえにもげんきゅうしたSze Tsung Leongのてくすと。じっさいのくうかんはいまやいみがなくなりつつあり、きぎょうからすればしすてむ、しょうひしゃからすればぷりぺいど・かーどなどをつうじてこんとろーるされる「くうかん」こそがとしのいんふらになりつつある、というしゅし。
いまはやりのさいきょうしょっぴんぐせんたー
ちゅうしんしがいちのかっせいかたいさくをさかりこんだかいせいちゅうしんしがいちかっせいかほうが2006ねん5がつ31にちのさんいんほんかいぎでかけつ・せいりつした。
かいせいとしけいかくほうは、ゆかめんせき1まんへいほうめーとるをこえるだいきぼなすーぱーやえいがかんなどのしょうぎょうしせつがこうがいにでみせすることを、じゅんこうぎょうちなどいちぶをのぞききんしする。
○これによってうまれたあたらしいしょっぴんぐせんたー
こしがやれいくたうん:いおんによるにほんさいだいきゅうのしょっぴんぐせんたーとURとしきこうによるじゅうたくかいはつ
いおんれいくたうん:218,483m2のしょうぎょうしせつめんせき(てんぽかずは565)と8,200だいのちゅうしゃじょうおよび6,200だいのちゅうりんじょうをそなえたしせつ。ちばけんふなばししのららぽーとTOKYO-BAY(てんぽめんせき120,200m2)をぬき、にほんさいだいきゅうのきぼ。こしがやしのとしけいかくじぎょうである「こしがやれいくたうんちくけいかく」のいっかんとして、よていちくないにあったこしがやかそうばをどうしぞうりんちくにいてんさせ、たはたやしっちおびをぞうせいしてできたこうだいなくかくないにけんせつ。とうしょのよていでは、こしがやれいくたうんえきのかいぎょうにあわせて2008ねんはるおーぷんするはずであったが、けんちくかくにんのてつづきなどのおくれにより、どうねん10がつ2にちおーぷんへとへんこうされている。でべろっぱーはいおんりてーるといおんもーるがきょうどうでたんとう。
ふぉれおおおついちさとやま:やまとはうすこうぎょうによる、やんまーぐるーぷのこうじょうなどのあとちやく15へくたーるを、じゅうたく、しょうぎょう、こうぎょうようちとしていったいてきにかいはつするじぎょうのしょうぎょうぶぶん。じゅうたくちについては、ぜん149くかくからなる「ろーずべいがーでんせたいちさとやま(やく2.8ha)」を2007ねん1がつよりはんばいちゅうです。また、こうぎょうようち(やく1.9ha)については、2008ねん3がつにでんしぶひんめーかーのけんきゅうしょようちとして、みんかんきぎょうにとちをばいきゃく。
たてものはちじょう2かいちか1かいで、しょうぎょうてんぽめんせきはやく3まんへいほうめーとる。かくてんぽはしょくひんすーぱーの「ゆーすとあ」▽あみゅーずめんとしせつの「とこり・ぐろーばる」▽しょせきはんばいの「おおがきしょてん」▽かでんりょうはんてんの「みどりでんか」▽ふぃっとねすくらぶ「すぽーつくらぶNAS」−の5みせで、もーるぶぶんにはせんもんてんやく110てんぽがでみせする。ちゅうしゃじょうはやく1500だいふん。
いじょうのような、しょっぴんぐせんたーとじゅうたくかいはつをいったいとしておこない、もはやあたらしいとしをつくるというこころみがおきている。としのなかのちゅうしんであり、さいだいのこうきょうしせつがしょっぴんぐせんたー。
で、やりたいこととか、もんだいにしたいこととかてきとうにだしてみるっしょ
ちほうとし(ぎふし)のちゅうしんしがいちにしょっぴんぐせんたー?しょうぎょうしせつ?をけいかくする。
—ちゅうしんしがいちがばぶるのちのうしなわれた10ねんでのこうきょうじぎょうによるもーたりぜーしゃんかと、こうがいがたしょっぴんぐせんたーのらんりつによりくうどうかしたこと。
—しょっぴんぐもーるはてーませいのあるいしょうでとういつされたたてもの。きぞんのざっきょてき、わいざつてきとしのはんせいてきくうかんか?
—そのこうがいがたしょっぴんぐせんたーはほうりつうえこうがいへのでみせがきんしされた。
—つぎにとうじょうしたのが、えきをしんせつしてそのえきまえにつくってしまえっての。これはえき、しょっぴんぐせんたー、じゅうたくちのどうじかいはつで、もはやあらたにとしをつくるかくとしてしょっぴんぐせんたーがつかわれている。
—しょっぴんぐせんたーがまちのそとからのこきゃくだけでなく、まわりのじゅうみんのせいかつのしょっぴんぐとこうきょうせいかつをになおうとしている。すごいちからじゃ。まーぎゃくにいえば、きゃくとしてちいきじゅうみんをしっかりかくほしているといえるが。
—れいくたうんのじれいほどのちからをもとめられるしょっぴんぐせんたー、なにもないところにたてるのではなく、きぞんのとしのなかにちゃくちさせることとは?
—このけんちくによってとしをかえられるか?くうどうかからいきられたとしへ。
—つまり、まわりにあるもの、としにいまげんざいあるもののかちもかくじつにあげるけんちく。
—ちゅうしんちのなかにのこるきゃらくたーがあっていきているばしょ。きたのうかい、ぎふしろをちゅうしんとしたれきしぶんかちく。みなみのそーぷまち、かねつその。
—しがすすめる、なごやまででんしゃでじゅうすうふんというりべんせいをいかしたまちなかきょじゅう。ぎゃくにいえば、なごやからでんしゃでじゅうすうふんのえきをもよりえきとするしょっぴんぐせんたー。
—やなぎけせちくにりっちするたてものはやく500 とうで、このうちはんすういじょうはちく40 ねんいじょうをけいかしている。また、ちくほくせいぶ(やよいちょう、やなぎけせとおり3ちょうめふきん)、ちくなんせいぶ(かみむろまち2ちょうめふきん)にはもくぞうたてものがしゅうせきしており、これらのほとんどはろうきゅうかもすすんでいる。
—うえのちくをちゅうしんとした、せいごうせいのあるとしけいかくどうろのなかにかくれた、ふせいごうなとしけいじょうがある。せいごうとふせいごうのとしのうえに、あらたにとしとしてのしょうぎょうけんちくをかさねる。
—しょうぎょうしせつは、じだいのながれやこきゃくのしこうのへんかにたいおうしてすうねんから10としほどどでぜんたいのいめーじをへんかさせることがおおいが、へんかしないとしのいんふら?らんどまーく?になるようなけんちくをめざす。
—れいくたうんのようのなしょうぎょうへのえころじーのとりこみではなく、もっとゆたかでいきいきしたかんきょうのとりこみかた。
―れいくたうん、ふぉれおおおつをいままでのとしのできかたとひかくする。にゅーたうんや、とうきゅうのかいはつ、ちほうのこうがいがたしょっぴんぐせんたー、すぷろーるてきみにかいはつ。
November-18(Tue)-2008
こうがいがたしょっぴんぐせんたーのできかた(かせつ)
sotsukei |
ぶろぐはじめます。
かんがえたこと、しったことをどんどんかいていこうとおもう。
しばらくはそつけいにかんするめもとして…
としには『れんぞくたい』かたと『りゅうし』かたがある。
『れんぞくたい』とはようしきてきこんとろーるのあったじだいにできたよーろっぱのとしであり、『りゅうし』かたはようしきてきこんとろーるがなくつくられたとしである。
にっぽんやあめりかはようしきてきこんとろーるがしょうめつしたあとの20せいきにつくられたとしで、『りゅうし』かたのとしをけいせいしている。
にっぽんのとしのできかたは、いちしきちいちたてものというげんそくのもとできていて、それぞれのばしょにどういったくうかんがうまれるかは、それぞれのけんちくもののたておもにゆだねられている。
そのせいかくじょうざっきょてき、わいざつてきなとしとなっている。そんなとしのじゅうみんがもとめ、とししゅうへんにつくってきたくうかんとはどんなものか。
としのちかくに『れんぞくたい』にであえるばしょをつくればどうだろうか。そうかんがえられ、げんにせいこうをおさめたのはにゅーよーくのこにーあいらんど、ろさんぜるすのでぃずにーらんど、とうきょうのでぃずにーらんどなどだ。
ひとびとはその「うそ」でできたてーまぱーくのせかいにはまって、たっぷりおきんをつかうのである。
べつのれいでいえばにゅーたうんやとうきゅうでんえんとしせんのかいはつもおなじくざっきょてきなじゅうらいのとしにたいするはんせいてきくうかんといえるのではないか。
そのくうかんはごうりてきで、きんしつだ。
これはこうがいのかいはつをとしないぶのもんだいとしてとらえるたちばで、しぜんやこみゅにてぃーのそうしつというぶんみゃくなどとはちがうたちばのかんがえだ。
こうがいがたのしょっぴんぐせんたーもいじょうのようなぶんみゃくからできたくうかんとかんがえてもいんじゃないかとおもう。
つまり、けんちくくうかんとしてはきぞんのとしのはんせいてきなものだということ。
ぜんたいはひとつのたてものにおさめられ、ひとつのようしきのまちのようにつくられていることがおおい。
うえの3つのれいはすべてうそくさい『れんぞくたい』でしかないのだけれど…
