2009-12-31
ごあいさつ
じこしょうかい | |
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はじめまして。
もともと、れきしにんしきとかそういうめんどうくさいもんだいとはきょりをおいていたのですが、「いやかんりゅう」ぶーむのあおりをうけて、だいすきなえいが「ぱっちぎ!」が「ねつぞうえいが」よばわりされてむかついたので、ちょうせんじんせんじどういん(きょうせいれんこう)についてしらべたりしているうちに、きがついたらこういうぶろぐをやっていました。
きほんてきにはあほでめんどうくさがりで、たいしたことはかいていませんが、↓のきじはそこそこいっしょうけんめいかいたので、よんでいただけるとうれしいです。
ていだいひとし「ざいにち・きょうせいれんこうのしんわ」をけんしょうする(1)
ていだいひとし「ざいにち・きょうせいれんこうのしんわ」をけんしょうする(2)
ていだいひとし「ざいにち・きょうせいれんこうのしんわ」をけんしょうする(3)
ていだいひとし「ざいにち・きょうせいれんこうのしんわ」をけんしょうする(4)
ていだいひとし「ざいにち・きょうせいれんこうのしんわ」をけんしょうする(5)
ていだいひとし「ざいにち・きょうせいれんこうのしんわ」をけんしょうする(6)
ぶろぐたいとるのゆらいはこちら↓(1:39ごろ)。
- しゅっぱんしゃ/めーかー: はぴねっと・ぴくちゃーず
- はつばいび: 2007/04/25
- めでぃあ: DVD
ぱっちぎ!LOVE&PEACE すたんだーど・えでぃしょん [DVD]
- しゅっぱんしゃ/めーかー: Happinet(SB)(D)
- はつばいび: 2007/10/26
- めでぃあ: DVD
2009-01-06
きょうとしょかんでかりたほん。(8)
(へんきゃくよていびは2009.1.20)
INTERVIEW「ぶらくしゅっしん」―12にんのいま、そしてここから
- さくしゃ: かいほうしゅっぱんしゃ
- しゅっぱんしゃ/めーかー: かいほうしゅっぱんしゃ
- はつばいび: 2003/03
- めでぃあ: たんこうぼん
さいきんみくしぃのほうで「ひさべつぶらくをかんがえる」というこみゅにいっったのだけれど、じつはこのもんだいについてよくしらないので、おべんきょう。
- さくしゃ: うりはっきょをつづるかい
- しゅっぱんしゃ/めーかー: しゃかいひょうろんしゃ
- はつばいび: 2001/11
- めでぃあ: たんこうぼん
にしとうきょうちょうせんだいいちしょちゅうきゅうがっこうにこどもをかよわせているふけいによってあまれたほん。このほんとはちょくせつかんけいないけれど、きょねんにほんかくちでじしゅじょうえいされたどきゅめんたりーえいが「うりはっきょ」はとてもよいえいがだった。
いつかみたこうけい。
ちょうせんじんせんじどういん, いやかん・ねっとうよく, れきししゅうせいしゅぎ, ひとりごと | |
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いぜんとりあげたADON-Kしのぶろぐをひさびさにみてみたら、まだこめんとらんがつづいていた。
http://adon-k.seesaa.net/article/110996404.html
ちょうせんじんきょうせいれんこうについては、いぜんmixiでもぎろんしたことがあるのだけれど、ADON-Kしとじょうれんらしきひとびとのしゅちょうって、そのときにあいてをしていたひていろんものたちとほとんどおなじなんだよなあ。
・・・もう、わたくしとしてはあふじかいかぜに「なんだかなあ!」とつぶやくしかないのであった。
2008-12-23
「59ねんがいむしょうけんかい」はあさひだけがのせたのではない
ちょうせんじんせんじどういん, れきししゅうせいしゅぎ, いやかん・ねっとうよく | |
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「きょうせいれんこうは200にんほど」というごにんのきじでかきわすれていたこと。
ここでしょうかいした1959ねん7がつ13にちのきじについてだが、ねっとをみると、これが「あさひしんぶんのきじ」であることをことさらあげつらっていることがおおい。ようは「(さよくであり、ざいにちのみかたであるはずの)あさひしんぶんがこんなきじをかいてる(ざまぁ)」ということらしい。
じっさいねっとででまわっているのはなぜかあさひしんぶんのきじばかり。しかしないようをよむと、どうやらがいむしょうのけんかいをそのままはっぴょうしただけで、べつにあさひどくじのものではないようにおもえる。
そんなわけですこしまえにこっかいとしょかんにいったきわ、とうじのほかのしんぶんのきじをさがしたところ、まいにちしんぶんやよみうりしんぶんもおなじようなほうどうをしていたことがわかった。
ほんらいならこのきじのがぞうをあっぷしたいところなのだが、あいにくすきゃなーがないので、ぶんしょうをこちらにあっぷした。
これをみると、まいにちしんぶんのきじはあさひしんぶんとあまりちがいはないが、よみうりしんぶんではよりくわしいきじゅつがみられる。とくにがいむしょうがこのはっぴょうをしたどうきについて、つぎのようにかかれている。
これはかんこくほうめんからにちあさきかんきょうていのぼうがいや、よくりゅうほうじんぎょふをしゃくほうしないこうじつとして、ざいにちちょうせんじんのだいぶぶんはにほんせいふがきょうせいてきにろうどうさせるためつれてきたものであるというあくせんでんが、せかいじゅうにるふされているげんじょうにたいこうして、そのじつじょうをこうひょうしたものである。
がいむしょうはこれまでこのたねのせんでんかつどうにあまりおもきをおいていなかったが、じゅねーぶにおけるにちちょうかいだんにさいし、にほんだいひょうだんがとったふてぎわなけいはつかつどうからきたちょうせんがわのしゅちょうににほんがわがおされているとのいんしょうをかっこくにあたえ、とくにかんこくがわのはげしいせんでんかつどうは、けっきょくあめりかをはじめじゆうじんえいにそうとうあぴーるするこうかをおさめている。このためとうしょそくじしょうにんをみこんでいたせきじゅうじこくさいいまでが、しんちょうしんぎのたいどにかわるなどおもわぬしょうがいをうけている。にっせきだいひょうだんは「おうしゅうけいぼうつうしんしゃはかんこくがわとしたしく、またせいおうけいだいつうしんしゃも、それぞれこっかてきたちばをはんえいしたきじをながしている」とのしゃくめいを、このほどせいふにだでんしてきたが、がいむしょうとしてはしゃくめいをしんじないわけではないが、それいぜんのにっぽんのたちば、しゅちょうをあきらかにするけいはつかつどうが、まったくおこなわれたようすもないことにおどろいている。とはいえ、がいむしょうじたいとしてもきたちょうせんきかんもんだいについて、こくないてきにいろんがほとんどなかったため、こくないてきはもちろん、たいがいてきにもけいはつかつどうをあまりおこなわなかったておちはみとめそこでこんかいのいれいのはっぴょうをかわきりに、きししゅしょうのがいゆうにあってがいこくPRかいしゃとけいやくをむすぶなど、きかんもんだいにかぎらず、けいはつかつどうにじゅうてんをおくことになっている。
また、よみうりでは、あさひ・まいにちが「ごくしょうすう」としかかいていない「こくみんちょうようれいによるちょうようろうむしゃ」のかずを「やくきゅうまんろくせんにん」とぐたいてきにかいている。
ただこのすうじは、おおくらしょうかんりきょくのしりょう「にほんじんのかいがいかつどうにかんするれきしてきちょうさ」のすうじ210975にん*1とおおきなずれがある。
ほんらいならしりょうをつきあわせてけんしょうしなければならないところだが、げんざいのところこのがいむしょうけんかいのもととなったしりょうはこうかいされていないようだ。
ただ、ひとつきになることがある。この「やくきゅうまんろくせんにん」というすうじは、かりやしもしょうかいしている1991ねんににっぽんからかんこくにわたされた「きょうせいれんこうもののめいぼ」のにんずうやくきゅうまんにちかい。
これはあくまでこんきょのうすいおくそくにすぎないが、もしかすると59ねんにはっぴょうされた「やくきゅうまんろくせんにん」は、このしめいがあきらかになっているひちょうようしゃのかずなのかもしれない。
みずのなおきしによれば、がいむしょうにはきゅうないむしょうからひきついだかずおおくのみこうかいしりょうがそんざいするという。こうしたしりょうがこうかいされれば、かなりくわしいことがあきらかになるかのうせいがあるのだが・・・。
2008-12-22
おしらせ。
ちょうせんじんせんじどういん | |
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そのいち。
みくしぃで「ちょうせんじんせんじどういん(きょうせいれんこう)」というこみゅをやっています。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2656025
みくしぃにいっっていてかんしんのあるかたは、ごさんかください。m(_ _)m
そのに。
いぜんよこく(?)したけれど、はてなきーわーどに「ぼくよししょく」をついかしました(といっっても「ぼくよししょくぶんこ」のHPのきじゅつをきりはりしただけだけれど)。ということで、
「ぼくよししょく」についてにっきをかいてつながりをひろげよう!
・・・さて、つぎはうぃきか。
かりやしのなげきはわかるけれど、だがしかし。
ちょうせんじんせんじどういん, ひとりごと | |
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かりやさとしのおいしんぼにっき 「いやかん・いやなかについて その4」で、かりやしはつぎのようにかいている。
にっぽんがちょうせん・かんこく、そしてちゅうごくにどんなことをしてきたか、そんなことをいまさらながらふくしゅうするのはばからしいはなしだが、このとうしょをおくってきたようなにんがにっぽんにはすくなからずいるようなので、ばからしいと、たかみのけんぶつにとどまらず、ばかばかしいことはひとつひとつしらみつぶしにいていかないとならないとおもう。
ああ、こんなに、つらいことはないのだが、のりかかったふねだ。
ぐしゃをぐしゃとをののしるだけではだめで、あくしつなぐしゃにさそわれかねない、むくなにんのために、きちんとしたことをかいていかなければならないとおもう。
こうなげきたくなるきもちはわからないでもない。きょうせいれんこうにしてもなんきんじけんにしても、ねっとでなまはんかなちしきをえただけのにんがとんでもなかきこみをしているのをみるとむちゃくちゃはらがたつし、そういうにんはきそてきなこともしらないことがほとんど*1だから、はんろんするまえにまずそこからいちいちせつめいしなければならないので、あらっ常〜にめんどうくさい。
で、そういうことにじかんやろうりょくをさいていると「なんでこんなきんにもならんことをやらなくてはならんのだあ!」とか「ほかのにんにかわってもらえないかなあ」とおもったりもする。
そういうとき、じぶんはぼくよししょくしのことをおもいだすことにしている。
いぜんふれたこともあるし、またせいぜんのぼくよししょくしとこうりゅうがあったそとむらだいしものべているが、ぼくしはとうじしょぞくしていたちょうせんそうれんでもれいぐうされ、またしりょうしゅうしゅうもひじょうにこんなんなじょうきょう*2のなか、「ちょうせんじんきょうせいれんこうのきろく」をかんこうした。それとてすぐにひょうかされたわけでもなく、せいかつするのもやっとのじょうきょうで、このぶんやのけんきゅうをきりひらいてきた。
それにくらべればげんだいの、としょかんやねっとでちしきやじょうほうをえられるじょうきょうでの「くろう」や「つらさ」など、たいしたことではない。へみたいなものだ。
たしかに「にっぽんがちょうせん・かんこく、そしてちゅうごくどんなことをしてきたか、そんなことをいまさらながらふくしゅうするのはばからしいはなし」ではある。しかし、こうしたじたいをまねいたのは「われわれ」*3のせきにんだし、げんざいのじょうきょうをせいかんすることは、ぼくよししょくしをはじめとするせんじんのくろうをむにする(ややかげきないいかたをすれば「ぼくよししょくをもういちどころす」)ことになるとおもう。
めんどうくさがりのじぶんがこのけんにこだわるりゆうのひとつには、そういうおもいもある。
2008-12-21 かえすかたなで。
ADON-Kしによるかりやしひはんをけんしょうする。
ちょうせんじんせんじどういん, れきししゅうせいしゅぎ, いやかん・ねっとうよく | |
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ぜんかいとりあげたかりやしのきじにADON-Kというにん*1がとらっくばっくをおくっている。
http://adon-k.seesaa.net/article/110996404.html
このきじにかかれているないようはねっとうえの「きょうせいれんこう」ひていろんのてんけいてきなれいにおもえるので、こんかいはこれについてとりあげる。
どんなしりょうをみてきょうせいれんこうやきょうせいろうどうのきろくといっっているのかわかりませんが、いつからすみこうやちかこうじょうではたらかせたことがきょうせいろうどうやきょうせいれんこうのきろくになったのでしょうか?
そのとうじ、にほんじんだってたんこうではたらいてるにんはたくさんいたでしょ。ちかこうじょうではたらいているにんもたくさんいるでしょ。
さいしょにいっっておくと「すみこうやちかこうじょうで(ちょうせんじんを)はたらかせたこと=きょうせいろうどうやきょうせいれんこう」ではない。にっぽんでたんこうろうどうなどにじゅうじしていたちょうせんじんのなかにはぼしゅう・かんあっせん・ちょうようなどのどういんせいさくによるものでないじゆうろうどうしゃもいた。こうしたにんたちはどういんせいさくによってれんこうされたろうどうしゃにくらべればたいぐうもよかった(とはいえ、にほんじんろうどうしゃとくらべればかくさはあったが)し、「きょうせいれんこう」にはかうんとされない。かりやしのあげているしんぶんほうどうにおいてもどうようだろう。
なお「にほんじんだってたんこうではたらいてるにんは〜」といういちぶんには「にほんじんだってとうじはくろうしたのだから」というがんいがあるのだろうが、ちょうせんじんにたいするせんじどういんとにほんじんのせんじどういんとでは「けっていてきにじげんがことなる」。これについてはこちらでいんようしたきんえいたつしのぶんしょうをさんしょうのこと。
そんなものより、きょうせいれんこうがおこなわれたとうじのしりょうをあつめたものをそーすとしてていじするべきです。
ぜひさがしてほしいですね〜
ていじします(いか、ふとじによるきょうちょうはいんようもの)。
・1944ねんにさくせいされた「しそうたいさくかかり『はんとうにんもんだい』」
はんとうろうむしゃのろうむかんりにはいくたのもんだいがそんしてゐる。まずろうむかんりはぼしゅうのときからはじまるものといはれる。けだしげんごふうしゅうをことにするばあいそのろうむかんりはちょうせんにゐるときからしってゐるとしるべきだとのしんねんをゆうするにん(せきたんとうせいかいのたなかきんろうぶちょうのごとき)すらある。なんとなればちょうせんにおけるぼしゅうじょうきょうをみるに、かつてはのらでしごとさいちゅうのものをあつめ、あるいはねこみをおそふてつれてくるようなれいもなかにはあってそのあやまれるやじんしい。けいかくてきにぼしゅうのじゅんびをしてきょうしゅつすることがせつにようぼうされるゆえんである。
・1944ねん7がつ31ひづけ、ないむしょうしょくたくこぐれやすしようからないむしょうかんりきょくちょうたけうちとくじにていしゅつされた「ふくめいかき」
ためにみんしゅうをしてとうきょくのしさくのまことぎ、じゅうだいせいなどをにんしきせしむることなくみんしゅうにたいしてぎとなみだなきはこよりむりきょうせいぼうたけ(まま)(しょくりょうきょうしゅつにおけるおうだ、かたくそうさ、よびだしごうもんろうむきょうしゅつにおけるふいうちてきひとじちてきらちなど)ないしまれにはしょうがいちしじけんなどのはっせいをみるがごときふしょうじけんすらある。かくてきょうしゅつはときにりゃくだつせいをおびしがんほうこくはきょうせいとなりよりふはちょうしゅうなるばあいがおおいといふ
ちょうようはわかとして*2そのほかいかなるほうしきによるもしゅつどうはまったくらちどうようなじょうたいである そのれはもしじぜんにおいてゆきをしらせばみなとうぼうするからである、そこでやしゅう、ゆうしゅつ、そのほかかくしゅのほうさくをこうじてひとじちてきりゃくだつらちのじれいがおおくなるのである、なぜにじぜんにしらせればかれらはとうぼうするか、ようするにそこにはかれらをせいしんてきにじゃくつけるなにものもなかったことからしょうずるものとおもはれる、ないせんをつうじてろうむかんりのせつあくきわまることはおうおうにしてかれらのみこころをはかいすることのみならずざんりゅうかぞくのせいかつこんなんないしはかいがしばしばあったからである
なお、これらのぶんしょうは1944ねん9がついぜん、すなわち(ひていろんものがちょうよう・きょうせいではないとする)「ぼしゅう」「かんあっせん」にかんするきじゅつであることをつけくわえておく。
まあ、きょうせいれんこうなんてことばは1980ねんだいにますこみがつくりだしたことばですから、そのとうじにそんなきじはないでしょうがね。
こまかいことではあるが、「きょうせいれんこう」ということばがもちいられるようになったのはそもそもちゅうごくじんきょうせいれんこうにたいしてであって、1950ねんだいにはすでにつかわれていたし、「ちょうせんじんきょうせいれんこう」というようごをはじめてつかいはじめたのは「ちょうせんじんきょうせいれんこうのきろく」のぼくよししょくしとおもわれるが、このほんがしゅっぱんされたのは1965ねん。
また「きょうせいれんこう」ということばがせんじちゅうつかわれなかったのはあたりまえで、なちすがみずからがおこなうゆだやにんぎゃくさつを「ほろこーすと」とよばず「さいしゅうかいけつ」とよんだのとおなじことである。
ちなみに、せんぜんちょうせんそうとくふにつとめていたかまださわいちろうは「ちょうせんしんはなし」(1950)で「ろうむどういんのきょうせい」「あやまつたきょうせいちょうよう」とひょうげんしていた。あるいはおなじくせんぜんがいむじむかんなどをつとめたもりたよしおは「ざいにちちょうせんじんしょぐうのすいいとげんじょう」(1955ねん)というぶんしょで「きょうせいいじゅう」とひょうげんしている。
うえの2つはしりょうにすらなりません。だいたい、いつからいつまでしらべたきかんがかいてありません。
かりやしがあげているみっつのしんぶんきじのうち、したのふたつについてはてもとにしりょうがないのでふめいだが、ひとつめのきじにある「こめせんりゃくばくげきちょうさだんがまとめたれんこうかず66まん7せん6ひゃく84にん」はしゅうせんちょくごにあめりかのようきゅうをうけたこうせいしょうが1945ねん10がつ10にちにさくせいした「ちょうせんじんしゅうだんいにゅうじょうきょうちょう」にあるすうじで、1939ねん〜1945ねんのどういんせいさく(ぼしゅう・ちょうよう・かんあっせんおよびじょしていしんたい)によってにほんないちにれんこうされたちょうせんじんのかずをしめしている。
しょうわじゅうはちねんでは
ちょうようですらないやん('A`)
あんのじょうというか・・・やっぱりというか・・・
ごぞんじのとおり、ちょうようがちょうせんはんとうにてきようされたのはしょうわ19ねん9がつからのこと。
ちょうせんはんとうのちょうようは・・・
しょうわ14ねん9がつ いっぱんぼしゅう
↓
しょうわ17ねん3がつ かんあっせん
↓
しょうわ19ねん9がつ ちょうよう
と3だんかいにわかれ、しょうわ19ねんになってからようやくしこうされました。
いっぱんぼしゅうやあっせんのじきはじゆういしによってにっぽんにとこうしてきています。それもふくんで「きょうせいれんこうだ!!」といっっていたじだいのしんぶんきじをもってきて「きょうせいれんこうあったんだ!!」といっってるわけですね。
しょうわ19ねんいぜんにきょうせいれんこうとかいてあるしりょうはあきらかにまちがいです。
ようは「ぼしゅう・かんあっせん」について「きょうせいれんこう」とよぶべきではない、ということなのだろう。
たしかにぼしゅうしょきのごろにはじはつてきにおうじたというしょうげんもあり、そうしたどういんもふくめて「きょうせいれんこう」とよぶのはおかしい、というしゅちょうにはいちおうぎろんのよちはあるだろう*3。
しかし、じょうきのしりょうでしめしたようにぼしゅう、かんあっせんのじきにも「のらでしごとさいちゅうのものをあつめ、あるいはねこみをおそふてつれてくる」「ふいうちてきひとじちてきらち」「しがんほうこくはきょうせい」「しゅつどうはまったくらちどうようなじょうたい」「やしゅう、ゆうしゅつ」「ひとじちてきりゃくだつらち」というれいがあったことがみとめられ、またそれをうらづけるしょうげんもあるのだから、「じゆういしによってにっぽんにとこう」と、きょうせいせいをぜんひていするのはあやまりだ。
なお、きのうのきじでのべた「あさひしんぶんのきじ」についてもADON-Kしはふれていて、
せいかくにいうと『しょうわ34ねんにすんでいたざいにちちょうせんじんのない、ちょうようでらいにちしたにんずう』です。まあぞうかした100ばんにんのうちわけがわかっているので、ごくしょうすうだったということです。
とし、「245にん=ちょうようされたにんずう」ではないことはにんしきしているようだが、きのうのきじでのべたようにちょうようでにっぽんにれんこうされたちょうせんじんは20まんいじょう。けっして「ごくしょうすう」ではない。
それにしてもふしぎなのは、かりやしがていじしたしんぶんきじを「そもそも、なぜ1990ねん3がつ6にちから、1991ねん6がつ11にちとわずかなきかんのしんぶんきじをまとめたものをしんじるのかわたしにはわかりません」「うえの2つはしりょうにすらなりません。」といっしゅうしながら、この「あさひしんぶんきじ」のないようをむひはんにしんじているらしい、というてんだ。
いうまでもなく、かりやしがていじしたこうべしんぶんのきじも1959ねんのあさひしんぶんのきじも「しりょう」である。ただ、いかなるしりょう(またはしりょう)も、そこにかかれたないようがすべてじじつであるとはかぎらず、けんしょう・けんとうがひつようだというだけのはなしだ。
さいごに。ADON-Kしはかりやしにたいし「きょうせいれんこうにたいするきそてきなちしきがけつじょしているのでしょう」とのべているが、そのことばをそのままADON-Kしにおかえしする。ちゅうとはんぱなちしきをひろうするまえに、たとえばこちらなどをよんでみることをおすすめする。
*1:このはんどる、みおぼえがあるとおもったら、いぜんid:Apemanさんやid:bluefoxさんたちになんきんだいぎゃくさつのけんでつっこまれてたにんだった。
*2:ここでいう「ちょうよう」はげんいんちょうよう(ぐんじゅさんぎょうにじゅうじしているものがちょうようあつかいとみなされ、いどう・てんぎょうをきんじられる)のこと。
*3:げんにきんえいたつしやうみのふくひさししのようなきょうせいれんこうけんきゅうしゃからも「きょうせいれんこう」というようごにたいするもんだいていきがなされた。なお「きょうせいれんこう」というようごについては「きょうせいれんこう」か「せんじどういん」か?などでろんじている。




id:dj19
id:Wallerstein
id:hagakurekakugo
id:toled
id:depthwinter
id:hituzinosanpo
id:watto
まあこのにんの「しりょう」にたいするたいどはごしょうかいいただいたむかしのやりとりをみてもよくわかります。
>それにしてもふしぎなのは、かりやしがていじしたしんぶんきじを「そもそも、なぜ1990ねん3がつ6にちから、1991ねん6がつ11にちとわずかなきかんのしんぶんきじをまとめたものをしんじるのかわたしにはわかりません」「うえの2つはしりょうにすらなりません。」といっしゅうしながら、この「あさひしんぶんきじ」のないようをむひはんにしんじているらしい、というてんだ。
これってよくあることなんですよね。「しょうげんはしょうこにならない」としゅちょうしながら、きゅうぐんかんけいものによるつごうのいい「しょうげん」はほいほいしんじたりするわけですから。
ADON-Kしとのやりとりはこんねんのはじめごろによんだのですが、「あのてのひとびと」にたいしていかにおうとうするか、というめんでいろいろべんきょうになりました。
それにしても、こういう「きそちしきがかけている(かつそれをじかくしていない)」にんのあやまりをしてきするのはほんっとうにめんどうくさいです。(^^;)
わたしがみたときにはすでにK-Kさんがとうじょうされたあとだったので、あんしんしておまかせすることにしましたw