2008-11-12
■【しかかり】せんげんてきじしょうのかくりつごにんしとしょうらいよそくについて
さぶぷらいむもんだいとじゅうたくばぶるほうかいにはじをはっしたせかいきんゆうきき。これがおこった1つのりゆうとして、「りすくかんりしゅほうとしてのきんゆうぎじゅつのげんかい」をあげるろんしゃもおおい。
いっぱんしやけいざいしなどでとくにひはんされるのが、99%のしんらいくかんでのさいだいそんしつをみつもりもる、「ばりゅーあっとりすく」とよばれるりすくかんりしゅほうである。
ひはんのぽいんとは2つある。1つは、ばりゅーあっとりすくでは1%のかくりつでおこるじしょうからはきんゆうしさんのきそんをまもれないこと。もう1つは、さいだいそんしつのみつもりりにあたってもちいるのはかこのかかくのへんどうはばであるため、しょうらいおこりうるそんしつにはそもそもたいしょできないことである。
こうしゃのひはんは「にんげんはかこからしょうらいをよそくできるのか」というおおきなもんだいをふくむため、このばでろんりてきにただしいかいなかははんだんできない。そこで、ここではぜんしゃの「きんゆうこうがくは1%のそんしつをかいひできない」というせつについて、そのだとうせいをけんしょうしてみたい。なお、わたしじしんはきんゆうこうがくはまったくのしろうとであるため、じつむうえまたはぎじゅつてきに、あるいはがくじゅつてきにだとうかどうかはわからない。あくまでろんりてきになりたっているかどうかだけにしょうてんをあてる。
まず、この「かいひできないそんしつをこうむるかくりつが1%あるのはもんだいだ」というしてきには、「1%」が「おおきいもの」というかちはんだんがふくまれていることにちゅういしてみよう。
2008-11-10
■【しかかり】「りふじんなし」をてーまにしたまんががなぜうれるのか?
すこしまえのはなし。いけぶくろにしぐちにあるぼうえいがかんに『いきがみ』をみにいった。わたしがえいがをみにいくさいにはかならず、じぜんにきんけんしょっぷでわりびきけん(かぶぬしゆうたいけんであることがおおい)をこうにゅうしておく。これにより、ていかより800えんていどはやすくみれるため、はずれだったときのしんりてきなきずがあさくなる。そしてなにより、「1800えんもはらったのだからつまらなかったらゆるさない」かぜのばいあすにとらわれずにきらくにえいがをかんしょうできる。
1000えんばらってえいがかんにいっってみると、まわりは10だいから20だいのわかものばかりであった。おそらくわたしがさいねんちょうではないかとおもうくらい、わかものであふれていた。
2008-11-07
■【しかかり】
「らいしゅうじかんをとって1じかんほどめんだんをしましょう」
ちょくぞくのじょうしからやけにあらたまっためーるがきた。
ふだん、こんなめーるはなかなかこない。つうじょうやりとりするめーるのないようといえば、あたらしいかいけいきじゅんをどうかいしゃくするかとか、えいぎょうかつどうによるきゃっしゅふろーでしょうじたかわせさがくをどのかもくでちょうせいするかとか、ばいしゅうしたきぎょうののれんのしょうきゃくひようをどこのせぐめんとにつけるべきかとか、そういうたあいもないないようであることがおおい。
また、せいしきなじんじめんだんすらいざかやですませてしまうほどのしたしげなあいだがらでもあり(じょうしがわたしをどうでもいいしゃいんとおもっているというせつもあるが)、さらにいえば、ごうこんにも4どほどいっしょにいったことがある。
はなすひつようがあるならのみかいでもでんわでもIPふぉんでももっとべつのやりほうがあるはず・・・にもかかわらず、「じかんをとってめんだんしましょう」とはいったいどういうことか。
3つのかのうせいをかんがえてみた。
1つめは、つうじょうのめーるのやりとりとおなじようなたあいもないざつだんのかのうせいである。
たとえば、わたしがにっきによくとりあげるさいきんのじかかいけいをめぐるぎろんなどは、かっこうのざつだんのざいりょうである。とくに「とりひきそうばのないきんゆうしょうひんのこうせいかちとはなにか」などのないようであればあるていどいけんはある。
というのも、べいこくのきんゆうききでもっとももんだいしされているのが、きんゆうきかんがほゆうしているしょうけんかしょうひんのたいはんがふくざつなきんゆうぎじゅつでこうちくされているうえ、こうかいしじょうではなくそうたいとりひきでしゅとくされたものであるため、じかのさんていがむずかしいてんだからだ。
じかがわからないことにより、どれほどのそんしつがでるかわからない。つまり、どれだけこうてきしきんをよういすればわからない。これが
2008-11-05 じかかいけいかんわはだとうなせいさくか
ここすうじつはけいやくのたにまのため、きょうせいてきにきゅうかとなっている。とくによていもなかったので、へやのそうじをしたりどくしょをしたりしているのだが、きょうのにっけいちょうかんにきになるきじをはっけんしたので、びぼうとしてしけんをしるしておく。
2008ねん11がつ5ひづけちょうかん29めんに「けいざいきょうしつ−きんゆうききとせかい・せいさく つぎのいって(うえ)」とだいしたいわたきひさおがくしゅういんだいがくきょうじゅのろんぶんがきさいされていた。いわたしはむかしからいんふれたーげてぃんぐろんをきょうれつにてんかいしにちぎんひはんのきゅうせんぽうとなっていたけんきゅうしゃであるが、こんかいも、10げつまつにおこなわれたにちぎんによる0.2ぽいんとのせいさくきんりひきさげは「でふれたいさくにしてはおそすぎるし、きんゆうききたいさくとしてもこれではふじゅうぶん」とひはんしている。
きんゆうせいさくはあまりくわしくないのでまあよいとしよう。ただ、わたしがどうしてもきになったのはこうはんぶの「きんゆうきかんにたいするみくろのきんゆうきせいかいかくとして、じかかいけいのかんわをいってはどうか」というせいさくていあんである。
このていあんのろんきょとしていわたしがあげているのは、「しさんかかくのじょうしょうをひょうかます、ていかをひょうかへとしてにんしきするせいどかでは、しさんかかくじょうしょうきょくめんではしさんほゆうをせっきょくてきにおこなういんせんてぃぶがうまれるいっぽうで、かこうきょくめんではいっせいにしさんばいきゃくがおこなわれ、しさんかかくがぼうらくするげんいんになる」てんである。これがばぶるほうかいのきずをふかくするからじかかいけいのかんわ(たとえば、B/Sうえはしゅとくげんかでひょうじし、ちゅうきとしてこうせいかかく「らしきもの」をへいきするだど)をいってはどうかというのである。さらに、どうようのていあんをおうべいのこうめいなけいざいがくしゃもいっているからなおさらそうすべき、とものべている。
これはただしいせいさくていあんなのだろうか?いわたしのろんりをややらんぼうにいいかえると、「きんゆうしさんかかくのぼうらくによりきんゆうきかんのばらんすしーとがきゅうそくにいたんでおり、それがさらなるしさんかかくのていかをうんでいる。であれば、ばらんすしーとがいたまないよう、しさんのひょうかそこなをざいむしょひょうでにんしきしなければいい」「あるいは、そもそもしさんかかくのじょうしょうをばらんすしーとにはんえいさせなければ、しゃっきんをしてまでしさんをふやそうといういんせんてぃぶはうまれないであろう。そうすればそもそもしさんばぶるすらおこらないのではないか」ということであるが、これでほんとうにしさんかかくのぼうらくをぼうしできるのだろうか。
ひっしゃのかぎられたきんゆうちしきをもってかんがえてみても、このけんかいにはひていてきにならざるをえない。りゆうはつぎの3つである。
だい1はれきしてきじじつからのはんろんである。れきしてきにみて、じかかいけいのあるなしにかんけいなくしさんばぶるとばぶるほうかいはおこっている。ひきんなれいでいえば、にっぽんのしさんばぶるはっせいは1980ねんだい、ほうかいが1993ねんあたりだとして、じかかいけい(きんゆうしょうひんかいけい)のどうにゅうは1999ねんである。あるいは、じかかいけいどうにゅうまえの1998ねんにいちじてきにていあたいほうのきょうせいをはいししたじきもあったが、かぶかのげらくにははどめはかかっていない。こうしたれきしてきけいけんからかんがえると、じかかいけいとしさんばぶるやしさんばぶるのほうかいはせいさくてきないんがかんけいはとぼしいといえるのではないか。
だい2はいんせんてぃぶりろんからのはんろんである。きんゆうしさんのじかにもとづくざいむしょひょうかいじは、きぎょうのそんしつさきのばしをぼうしするいんせんてぃぶをうむ。ぎゃくにいえば、かりになんらかのかたちでじかかいけいのげんかくてきようをとめてきぎょうがきんゆうしさんのそんしつをかくせるとしたら、そんしつのあるしさんをしょぶんしてばらんすしーとをけんぜんかしようといういんせんてぃぶがていげんするということだ。このけっか、りすくのおおきいしさんをだえたきぎょうがそんぞくすることとなり、しきんぐりあっかではたんしたときにはざいむしょひょうがとんでもなくいたんでいた・・というじしょうがうまれ、これがさらなるかぶしきしじょうのぼうらくをうむかのうせいはないだろうか。
だい3に、きぎょうかいけいのげんりげんそくからのはんろんをおこなう。そもそもきぎょうかいけいとはとうしかとけいえいしゃとのまのじょうほうのひたいしょうせいをうめることがもくてきであり、けいえいしゃのしいてきなはんだんをかいにゅうさせるよちはきょくりょくげんしょうさせるべきである。そのいみにおいて、しじょうにおけるとりひきかかくをそのままざいむしょひょうにはんえいさせるげんこうのじかかいけいせいどはとうしかとけいえいしゃとのかんでうまれるじょうほうのみぞをちいさくすることにやくたっている。もちろん、しじょうがないばあいやしじょうがこうせいかちをただしくひょうげんしていないばあいはどうするのかというもんだいもあるが、このもんだいにたいして、FASBは「SFAS157」というあたらしいかいけいきじゅんのなかで「ひょうかしゅほうをかいじさせる」ことでたいしょするよていであった。このつからしても、じかかいけいをかんわすることのめりっとよりもでめりっとがおおきいようにみえる。
いずれにせよ、きんゆうききのたいしょのためにじかかいけいせいどをかいあくするふうちょうがあることにつよいぎもんをかんじざるをえない。むしろこんぽんてきなげんいんであるしょうけんかしょうひんのかくつけしゅほうのみなおしやきんゆうきかんのしさんぽーとふぉりおにたいするかんさをげんかくにしたうえで、せいさくきんりのみなおしやきんゆうきかんへのこうてきしきんちゅうにゅう、でふれたいさくをおこなうべきである。
あと・・・こじんてきには、しょうひんけんはいふにはぜったいはんたい。さらにいうと、しんぎんこうとうきょうはさっさとつぶせとおもう。6げっかんへんさいがとどこおらなかったらぼーなすあっぷってどんなきんゆうきかんだ。
いじょう
2008-10-30
■(しかけ)びじねすすくーる(4)
こんにちはごかいめ。そろそろさんこうぶんけんをしゅうしゅうしてりかいをふかめていこうか。
ほんじつのてーまは「いしけっていにおけるりここころとこうせいかんじょう」。みくろけいざいがく(げーむりろんなど)のけんきゅうせいかをきそに、いしけっていにおけるりここころのはたらきやそのよくせいほうほうをまなぶ。また、いしけっていにおける「こうせいかんじょう(ふぇあねす)」のやくわりとそのもんだいてんをりかいする。
いか、きーわーどでほんじつのけんきゅうないようをせいりする。
■きょうゆうちのひげき
きょうゆうざいさんにたいしてひとしくりようけんりがあるとき、しげんがかじょうにしょうひされがち。かじょうりようをおさえるめかにずむがひつよう。
■きかいしゅぎ
じょうほうをいとてきにそうさしてあいてにつたえ、みずからのりえきほぜんをはかること。
■じょうほうのひたいしょうせい
いっぽうがたほうのしりえないじょうほうをゆうすること。このけっか、ちゅうこしゃしじょうでしつのわるいぎょうしゃばかりのこる(れもんしじょう)などのじたいがおこる。
■しぐなりんぐ・すくりーにんぐ
じょうほうのひたいしょうせいをふせぐためのほうほうとして、しぐなりんぐとすくりーにんぐなどがある。
しぐなりんぐとは、じょうほうのおおいがわがすくないがわにたいしてじぶんがうそをついていないのをしょうめいすること。よいちゅうこしゃのはんばいぎょうしゃが、はんばいしたしょうひんのしつをほしょうするなどがてんけいれい。
すくりーにんぐとは、じょうほうのすくないがわがおおいがわにたいしてせんたくしをしめし、そのけっかからあいてのゆうするじょうほうないようをさぐること。
