2008-07-25
ROE (かぶぬししほんりえきりつ)
にっぽんにたいざいしているあいだじゅう、いろいろにかんがえてなやんだがけっきょくにっぽんへのとうしはやめてしまった。
(ずっとむかしからこのぶろぐをよんでいるにんはしっているがわっしはしょぼいれいさいとうしかである)ぷろぱてぃとうしは、ややろんがい、というか、まずだいいちにじんこうがへっているくにであるというおおきなりすくがぜんていとしてあるのにくわえてふどうさんかちのかんがえかたがこんぽんからことなるのでむずかしい。あと、これはさまつなことだがとうしもくてきでないじぶんがたいざいするためいえをかうときでもじむべんごしもたてないでおこなうにっぽんのしょうしゅうかんはこわいとおもった。あれでどうしてとらぶるがおきないのかなぞである。そーゆーわけでにっぽんでのとうしははやくからかいしゃとかぶにきょうみがしゅうちゅうしておった。
こーゆーことをかんがえると、わっしのじむしょからはどばとしりょうがおくられてくる。
どばとおくられてはくるが、わっしのためにしごとをしてくれるひとたちはさいわいにほんごがちょっともよめないのでへーきでかくと、わっしは、そのふぇでっくすでどばとおくられてきたしりょうをまくらにしてじつはかいしゃしきほうをよんでいる。
へ? かいしゃしきほー、ですか。あのしろうとがよむ、とうようけいざいの、あれ?
それじゃ、どしろうととおなじでねーの。
そ。おなじなんです。おおきなこえではいえないし、ちいさいこえでいっってもまだおおきなこえでわらわれそうだが、わっしはかいしゃについてかんがえるときは、これしかやんねーの。
ねいすにごろごろころがってSly and The Family Stoneの「Family Affair」とかききながらすうじをじーとみているだけです。ごろごろ、じぃー。
あんまりじーとうごかないので、ときどきもにがつつきにきます。
ゆびで、つんつんしにくる。
そーすると、わっしはくすぐったいのでいやがってややたいせいをかえる。
もにはわっしがいきているのをかくにんするとまんぞくしてまたにかいへあがってゆく。
わっしはこあらみたいなものであるとおもっておるらしい。
で、わっしはおもったのですが、にっぽんのかいしゃって、ばらんすしーとみながらかいしゃやってるのかいな。いけいけどんどんかたっすな。ざいむてきにふしぎなかいしゃがおおいようです。
げーむぶろぐでぐたいれいをいちいちひくのもあほなことかもしんないので、やめときますが、もうかっているときももうからなくなってからも、いっかんしてROEがちょっとひくすぎるようっす。げんいんはROIにたんてきにあらわれておる。
げーむをやりながらかたほうのめでこのぶろぐをよんでいるひとたちのべんぎのためにだいたんにほんやくするとにっぽんのかいしゃは「かせいだきんをさいとうしするのがどへた」なのではなかろうか。
もひとつ。90ねんだいのまんなかくらいからいったんよくなってきたROEがふたたびていめいしているのはなぜなんでしょうか。
よー、わからん。
たかいROEをささえるざいむというのは、せんそーでいえばしちょうほきゅうです。
ていこくにほんりくぐんはこれをけいししておった。
「にほんじんは、でんとうてきにほきゅうをけいしするんです」というひともおる。
そうかもしれません。
そうかもしれないが、じゃ、せいようのひとはみんなほきゅうがちゃんとしておったかというと、そんなことはない。ゆーめいなひとでいうとなぽれおんは「ほきゅうなんてしるかよ」となんどもばくりょうにあくたいをついている。
で、せんそうがよわかったかというと、それどころではない、むちゃくちゃしたたかった。
せおえるだけのしょくりょうでいんぱーるまでいってこい、といっったむたくちちゅうじょうのにほんりくぐんはいぎりすにんのにせんきゅうぶたい(いぎりすはそもそもあじあがきんだいせんのせんじょうになるとおもっていなかったので、かいせんときもたとえばぶりゅーすたーばっふぁろーをはいびしとけ、というにっぽんをなめきったたいどでのぞんでおった。しきかんからして「ばにーちゃん」ぱーしばるでまにあわせようとしたんだからごうかいですな)にぼろまけというのもあほらしいようなぼろまけをきっしましたが、おんなじかんがえなのにしんがぽーるではぼろかちした。
なぽれおんもむたくちぎんわぶたいもきょうつうしているのは「すぴーどのゆうい」です。
せんごのにほんけいざいとおなじっすな。
ずーとずーとさかのぼってみると、せんぜんは、にっぽんとあめりかがぎゃくである。
せんぜんのにっぽんのかいしゃはじぎょうしきんなかのかぶぬししほんのひりつがきょくたんにでかかったこともあって、ROEがきわめてたかい。
けいえいしゃが「こんなにかぶぬしのめさきのりえきであつりょくばかりかけられては、ちょうきのけいえいせんりゃくがたてられなくて、たまったもんじゃない。どうか、にっぽんのかぶぬしはあめりかのかぶぬしをみなってながいめでけいえいをみてほしい」 なんていっっている。
いまと、というか1980ねんだいのあめりかのけいえいしゃとまるでぎゃくです。
(ごぞんじのとおりあめりかやいぎりすのかいしゃのさいだいのもんだいてんは、かぶぬしのたんきりえきのあつりょくがつよすぎてちょうきけいえいせんりゃくがたてられず、いぜんはにっぽん、いまはちゅうごくにぼろまけしておる)
そもそもやくいんのこうせいをみても、しゃちょうはつうじょうひっとうかぶぬしであって、ほかのやくいんもゆうりょくかぶぬしがめいをつらねている。けいえいせんもんかはどこにいるかというと、だいたいにおいて「せんむとりしまりやく」であって、しかもこのひともきゅうそくにかぶをかいあつめてだいかぶぬしになることをせんしんにけいえいしていたもののようです。(むかしのかいしゃやくいんのほうしゅうはとほうもないひたいだったので、それができた)
それが、どこでいまのようになったかというと、せんじとうせいけいざいをさかいにしているようにみえます。それから、もうひとつ、こうしょくついほうというだめおしがある。
しかしなぽれおんのいうとおり、けいざいがきゅうそくにせいちょうするだんかいではROEのすうちがたいげんするざいむのゆがみは、そうぞうするにむしろぷらすだったでしょう。
でもさ、いまは、そんなことしてちゃだめじゃん。
ROEがひくくざいむをひずんだままにしておくと、とうぜんのことながら、ちょうきにわたってささえてくれるいわゆるあんていかぶぬしもすくなくなるのは、あたりまえのこんこんちきであります。
だって、かいにくいし、もちつづけられないでしょ。
しんぐんらっぱをまいにちふきならしていたじだいがおわったのなら、そろそろ、まじめにしちょうをかんがえたらどうでしょう。そしたら、わっしのようなれいさいとうしかも、もちっとにほんしじょうにもさんかしやすいんすけど。






















