2008-11-02
えりざべすいっせいとおだのぶなが
えりざべすいっせいが1533ねん、おだのぶながが1534ねんのうまれなので、えりざべすいっせいがいっさいとしうえである。
ふたりともにとうじのじゃくしょうこくにうまれて、しゅうへんこくからのすさまじいしんりゃくのあつりょくによくたえた。 しゅうきょうてききょうりょうをたいしつてきにけんおしたことでもきょうつうしてます。
ほかにもつうしょうのりにびんかんであったことやかいほうてきなきぶんをこのんだことなど、いがいなくらいきょうつうてんがたくさんある。
もっともおおきなちがいは、きゅうせいりょくであるかそりっくがきてたかずかずのあんさつけいかくをえりざべすじょおうはいきのびますが、のぶながはよくうつけいこうがひどかったあけちみつひでのじょうりをいっしたあんさつこうどうによってころされる。のぶながはきょうじんなせいしんにめぐまれたひとであったので、かろうとすとれすからとうごうしっちょうしょうをやんでいたみつひでのこうどうがそうぞうもできずよそくもできなかったのでしょう。
にっぽんのれきしをまなんでいくと、1600ねんまでのにほんじんのれきしのせいとうてきなてんかいぶりやわかりやすさと、それいこうのにほんてきにとくしゅなとくがわのちせいのわかりにくさのたいひにおどろいてしまう。
せいようじんからみると、とくがわのちせいのわかりにくさとしょうわしょねんからしょうわにじゅうねんまでのあんこくきのにほんじんのわかりにくさとはそうとうのめいきゅうで、これがなければ、どんなにか「にほんじん」というものがみじかにかんじられるだろうとおもってしまいます。
えりざべすいっせいのえいこくにくらべて、とうじのおだのぶながのにっぽんははるかにきょうだいなぐんたいをもっていました。にほんじんはれきしてきにきみょうなほど「たいほう」へのりかいりょくをかくみんぞくなのでかんたんにひかくするわけにはいきませんがたとえばちょうしののたたかいにおける3000ちょうのひなわじゅうをそろえようとおもうくんしゅはとうじのおうしゅうには、まだそんざいしません。どうきぼのじゅうへいのきかくがあらわれるのは50ねんごのでんまーく・にーだーざくせんせんそうがはじめてであって、それまではおうしゅうにんはじゅうのはつめいしゃながらうんようめんでは、そこまでのきぼのうんようをはっそうしなかった。
のぶながはとおるあたまとおるおじっしょうしゅぎてきなごうりのひとであった(わしはけつえきがたせいかくしんだんのようなふんぱんものじじひかがく...というよりはばかまるだしのめいしん....をしんじるげんだいにほんじんよりものぶながのほうがはるかにたかいきんだいちせいのもちぬしだとおもってます)ので、それとしることなく「せかいてきなすいじゅん」というようなものでもやすやすとつきやぶってしまったのだとおもいます。
「せいようせかい」では 、まったくしられておらず、ひょうかもされていませんが、わしはおだのぶなが、というひとのせいしんのげんだいせいを、すごい、とおもいます。
(もっともにっぽんのひとにとってはすでに、こういういけんはくりしぇでしょうけど)
かれがあけちののいろーぜのぎせいにならなければ、はんいをさいしょうにみつもりもってもにしたいへいようはにほんじんのせかいとしてさいせいりつ していたにちがいない、とおもう。
すくなくともふぃりぴんやいんどねしあ、きたおーすとらりあのれきしは、のぶながのごうりしゅぎによってずいぶんちがうものになっていたとおもいます。
にっぽんというくにのおもしろいてんは、そのどくじなまいくろぶんめいのありほうがかぎりなくおうしゅうぶんめいにちかい、ということです。もしにっぽんがちちゅうかいのひがしにいちするくにであったら、にっぽんにかぎらず、せかいのれきしはせいようぶんめいいがいのじっこうてきにきょうりょくなぶんめいをもてた、というてんでもっとおもしろいものになっていたとおもう。
えりざべすのじぎょうがざせつしなかったのは、えいこくたみのししつもさることながら、えいこくがおうしゅうのはじっこにあるくにであった、ということのほうにもっとおおきくいきょしているとわしはおもいます。
「ぜんぜんことなるけれどもきんえんな」くにがまわりにたくさんあった。
にっぽんのひとたちがなかなかりかいしないことですがえいこくというくにはほっかいぶんかけんのくにでもあるのです。
ふらんすとむきあうことでたいりくおうしゅうともこねくしょんがあった。
にっぽんのばあいにはおもにじゅきょうけんとたいりつした、というじゅうだいなじじつによって、 にっぽんはこりつしたぶんめいをいきることになった。
せかいからりかいされることをきょぜつするぶんめいとしてせいりつした。
「にっぽん」というくにのひとたちのかんかくやしんねんはいかにもほかのひがしあじあにんたちとはたいりつてきなものでした。
「にっぽん」というくにのひさんもえいこうも、そこからきているように、わっしはおもうのです。
おだのぶながのしご6ねんがへった1588ねんのいぎりすかいきょうでかいぞくどれーくがひきいるえいこくしょうかんたいは、せかいじゅうのよそうをうらぎってすぺいんの「むてきかんたい」をうちやぶります。
でんせつによればよるちゃくのままみさきにたったえりざべすは、そのむてきかんたいがもえあがるすがたにひとりでかんぱいしたという。
ちょうど、おだのぶながのしょうがいにおける「おけはざまのたたかい」にあたるでしょう。
えいこくは、こののちあくめいたかい「かみをおそれぬくに」としてこくりょくをしんちょうさせてゆく。
あらゆる「たかしかみてきなくに」のよそうをてっていてきにうらぎってかみをもおそれぬせぞくてきなはんえいをたっせいしてゆく。
そして、そのれきしはわしのめにはのぶながのゆめみたせかいとにじゅううつしになるのです。
にんげんのれきしは、ところどころ、ふしぎないたずらのようないしょうのししゅうにふちどられている。
にっぽんとせいようとはいきがあわないので、えりざべすいっせいとのぶながのあいだにしんくろにしてぃをみいだすにんはいまはいません。
でも、かりにしんだにんげんどうしがかたりあえるばしょがこのうちゅうのどこかにあるのだとすれば、わしはぜったいにえりざべすいっせいとのぶながとは、のぶなががいとしたあんだるしあうのあかわいんをあいだに、いきとうごうしているのだとおもうのです。


















のぶなががいきていたらというifはたしょうなりともせんごくじだいにきょうみがあるにんにとってはかなりみりょくてきです。のぶながののちのひできちもいえやすもどうにもないこうきなにっぽんをつくっていった。とくにえどじだいはちめいてきです。さこくしたくにがどうなるかはえどからめいじにかけてのにっぽんとうみきんいごのちゅうごくをみればあきらかですね。おどろくことにえどのしょきにはちゅうごくのじんこうをにっぽんがうわまわったこともあったようですが、のぶながのとうちがつづけばひがしあじあのちいきたいこくとしてのはんえいがにっぽんにおとずれていたようにおもえます。
あー「めくじら」のenderさんでねーけ。すばらしい。
さいきん、むかしからしっているにんがまたぶろぐをめっけてくれてよんでくれるのでうれしいっす。
>のぶながのとうちがつづけばひがしあじあのちいきたいこくとしてのはんえいがにっぽんにおとずれていたようにおもえます。
おだのぶなががじゅきょうけんでないひとたち、たとえばたいぞくとかまいくろねしあにんとかいんどねしあにんとかとであうところまでいけば、あじあにんのばくはつてきなしんぽのじだいがありえたかもしれませんね。そのばあいはおーすとらりあやにゅーじーらんどはあじあにんのしはいするくにになっていた。あんがいかくうなよたばなしばかりではないんです。
たとえばおーすとらりあのせいほくおきにはめいふねがたすうちんぼつしていますが、「たんにかぜでながされただけだ」というせつのいっぽうでは、ちゅうごくのむすりむたち(たとえばていわ)はいんどせいがんはおろかなんべいからにゅーじーらんど、おーすとらりあをしゅうこうしていた、というせつをなすひともいる。にゅーじーらんどのせいがんからなんべいにしかいなかったきょだいねずみのほねがでてくるのですが、これをちゅうごくじんたちのしょくりょうだったとかいしゃくするひともいます。
ていわはじつはせかいをしゅうこうしていたのだ、とどいつにんのせんすいかんかんちょうがしゅちょうして、さいきんもわだいになりましたよね。
めいのむすりむとのぶなががくんでせかいせんだんをつくる、なんてふうになってたでしょう。
わしも、そこからうまれるぶんめいをみたかったようなきがします。
>おーすとらりあやにゅーじーらんどはあじあにんのしはいするくにになっていた
かくうせんきといわれるじゃんるのしょうせつのなかにはだいにつぎたいせんににっぽんがしょうり、もしくはしじつよりぜんせんさせるためにせんごくあたりからじだいかいへんをいっているれいもあります。かくうせんきときくとたいていは「ぼくがかんがえたすんごいだいにほんていこく」がじだいはいけいのこうりょなしにだいかつやくするまゆつばものといういんしょうがありますが、さすがに500ねんもさかのぼってこうさつがおこなわれているものはひかくてきまし、というかのぶながせいぞんのifをきちんとかんがえているようでおもしろいです。たいとるはなんだっけかなぁ・・・それにしてもがいようこうかいにはまったくてきさないにっぽんのおおがたぐんふねが(あんたくふねなど)がれおんふねといったせいようぐんふねとふれあいひつようにせまられてしんぽしたまつにどうなるのかきょうみがあります。てっこうせんなんていうせかいはつのてっぱんそうこうのふねのきじゅつもあるので、どこまでそうこうがやくにたったかはわかりませんがせいようにもえいきょうをあたえたかのうせいをかんがえてわくわくします。