19Nov08 (Wed) すなっくいくならいまだ 
いかのどーでもよいこまごましたげいのうねたはめもしょうりゃく: かわしまなおびのこんやくせいかつ、わたなべけん/みなみかほふさいのざいべいせれぶせいかつ、 かきにあれるぎーはんのうでとよえつにゅういん、しょうこりもなくぼよよんらーめんがちばでふっかつのけん、ようろうまちのほしさちちゃんがつうただうんろーどちゃーとで1くらいかくとくのけん。
ひっしのぱっち
まことしがかつらすずめさんの「ひっしのぱっち」しゅっぱんきねんぱーてぃーにいってきたけん。500にんからのだいえんかい。ぱーてぃーのもようはまことしのぶろぐにもびょうしゃされているのでくりかえしはさける。
すずめさんのにんとなりはともかくとして、ちょしょそれじたいはあきらかに「ほーむれすちゅうがくせい」のにばんせんじといういんしょうをぬぐえず、こじんてきにはあまりしょくしがうごかない。
ふけいきとうらい
じょうきしゅっぱんきねんぱーてぃーしゅうりょうごにきたしんちへながれたまことし。きゃくいりふしんのじょうきょうをめのあたりにしてふけいきをじっかんしたという。もうすでにあおいきといきだがねんまつねんしのかきいれときをあてにしてどうにかたもっているみせもすくなくないらしく、らいしゅんぐらいをさかいにつぶれるみせがぞくしゅつするであろう、とそのへんのぎょうかいにくわしいたけうちしがくらいよそく。ぎんざもどうようのじょうたいらしい。そこでりーずなぶるなすなっくのでばんか、とおもいきや、すなっくもともだおれのようす。たけうちしいわく、「(きょうそうあいてがすくなくなった)いますなっくにかよったらもてるかくりつたかいよ」。ふけいきのこうようというべきか、ぎゃくはりのよゆうがあるにんにとってはたしかにわるいことばかりではない。
もちろんけいきあっかのえいきょうもあるだろうが、わかいせだいをちゅうしんにわりだかなくらぶでのむことをけいえんするにんがふえているのではないかといったしこうのへんかもしてきする。まことしですらもはやしんちでのみたいとおもわなくなってきたという。どうりできがるにのめるたちのみやだけがはんじょうしているじょうきょう。ちほうではあいかわらず(?)ふぃりぴんぱぶがせいちらしいが(くしょう)。
なかしまみゆきのおっと
なかしまみゆきのにせおっとすんしゃくさぎじけんのせこさについて。しんかんせんでもひこうきでもなくやこうばすのうんちんをかりるというとほほぶりをさんざんちゃかす。しかしわたしはどちらかというとはんにんのねんれい(71とし)のほうにおどろいた。
ばらまき
どうかんがえてもあからさまなひょうのばいしゅうとみわけがつかぬれいのきゅうふきんにかんして。りすなーよりいかりとぎもんのめーるあり。おなじ2ちょうえんをつかうのであれば、たとえばいしゃのたいぐうをかいぜんしてさんふじんかたいさくにまわすとかしじをえやすいもっとこうかてきなせいさくがあるだろうに、とまことしもひはんはするものの、「いつまでこんなことをやりつづけるのか」とほとんどあきらめのきょうちにいりつつ、ひたすらしゅういんせんをまちこがれる。
ゆめしんだん
せんかいのほうそうで、まことしとたけうちしがそれぞれよくみるゆめがわだいにあった。こうしょからのきゅうこうかやといれのゆめなどなど。これをうけてりすなーからがりゅうのゆめしんだんがとどき、そのうちいくつかがしょうかいされる。ただし、いっぱんてきにいっってゆめしんだんはおなじじょうけいでもかいしゃくがさまざまだというてんをたけうちしはしてきし、すっきりとはいかないかんじではあった。
これはとんでもいっってるけどね。げんだいのしんりがくではたしかふろいとりゅうのゆめはんだんはかがくてきなこんきょがないとしてひていされていることをわたしはおもいだしながらきいていた。どーとでもかいしゃくできるというてんですでにあやしいのである。