2005-09-24 にほんごのきげん?
しょようあってでかける。ちょっとじかんがあったので、Kでたちよみ。
うみのひろし『いんぼうとげんそうのだいあじあ』(へいぼんしゃ)。うみのしのしんかんだということもあって、てにとってみたら、「にほんごのきげん」についていっしょうぶんさかれていた。ぜんぶよむじかんはなかったのだが、「にっぽんはだいにじせかいたいせんにやぶれたのち、たいりくてきそうぞうりょくをうってしまったのではないか」、というようなことがかかれていた。であるからこそ、「れぷちゃごきげんせつ」やら「たみるごきげんせつ」やらがうみだされるようになったのではないか、とうみのしはのべている。おおのすすむ『にほんごのきげん』の、しんばんときゅうはんのそういにもふれていたようにおもう。はっとりしろう『にほんごのけいとう』については、「がくもんへのしせいにうたれる」としょうさんしている。
かつてわたしは、にほんごのけいとうろんやきげんろんにきょうみをもっていたので(いまはべつのいみできょうみをだいているのだが)、そのてのほんは、あやしげなないようのものもふくめていくつかもっている。たとえば、いいのむつみつよし『ならじだいのにほんご(やまとことば)をかいどくする』(とうようしゅっぱんかぶしきがいしゃ)、はっとりしろう『にほんごのけいとう』(いわなみぶんこ)、おおのすすむ『にほんごはどこからきたのか』(ちゅうこうぶんこ)、さわだようたろう『にほんごけいせいのなぞにせまる』(しんいずみしゃ)、やすもとびてん『しんせつ! にほんじんとにほんごのきげん』(たからじましゃしんしょ)、おおつえいいちろう『にほんごたんじょうろん』(きんのくわがたしゃ)、つだげんいちろう『にほんごはどこからきたか』(じんぶんしょいん)。さいきんでたものでは、くどうすすむ『にほんごはどこからうまれたか―「にほんご」・「いんど=よーろっぱご」どういつきげんせつ』(べすとしんしょ)。とうぜんといえばとうぜんといえるのかもしれないが、げんごがくものではないにんによる「けいとうろん」「きげんろん」がおおい。しかも、「かくしんはん」(ここではほんらいのいみ)がおおいのだからちょっとこまる。まあ、いずれもよんでいておもしろくかんじるぶぶんがあるにはあるのだが。
しかし、おおつしは「おわりに」で、「ふでをおくにあって、あらためていっっておきたいことはこれはがくじゅつのかきではないということである。わたしじしんがくろうしてあつめたしりょうなどはなにもないからである。しりょうはすべてまごびきで、そのため、これはそうぞうのかきである」(p.316)とかいている。これはこれでりょうしんてきだといえるかもしれない*1。
なおきたじゅんいちろうしは、『にほんけいざいしんぶん』(2000.6.11つき)の「いまをよみとく」でおおつしのこのほんをしょうかいしており、「にほんごが『な』(なれ、なんじのごかん*2)『と』(こ、やまと、せとなどのごかん)というようなたんおんせつからはじまり、それがふくおんふしかするかていでにほんごどくじのひょうげんりょくがくわわってきたというじっしょうぶぶんは、きわめてせっとくてきだ」とかいている。
そういえば、はっとりしろうでおもいだしたのだが、ほさかまさやす『しょうわし わすれえぬしょうげんしゃたち』(こうだんしゃぶんこ)におさめられた「はっとりしろう『じんせい、ろくじゅっさいになってはじめてかんがえたことがある』」(p.385-90)はかんどうてきですらあった。みじかいぶんしょうではあるが、ここには、「がくもんにつかれたにんたちのそぼくなひょうじょう」(p.389)がえがかれている。




わたしは、ごげんのせんもんかでもなんでもないのです。ですから、いんようでおちゃをにごすことにいたします。ごきたいにそえずすみません。
まず、『にほんこくごだいじてん【だいにはん】』をみてみると、おおいしせんひきの『げんもとてい』には「しなへいやか(いや)のりゃく」だととかれているそうです。またよしだきんひこへん『ごげんじてん けいようしへん』(とうきょうどうしゅっぱん)に、「『しなふ(とう)』の(まま)どうこんで、『しなゆ・しなびる(い)』のしなをごねとするご、やかはせつびごである」(p.171)とありました。ほかにもいろいろのごげんにかんするほんをみてみましたが、「しなやか」をりつこうしているものはけんとうりませんでした(さがしほうがわるいのかもしれません)。
>「しなやか」のごげんのはなしをされていてきょうみをもったのですが、あれはほんとうだったのか
「あれ」がたいへんきになるのですが、どういうせつめいがなされていたのでしょうか。ぜひおしえていただきたくぞんじます。