さっかーせんしゅ(みっどふぃるだー)。
2006ねん7がつ3にち、じしんのほーむぺーじうえで、げんえきいんたいをひょうめいした(nakata.net)。
ちゅうばんのどこでもぷれーできる。
げんざいのにっぽんの「おうごんのちゅうばん」のいっかくをになう、にっぽんさっかーかいのさいじゅうようせんしゅ。
にっぽんがしゅつじょうしたFIFAわーるどかっぷ3たいかいぜんしあいにゆいいつしゅつじょうした。
よーろっぱ・なんべいにおいて「にほんじんにはさっかーができない」とかたくしんじられていたしこうをやぶることにせいこうした、いわばにっぽんさっかーかいのきゅうせいしゅ。かれがよーろっぱでせいこうしたおかげで、にっぽんのさっかーがせかいにみとめられはじめたといっても、けっしていいすぎではないだろう。(たとえば、ふるくからぶらじるではさっかーがへたなせんしゅを、おまえはにほんじんか!とばとうしていたじじつがあった)
かしまあんとらーず・ACみらんにいたもとぶらじるだいひょうのれおなるどをして「さいのうがあるのはしっていたが、ここまですごいとはおもわなかった」とまでいわしめたかのぷれーすたいるのとくちょうは、きらーぱすとまでけいようされるするどくはやいらすとぱすをFWにおくるのうりょくであろう。ほうふなすたみなでぴっちをじゅうおうむじんにかけめぐり、「げーむのばめんにおうじたいちばんべすとなこうどう」をしゅんじによみとってぽじしょにんぐし、かくじつにぱすやしゅーとをじっこうするのうりょくはせかいてきにみとめられている。
ただ、にっぽんにおいてはかのそんざいは「いたんじ」とまでしょうされるそんざいであった。いまでもそうかもしれない。にっぽんさっかーにおいて、かれがみているもの・めざすものと、そのほかのせんしゅがもとめているものは、まったくといっていいほどちがっていたのである。
それは、あとらんたおりんぴっくたいかいにおけるないじぇりあせんのはーふのろっかーるーむでぐげんかされた。ちょうじんてきともいえるないじぇりあのせんしゅののうりょくにきょうがくしたせんしゅたちと、こうこうじだいにけいけんしていたなかだとでは、みえているものがまったくちがっていた。
かんとくからしゅびにせんねんすることをめいじられていたみちきりゅうつぎに、「もっとあがらないとこうげきできない!」とちゅういしたなかだに、とうじのかんとくははげしくいかりをあらわした。
だいじなはーふなかにこうかてきなせんじゅつしじもえられず、おもくきまずいくうきをびきずったまま、こうはんがはじまった。ないじぇりあはそれでかてるあいてではなかった。そして「ばつ」としてなかだをつぎのせんぱつからはずした。
めでぃあはその「ばつ」にちゅうもくした。ぶらじるせんのれきしてきしょうりからいってん、よせんはいたいした「せきにん」をなかだにむけたのである。なかだのはげしいめでぃあきらいはこれよりすたーとすることになる。
このはつげんのいみは、おなじくこうこうじだいにないじぇりあたたかをけいけんしていたDFのまつだなおきのいけんがさんこうになる。
「こうこうせいとうじは、ないじぇりあのちょうじんてきしんたいのうりょくにぜつぼうてきなおもいだった」
「いまからこんなさがあるのでは、これからこのさはぜったいうまらないとかんじていた」
「しかし、きょうたいせんしてみると、かれらののうりょくはあのごろとかわっていない。とくにかぬのできはひどかった。ふつうにやればしょうりできるとかんじていた」
「なかだのいけんにさんせいだったが、かんとくのひどいいかりようやせかいをけいけんしてないせんしゅのひょうじょうをみて、いっってもわかってもらえないだろうとかんじた」
せかいをしっているものとしらないもののさがはっきりとあらわれたのである。ただ、なかだじしんも「せつめいのしようがない」とおもったのか、そのことについてはげんざいにおいてまったくきにしていないようである。
そののち、なかだはいたりあへわたり、でびゅーせんでちょうめいもんゆべんとすあいてに2ごーるをあげるだいかつやくをあげる。そのけっかにほんじんぷれいやーのかちははねあがり、にほんじんのかいがいいせきというおもいとびらがひらかれた。いたりあへかんこうにいったにほんじんのほうなら「なかた!なかた!」といわれてこまったけいけんがおありだろう。
しかしそれまでにめでぃあとのあつれきはえすかれーとのいちずをたどっていた。なかだは「もうすこしでつぶれてしまう」ほどのせいしんてきだめーじをうけていた。
あさひしんぶんでうけたいんたびゅーでこっかについてたずねられたきわ、「あくまでおふれこ」というやくそくで、
「いみをしらべればかなしいうたですよね、しあいまえにうたうのはどうでしょうか、ひはんではないです」
とはつげんしたのが、「ださいですよねといっった」というきじとしておおきくあつかわれる。
このことはうよくだんたいからのはげしいきょうはくをうけるじたいになり、SPをづけたせいかつがはじまった。かのまねーじめんとをたんとうするさにーさいどあっぷのじょせいしゃちょうがたんしんでうよくだんたいのほんぶにのりこみせつめいする、などかのまわりのにんげんがかれをけんめいにまもった。
このときににっぽんさっかーかいがちゅうかいにうごいたというじじょうはきかない。うらでひそかにうごいたのかもしれないが、にっぽんさっかーきょうかいじしんはもっとおもてにたって、ちゅうさいにたつべきだったのではないか?
なんにせよげんざい、あさひしんぶんのかんれんきぎょうのてれびあさひがなかだえいにいんたびゅーをしているばめんはわるいじょーくとさえいえよう。かれが「またぼくをころそうとしたいんですか?」といわれても、かれらはもんくはいえないのである。「そのようなことはなかった」かのようにあたりまえにいんたびゅーするめでぃあのすがたはしょうじき、みにくい。
さっこんはだいひょうにおいてきゃぷてんしーをはっきし、ちーむをひっぱるというしせいがみられるが、だいひょうDFじんのじっしつれぎゅらーであるなかざわにいわせると(ざっしなんばーより)「さいきんのひでさんはちょっとぴりぴりしすぎている」そうで、ちーむにたいしてきびしすぎるめんがあることをしてきしている。
あめりかやよーろっぱなどのしょがいこくでは「じぶんのえごをまげないこと」がたいじんきほんしせいである。だが、それは、にほんしゃかいではきらわれるしせいでもある。うまくいっていないのかもしれない。(かといってなかざわはなかだえいをひていしているわけではないこともつけくわえておきたい)
そういったてん、そしてせいちょういちじるしいなかむらしゅんすけやおののそんざいから、「ひでふようろん」などがささやかれているが、じっさいのところはなかだのいないにほんだいひょうでWはいにでることをそうぞうしているにんはほとんどいないだろう。
かれは2006ねんのどいつWはいをさいごにだいひょうをしりぞくとうわさされており、ぷれいやーとしてのしゅうたいせいとしてのじきがちかづいている。びじねすをおこすのにじゅうぶんなしほんきんとちめいどをもち、えいご・いたりあごをりゅうちょうにはなすかれはさっかーだけのにんげんにはとどまらないだろう。
いかはよだんになる。
かんがえたくないが、どいつWはいは、にっぽんがWはいにおいてきたいできるさいごのたいかいかもしれない。おーすとらりあがあじあよせんにさんかし、なおかつあじあわくが2.5〜3.5にへらされたとき、(よーろっぱちゅうしんのFIFAは、つねにあじあのわくがおおいとかんがえている)かんこくとにっぽんとおーすとらりあとちゅうとうせい(いらんなど)がせきをあらそうかのうせいがあり、Wはいにでることじたい、ひじょうにむずかしくなるかのうせいがたかいのである。
いつかくるそのとき、なかだえいがいないことをわれわれはこころぼそくおもうだろう。
ののむらおやかたのずばっ!にっき 2009〜How do you like SAPPORO?〜
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