いたいたしいほどやせたたいくにれすぽーるをひっさげ、それこそとりはだがたつほどうつくしいせんりつをつまひくう゛ぃに・らいりー(=どぅるってぃ・こらむ)。ふぁくとりー・れこーどのおりじなるばんどであるどぅるってぃ〜のれきしは78ねんにまでさかのぼるが、とうじはどらむ、りずむ・ぎたーをようした3にんへんせいであった。いこうひとりになったらいりーは、でんせつてきぷろでゅーさー、まーてぃん・はねっとやぶるーす・みっちぇる(ex.あるばーと)とせっしょんをおこないながら、ぎたりすととしてのしゅわんにおそるべきかそくどでみがきをかけていく。えこー・ぼっくすとりう゛ぁーう゛、あるぺじおにきゅうきょくのこだわりをもつかのぷれいは、きくものをきよらかなてんじょうかいへさそいこむかのようだ――。そして、ふる・すとりんぐすやほーん・せくしょん、りずむ・しんせさいざー、さんぷりんぐ、はてはちゅうきんとうてきえっせんす……までをどうにゅうしながらも、かたくなにつらぬかれているのは、きよしらかでいて、どこまでもふかいじょうねんだ。……うまれつきからだのよわいかれがかかげるてーまは、つねに"し"――そして"せい"なのである。きーつのしをもとにしたそうだいなくみきょくやあんびえんとよりのさくひんなど、そのときどきでひょうそうてきないめーじをへんかんしつつも、かれはいつもにんげんのもつ「ようといん」をえぐりつづけているといえるだろう。このあまりにぜいじゃくで、それでいてここうのせいしんをじしたらいりー・わーるどは、ぞくせいまのすべてのあかをあらいながすようなこうかをもっている。
ぐるーぷめいのゆらいは、すぺいんしみんせんそうときにあなきすとBuenaventura Durrutiがひきいたぶたいからとられている。
'89ねんにはっぴょうされた「Vini Reilly」しゅうろく「Homage to Catalonea」は、いうまでもなくじょーじ・おーうぇるちょ「かたろにあさんか」のげんだいである。
The Durutti Column(どぅるってぃ・こらむ)とは、う゛ぃに・らいりーによるいぎりすのおんがくぷろじぇくと。1979ねん、ふぁくとりー・れこーどよりあるばむ『The Return of the Durutti Column』にてでびゅーし、いごやく30ねんにわたりかつどうしているばんど(ただしめんばーはぎたーたんとう... つづきをよむ