1536ねん?(てんもん5ねん)〜1598ねん(けいちょう3ねん)
せんごくぶしょう。おだのぶながかしん。もとはきのしたとうきちろうでのちのとよとみひできち。
おわりくになかむらのしゅっしん。おとうとははしばしゅうちょう。
もともとはきのしたとうきちろう*1というなまえでかつどうしていたが、おだけしんのだいせんぱいであるたんばちょうしゅうの「はね」としばたかちいえの「しば」のひともじずつをとってみょうじとしたとされる(もとかめ4ねん/てんせいがんねん/1573ねんごろ)。
このじきのおだけはたけだしんげんのしをけいきにあしかがよしあきをついほうしてあさい・あさくらしをほろぼすなど、せいりょくきばんをいっきにかくだいしている。ひできちこじんもおうみいまはまをあたえられてねんがんのしろもちとなっているので、「そろそろぶしょうらしいかっこういいなまえになりたい」とかんがえてもふしぎではないとはいえる*2。
いまはまをけいきづけにながはまとあらためたひできちは、のちにとよとみせいけんのちゅうすうをになうこかいのぶしょう・かんりょうをここでつぎつぎにみだしていく。
おだけしんとしてはちゅうごくちほうのこうりゃくをめいじられ、こでらかんべえ(くろだよしたか)らときょうりょくしてもうりしとたたかう。とちゅう、あまこしさいこうしっぱいやあらきむらじゅうのはんらんなどがあったが、さいしゅうてきにはもうりいえのほんぐんとたいじしつつびっちゅうたかまつじょうをみずぜめにする。どうじにもうりとのけっちゃくをつけるべくまんをじしてしゅくんのぶながのしゅつじんをようせい。
このたいみんぐ、てんせい10ねん6がつ2にちにほんのうじのへんがぼっぱつ。じけんのほうにせっしたひできちはだいしょっくをうけるが、くろだじょすいのひずんだはげましによってたちなおり*3、なにくわぬかおをしてもうりとのわぎをまとめてたかまつじょうをかいじょうさせ、じょうほうへのおおがえしをかいしする。
6がつ7にちにはほんきょひめじじょうにきかん。ただちにぜんりょくをあげてきょうへのしんげきをかいしし、てんのうざんとなったやまざきのかっせんでみつひでぐんをやぶりしょうり。「しゅくんのぶながのかなをうった」というきょうりょくなめいぶんをてにすることにせいこうする。
いずれにせよのぶなが・のぶただおやこをうったいじょう、おだけのあとめをだれにするかはひじょうにむずかしいもんだいであり、つぎのてんかびとがだれになるのかをけっするもんだいであることもたしかだった。
おだけしんはぶんれつし、だれをこうけいしゃとするかをきめるきよすかいぎが6がつ27にちにかいさいされる。このせきでひできちはのぶながのちゃくまごさんほうし(おだひでのぶ)をせいとうとしゅちょうし、たんばちょうしゅうといけだつねきょうがこれにどうちょうしたことでいちおうのけっちゃくをみる。しかし、こうべのぶたか(おだのぶたか)をおしていたしばたかちいえとひできちとのたいりつがあきらかとなり、いご、りょうゆうはげきとつにむかってつきすすんでいく。
よくねん4がつ、せんがくのたたかいのけっか、かちいえはやぶれてえちぜんきたのしょうしろでじじんする。
きゅうおだけしんだんのだいいちにんしゃのちいはこれでひできちのものとなったが、まだ、てんかのきすうはさだまらなかった。しゅくんのぶながのさいりょうのどうめいもの、とくがわいえやすがのこっていたからである。
ひできちのせいりょくかくだいにふまんをなつくおだのぶおはいえやすにせっきん。いえやすもさっさせいせいやちょうそがべもとおやらかくちのはんはしばせいりょくをきゅうあわしてたいこうするきうんをみせる。
てんせい12ねん(1584ねん)にひできちぐんといえやすぐんはおわりくにでついじんする。が、だいきぼなげきとつはけっきょくさいごまではっせいせず、ひできちぐんのきしゅうぶたいがぎゃくにいえやすぐんのきしゅうによってかいめつされる(こまき・ながくてのたたかい)いっせんだけがおこなわれただけだった。
ひできちはここで、せんのめいぶんとなっていたおだのぶおをきりくずしてわぼくにもっていき、ついでめいぶんをうったいえやすともこうわした。
よくねん、いえやすはひできちにしんじゅうし、ひできちはちょうていからてんかびととにんちされかんぱくくらいとあらたなせい「とよとみ」をあたえられることとなる。
きのうのかぜはどんなのだっけ?
さぼりき
とれいんこうぼうのきしゃたび12がつ