Battle of Okinawa
たいへいようせんそうのまっき、おきなわほんとうおよびしゅうへんとうしょ・かいいきでおこなわれたせんとう。
いっぱんてきには1945ねん4がつ1にちのあめりかぐんのおきなわほんとうじょうりくから6がつ23にちのうしじましれいかんのじけつがそのきかんといわれるが、3げつまつにはよしりょうかん、わたりかしきしょとうでのせんとうははじまっており、またしれいかんのじけつとてっていこうせんのほうしんのため8がつ15にちのぎょくおんほうそういごもせんとうがおこなわれており、9がつにしゅうせんきょうていがおこなわれている。
にほんじんにとってはおきなわせんは、ほんどでだいきぼなせんとうがおこなわれたゆいいつのじれいであり、おおくのじゅうみんがせんとうでしんだことがさいだいのとくちょうであろう。とうじのおきなわじゅうみんの4にんに1ひといじょうがしに、じゅうまんにんあまりがぎせいになっておりせんとういんよりじゅうみんのほうがししゃはおおい。
このおきなわせんをとくちょうづけるのが、「しゅうだんじけつ」とじゅうみんぎゃくさつであり、そのなかでもしゅうだんじけつは2007ねんそのじったいがろんそうになりいっぱんにもかなりしられた、NHKではそうどうそうきにくわしいばんぐみをほうそうしている。
“しゅうだんじけつ”62ねんめのしょうげん〜おきなわからのほうこく〜 NHKくろーずあっぷげんだい 2007ねん6がつ21にち(き)ほうそう
「しゅうだんじけつ」がじっさいにはじさつではなくにほんぐんによってしいられたしであり、じゅうみんぎゃくさつとはじゅうみんのあめりかぐんへのこうふくをそしするためのじゅうみんへのきょうはくのけっかであったことは、はやしひろしやあんひとしやまさあきなどのけんきゅうしゃへのけんきゅうであきらかになってきている。
1945ねん3げつまつにれんごうぐんがしんこうし、4がつ1にちにほんとうにじょうりく。6がつ23にちのにっぽんがわしれいかんのうしじまちゅうじょうのじけつによってしゅようせんとうはしゅうりょうするが、いごもせんとうはつづき、いちぶぶたいはしゅうせんまでざんそんしている。とうじのおきなわには40まんをこえるじゅうみんがそんざいしており、これをまきこむかたちでせんとうはてんかい、じゅうまんいじょうといわれるたすうのみんかんじんぎせいしゃがでたことでもしられる*1。
おきなわせんはにちべいそうほうにとってほんどじょうりくのもでるけーすであり、そのいみにおいては「けっせん」であった。
おきなわにさきだつたいわんおきこうくうせんとれいておきかいせんによって、にほんかいぐんのせんとうりょくはじじつじょうしょうめつしていた。たいへいようのたたかいがとうしょとすいじょうこうつうみちをめぐるたたかいであったことからすれば、このじてんでせんそうのしょうはいはかくていしていた。
しかし、にっぽんがわはこうわをもとめられるようなこくないじじょうになく、あめりかがわとしてはさらなるせんかがひつようであった。こうしてりつあんされたおきなわこうりゃくさくせんであるあいすばーぐさくせん*5は、にっぽんほんどへのじょうりくさくせんをおこなうためのきちをかくほするとともに*6、にっぽんのほんごくりょうどをせんりょうすることによるせいじてきなこうかもしやにいれたものだった。
いっぽうのにっぽんがわにとってもじじょうはおなじであり、りくじょうさくせんをてんかいできるだけのちせきをゆうするおきなわほんとうでのせんとうは「くるべき」ほんどけっせんのひながたとなるものだった*7。ここでおおきなしゅっけつをきょうようすることでべいがわにほんどけっせんへのちゅうちょをあたえ、(こうわにおける)なんらかのじょうけんをえられるかのうせいがあるとかんがえられていた*8。
しょうわ19ねんあき、にっぽんがわのぼうえいせんちからのちゅうかくであるだい32ぐんは、たいりくからてんようしただい9しだん、だい24しだん、だい62しだんの3こしだんをもち*9、さらにぐんちょっかつほうへいとしてだい5ほうへいしれいぶがおかれた。
さくせんいはかとしてはたんじゅんめいかいであり、てきじょうりくのちにゆうりょくなほうへいしえんしたに3こしだんをしゅうちゅうしたこうせい*10をじっし、じょうりくぶたいをげきめつするというものである。ひつぜんてきにじょうりくにさきだつじゅんびほうばくげきにたえうるちくじょうにもいがそそがれた。
しかし、1944ねんにふぃりぴんせんがはじまると、たいわんぼうえいのためにだい32ぐんからいっこしだんをてんようするというはなしがもちあがる。もちろんこれはぜんさくせんこうそうのひていにつながるものであり、だい32ぐんははんたいしたがさいしゅうてきにはおしきられるかたちとなった。
けっきょく、だい9しだんがたいわんにてんようされ、だいほんえいがかわりにおくるとしただい84しだんはゆそうこんなんとしてはけんちゅうしになり、さきしましょとうにもへいりょくをぶんぱしたままにする、というきわめてにっぽんてきなあいまいかつちゅうとはんぱなかたちでけっちゃくした*11。
3こしかないほんとうはいびしだんの1こをうったことで、さくせんこうそうはぜんめんてきにへんこうされた。かいがんほにたいするこうせいはほうきされ、ないりくでのふくしきじんちのちくじょうとそこでのじきゅうさくせんがゆいいつのかのうなけいかくとなった。このため、えんがんぶやひこうじょうなどのぼうえいもじじつじょうじょがいすることとなった。
たいへいようせんそうのあめりかのはんげきはみなみたいへいようのがだるかなるじょうりくでかいしされた。そろもんでのしとうのけっか、にほんこうくうせんりょくのさいせいえいぶぶんはかんぜんにしょうもうし、そのままほんとうのいみでふっかつすることはなかった。
かれらのこうせいじくは2ほん、ちゅうぶだいせいようをせいしんするものと、なんぶたいへいようからせいほくにすすんでふぃりぴんをめざすものである。ぜんしゃはでんとうてきなおれんじぷらんにもとづくすいじょうけっせんとにっぽんふうさにいたるみちであり、こうしゃはいわずとしれたまっかーさーのいにしあちぶによるものだった。かいぐんとりくぐんのたいりつというそくめんもあるこのぶんれつはおおきなもんだいとなったが、さいしゅうてきにはあめりかのこくりょくがすべてをかいけつした。まりあなにはにっぽんほんどくうしゅうのきょてんがきづかれるいっぽうでまっかーさーは「あい・しゃる・りたーん」のこうやくをはたし、かいぐんはさいごのもくひょうであるおきなわにめをむけていた*12。
よていでは1945ねん1がつにいおうしまをこうりゃくし、3がつ1にちにおきなわへのじょうりくをかいしするてはずとなっていた。が、ふぃりぴんでのせんとうちえんとてんこうあっかにともない、じょうりくさくせんは1つきおくらせ、ほんとうへのじょうりくかいしは4がつ1にちとされた。
3がつ26にち、べいぐんのいちぶがよしりょうかんしょとうにじょうりくさくせんをおこなういっぽう、じょうりくしょうめんをぎまんするためのようどうさくせんをいった。
つづいて4がつ1にちそうちょうより、せんかん10せきをふくむゆうりょくなほうげきぶたいのじぜんほうげきとくうぼとうさいきによるしえんばくげきがしゅうえりくかいきしであるかでなにたいしてかいしされた。つづいてだい10ぐんしゅりょくのじょうりくがおこなわれた。べいがわのよそうにはんしてにっぽんがわはみずぎわぼうえいをほうきしていたため、ほとんどかんぜんなむけつじょうりくとなった。にちぼつまでには6まんいじょうのへいいんがおきなわのちをふみ、さいじゅうようもくひょうであったひこうじょう*13のせんりょうにもせいこうしていた。そののちもべいぐんのぜんしんはつづき、4がつ3にちはしまのひがしかいがんにとうたつ、おきなわほんとうをなんぼくにぶんだんした。
が、4がつ7にちごろにべいぐんがだい62しだんのしゅていこうせんにとうたつするとせんとうはほんかくかした。じゅうぶんなほうへいしえんをうけたにほんぐんが、じゅうぶんなきょうどでこうちくされたじんちでまちかまえており、しゅほうめんでのべいぐんのぜんしんはちちとしてすすまなかった。これはじつに、たいへいようせんいきでべいぐんがはじめてけいけんする「ほんとうの」りくせんだといえた。
それでもひるまはこうくうしえんとかんぽうしゃげきのいりょくによってわずかなりともぜんしんすることがかのうだったが、それらのしようできなくなるやかんにはにほんぐんのはんげきによっておしもどされることもしばしばだった。ちたいせんとうのまつ、4がつ25にちごろまでにはだい62しだんのせんりょくはたいはんがうしなわれたが、べいぐんもわずか5kmほどのぜんしんしかはたせてなかった。
4がつ29にち、こんごのさくせんほうしんをけっていするかいぎがだい32ぐんにおいておこなわれた。かくほうめんからだい32ぐんにたいしてこうせいさくせんをようきゅうするこえがおおきく、いちぶのはんたいいけんにもかかわらず5がつ4にちにぜんめんてきなはんげきさくせんをじっしすることになった*14。
5がつ4にち、にっぽんがわのこうせいがかいしされた。もちろんそれまでせいこうしていたせんぽうをほうきしたにっぽんがわにたいしてせんうんがめぐるはずもなく、(いちぶにけんとうしたぶたいもあったものの)けっきょくはやく5000のそんがいときちょうなぶっしのしょうもうをもたらしただけでこうせいはそうそうにちゅうしされた。いご、だい32ぐんはほんらいのじきゅうさくせんにもどる。
5がつ12にちから18にちにかけて、にっぽんがわのしゅりぼうえいらいんのようしょうしゅがーろーふ(52こうち)をめぐるげきせんがくりひろげられ、かいへいたいはおおきなぎせいをはらいつつもこうちをかくほした。
ここがなんらかのけつだんがかのうなさいごのたいみんぐだった。あくまでもしゅりでさいごのいちへいまでていこうをつづけるか、それともたほうめんにうつってさらなるじきゅうせんをつづけるのか*15。
さいしゅうてきにはおきなわほんとうなんぶ、きやむはんとうへてったいし、そこでじきゅうせんをけいぞくすることとなった*16。
なんぶいったいにはせんかをさけたじゅうみんたすうがりゅうにゅうしており、このけっていによってそこがせんじょうとなることがかくていした。いちおう、さくせんちいきがいとしたちねんはんとうへのひなんがしじされたが、せんとうけいぞくなかのこんらんなどによってそれがじゅうぶんにはたされることはなかった*17。
5がつ30にち、ぐんしれいぶはさいごのしょざいちとなるまふみひとにいてん。ほかのぶたいもじゅんじしまみなみにいっった。いちおうはてったいじたいはせいこうしたことになっているが、じっさいにはこのかていでしきはおおきくどうようし、いごのせんとうのようそうにさまざまなあくえいきょうをあたえるしゅいんのひとつとなっている。
*1:やくしょのきろくがせんかでしょうめつしたり、いっかぜんめつしたりなどのりゆうでしぼうかくにんがなされていないぎせいしゃもたすうそんざいするとみられ、じっすうはみかくていのままである。げんちちょうようされたにんをどこまで「みんかんじん」とするのかもむずかしい
*2:どこでくぎるかはしょせつあるが、ここでは「おきなわせんがいせつ」にならい、れんごうぐんによるじょうりくまえこうげきのかいしからうしじまちゅうじょうじけつによるしれいぶしょうめつまでとした
*5:Operation Iceberg
*6:ぐんじてきようきゅうとはべつに、あいてにじょうかのめいをしいるためのてつづきのいちぶとしても「じょうりくさくせんのためのきち」はひつようである。
*7:ほんとうにほんどけっせんをおこなえるとかおこなうべしとかんがえていたかは、やはりべつもんだいである
*8:むろん、このようなめいかいかついっかんしたぐらんどでざいんをにっぽんがわしどうぶがきょうゆうしていたわけではなく、むしろぎゃくに、こんらんしたしどうによってぎせいをふやしたばめんがたたみられる
*9:ほかにだい32しだんがさきしましょとうほうめんにあった
*10:もちろんやしゅう
*11:とうぜん、ぐんちゅうおうにたいするだい32ぐんのふしんかんはきわめておおきなものとなった。このきにおよんでもほんどけっせんにそなえてせんりょくをおんぞんするのか、それともおきなわにぜんぶつぎこむのかすらきめられなかったというのがとうすいのじったいだった
*12:とうしょのよていはたいわんじょうりくのこーずうぇいさくせんだったが、1944ねん10がつのさくせんみなおしでゆうせんじゅんいをさげられていた
*14:かいぎのけいいについてははちはらこうきゅうさんぼうのかいそうなどによる
*15:ふつうのくにであればしゅていこうせんをとっぱされたら、あるいはそのてまえあたりでこうふくするはずだが、いうまでもなくとうじのにっぽんは「ふつう」ではなかった
*16:にっぽんがわのちくじょうのうりょくのせいやくで、しゅりのふくしきぼうぎょじんちがかんせいしていなかったことがおおきなげんいんだとされる。
*17:このげんいんについて、にほんぐんのたいしつだのてんのうせいこっかだったからだのなんだのといろいろしてきすることはかのうだが、けっきょくはたいがいせんのけいけんがふそくしていたというてんにもとめうる。ふつうはせんそうにまけてもくにはのこる(というかのこるようなまけほうにとどめるようにどりょくする)はずだし、こくみんがいきていればさいきをはかれるはずである。せんじこくさいほうだのひせんとういんのほごだのも、それらのぜんていをきのうさせるためのるーるであるとのいしきがなかったようにおもわれる
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