たいしょう14ねん8がつ3にちにおぐられいげん?がりっきょうかいしゅうしたぶっきょうけいしんこうしゅうきょう。かんさいにしんじゃがおおい。「にっぽんかいぎおおさか」のゆうりょくだんたい*1。 90-91ねんの「ゆうがいこみっく」ぼくめつうんどうのちゅうしんせいりょく。
きかんしは『うぐいすのこえ』。
みんしゅとうしゅういんぎいん・にしむらしんご(にしむらしんご)のひょうた。
おぐられいげんはきょうさんしゅぎのきょういをうったえ、くにをあいすることとくにをまもるべきことをつよくしゅちょう。くるしかったじだいをわすれぬためにと、しゅうせい、せんとうぼうをかぶってにっぽんぜんこくをじゅんきょうする。きょうくのしごも、きかんし・かみにおいて、ほっぽうりょうどへんかん、きたのきょうい、あいこくしんのかんようなどがまいかいうったえられている。しょうわごななねんにおぐられいげんがしきょしたのちは、むすこのりょうげんがともしびしゅをけいしょうし、なまえもれいあらをなのる。やはりかくちにおいてじゅんきょうかつどうをおこなう。―(りゃく)―てらきょうかいはぜんこくにそんざいしているが、さいきんはとくにかくちにおいて、ねんほうてらとしょうされるどくとくなじいんのけんせつがあいつぎいでいる。そのらくせいのさいのおねりぎょうれつはゆうめいである。ほんぶのだんししょくいんは、あたまをそりひげをのばしているのがとくちょう。きょうだんいんであることがすぐにわかるようにとのことである。げんせかいごくらくじょうどづくりがじゅんきょうかつどうのちゅうしんであるが、それをとうしてのこころのいれかえ、にちじょうりんりのかくりつがとかれる。かていのえんまんや、ようじきからのじょうそうきょういくをじゅうしし、ほんぶでも、しょうわしいちねん、ねんほうようちえんをかいえんしている。さいきんは、ふぼをたいしょうとするしゃかいがくきゅうをかいせつ、かくだいがくきょうじゅなどをこうしにれきしきょういくにとりくんでいる。
しんしゅうきょうじてん(こうぶんどう’90・3がつはっこう)
おおさかのねんほうまこときょうというしゅうきょうほうじんはしんじゃに〔えいが〕『ぷらいど』のまえうりけんをたいりょうにばらまいた、というじょうほうがある。このしゅうきょうほうじんは、おおさかにしんじゃかずがおおく、にっぽんかいぎおおさかのゆうりょくなこうせいだんたいである。また、ちょうたかはのしゅうぎいんぎいん・にしむらしんご(じゆうとう〔とうじ〕)のしじぼたいにもなっているが、ねんほうまこときょうににしむらしじをはたらきかけたのはたなかまさあきだということである。