きょうとのごやまのおくりびでゆうめいなだいもんじやま。30ふんていどでのぼれる、とざんしょしんしゃむけのやまである。おおもじがあるにしがわのまえみね466mをだいもんじやま、さいこうてんであるしゅほう474mをにょいがくとよぶ。にょいがくはだいもんじやまとひとつづきのやまで、きょうとがわからはまったくみえない。むかしはりょうほうをあわせてにょいがくとよばれていたが、げんざいではべつべつのやまとしてあつかわれているが、しばしばこんどうされることもある。
おおもじおくりびのきげんはこうぼうだいしそうしせつやあしかがやつしろしょうぐんぎまつりごとが、むすこのしょうぐん・ぎたかしがわかくしてびょうぼつしたのをかなしみえんとくがんねん(1489ねん)のはつぼんのとき、そうくにてらのけつそう・よこかわけいさん(おうせんけいさん)がおおもじをかき、かしん・はがそうぶ(はがかもん)がせっけいしてひをともしたという。そうくにてらひゃくじゅうごよのいめいしゅうけい(1731〜1808)のすみあとにこのじじつがくわしくしるされている。しかし、おおもじおくりびのもっともふるいきろくはふなばししゅうさとしのにっき「けいちょうにちけんろく」のけいちょうはちねん(1603)の「やまやまともしびをやく。みごとにひがしかわらにいでおわんぬ」とされている。らくちゅう(きょうとしちゅうしんぶ)からせんれつにながめられるおくりびのきろくがさんびゃくきゅうじゅうねんまえまでしかさかのぼれないのはふしぎである。
えどじだいいぜんのぶんけんにとくにきさいはなく、きんだいにいっってしょせつがとなえられている。まずだいはほしかたちをじにあらわしたものというかんがえかたがある。これはぶっきょうでいうあくまたいさんのごぼうほしのことである。このほしはほくしんをいみするというみかたもある。ほくしんはほっきょくせい、あるいはほくとしちほしのことである。うちゅうにあって、よるごとそのいちをかえないほっきょくせいはしんかくかし、しんこうのたいしょうとなった。ちばしゅうさくはつるぎのいっぱをうちたて、ほくしんいちとうりゅうとしょうしていたことはよくしられている。ほくしんはほくしんごんげんとよばれ、ほくしんまつりがおこなわれた。ならあさからへいあんじだいにかけ、ちょうていでは「おとう」としょうし、いんれきさんがつとくがつに、やまにおとうをそなえ、ほくしんをまつった。このばしょはきょうとでは、きたやまれいがんてらふきん(いまのにしかもふねかたちおくりびふきん)からがつはやしてら(ひえいざんやまれい)えんせいてら(だいもんじやまれいしかたにふきん)へとばしょはかわったという。これをもっておくりびのきげんとするせつもある。つぎはこうぼうだいしがおおあざかたにごまだんえをつくったことによるというせつである。じもとのじょうどてらちくでは、ひろのりさんがじんたいになぞらえてだいのじけいにごまだんをつくり、きょうようをし、びょうまたいさん、ごこくほうじょう、こっかあんたいをきがんされたというでんしょうがのこっている。また、ぶっきょうではあらゆるぶったいをこうせいするよっつのげんそをそうていしている。それはち・みず・ひ・かぜのしもので、よんだいとよばれており、じんたいもこれからなり、おおもじはこれをいみするともいわれている。
だいにじせかいたいせんなか、おくりびはちゅうしされていたので、かわりにそうちょうにしろいしゃつをきたしみん(じもとのだいさんきんりんしょうがっこうのじどうら)がやまにのぼり、ひともじで「だい」をえがいた。
すうじゅうねんまえ、おくりびのとうじつにだいがくせいが、てんかとどうじに、だいのじのみぎうえぶぶんでひをふんいき、「だい」ではなく「いぬ」のもじをうかびあがらせた。もちろんおおさわぎになり、だいがくせいはたいほされたという。