ふじたまことのあたりやく。ひっさつしりーずのかおともいえるか。
ふぁんのかんではやまざきつとむがえんじたねんぶつのてつ?とにんきをにぶんするが、いっぱんしちょうしゃからはなかむらもんどのほうがあっとうてきにちめいどがたかいようだ。
ぶぎょうところのやくにんであくにんをとりしまるたちばのにんげんが、じつはひとごろしでいちばんのごくあくにんだった、というきゅうきょくのにめんせいをふかさくきんにがこうあん。とうしょは、ぜんさく『ひっさつしかけにん』のにしむらひだりない(はやしよいち)にかわるつるぎのたつじんというせっていももりこまれていたが、するどいたちでのころしだけでなく、ちーむぷれーのいっかんとしてほかのめんばーのころしのさぽーとにまわるばあいもある。
いえやしょくばではだめにんげん。しかし、うらではすごうでのころしやというにめんせいがさらりーまんせだいにしじされ、しごとにんいこうばくはつてきなぶーむをよぶこととなった。
はいやくにはなんこうしたが、くどうえいいちやのがみたつおのすいせんもあり、とうじ『てなもんやさんどがさ』のだいひっとのちもふるわずにんきがしたびとなっていたふじたまことをばってきした。
さどかなやまぶぎょうところのどうしんをへて、きたまちぶぎょうところどうしんとなる。ねんぶつのてつ(やまざきつとむ)、かんおけのじょう(おきまさや)とはさどでしりあった。また、さどかなやまぶぎょうのむすめ・さわ(いけうちじゅんこ)とつきあっていたこともあった。ちなみに、さわはどういうけいれきか「まつかぜのさわ」というしごとにんとなっておりもんどとさいかいすることとなる。そののち、ちばにあるきたおおじいえからなかむらいえへとむこいり。からだがじょうぶであり、こどもをつくることにじしんがあったことをなかむらいえとうしゅ・なかむらせん(すがいきん)にみとめられ、むすめであるなかむらりつ(しらきまんり)とけっこんするが、どれだけふうふのいとなみにはげんでもこどもはできず、ついには「たねなしかぼちゃ?」とまでいやみをいわれるようになってしまう。くわえてよのなかのしくみやせいどにたいしてじょじょにせいぎかんはかれはてていき、どうしんというしょくぎょうにいやけがさしたのかしょくむたいまんがめだち、ぶぎょうところないでもつるぎのうではたつものの、ちゅうこうともしびとこばかにされるようになる。
りゅうははおくやましんいんりゅう、いちかたなむしんりゅう、おのはいちとうりゅう、こころかたちとうりゅう、おんたけしんいんりゅうの5つをしゅうとく。いずれもめんきょかいでんのうでまえである。きたまちぶぎょうところにいたごろはぶぎょうところのなかでも5ほんのゆびにいるつるぎのうでまえでいちもくおかれていたそんざいであったが、みなみまちぶぎょうところにてんにんとなってからはなぜかだれもつるぎのうでまえをしらないということになっている。また、もんどじしんもつるぎのうでまえについてはくちをとざしている(うらかぎょうにたずさわっていることにかんつかれないためか)。
さどかなやまぶぎょうところじだい、やくにんとにんそくというかんけいでありながらもねんぶつのてつ(やまざきつとむ)とかんおけのじょう(おきまさや)の2にんときみょうなゆうじょうでむすばれた3にんは、えどにもどってきたのち、あるじけんをきっかけにほうでさばけぬあくにんたちをやみでさばく「しおきにん?」をはじめる。このひごうほうなかたちであくにんをまっさつしていくことにじぶんのいばしょをみだしたもんどであったが、やがてねんぶつのてつ、かんおけのじょうとわかれることとなり、もんどものちをおおうとするも、ねんぶつのてつにやめられひとりえどにのこることとなる。
くろふねらいほうにわくえどのまちにおいて、ねんぶつのてつ、かんおけのじょうとわかれたのちも、もはやじゃくしゃにのみおうぼうなけんりょくをふるうけいがいかされたぶぎょうところにたいしてかんぜんにしつぼうをしながらも、いきるためにどうしんをつづけている。そんななか、いといみつぐ(いしざかこうじ)、むらさめのだいきち(こんどうようすけ)とであい、かれらにじぶんたちとおなじあうとろーのにおいをかぎつけうらかぎょうにすかうと。えどにもどってきていたしおきにんとうじのなかま、おひろめのはんつぎ(あきのたさく)、てっぽうたまのおきん(のがわゆみこ)とふたたびうらかぎょうをはじめる。ちなみに、いといみつぐ、むらさめのだいきちのりょうめいは、なかむらりつのあねやいもうととかんけいをもっており、うらかぎょうのぱーとなーがぎりのきょうだいというおもしろいせっていであった。
ぐうたらなしょくむたいどであったはずだが、なぜかきたまちぶぎょうところよりもくらいのたかいみなみまちぶぎょうところにてんぞく。とりいかいしゅ(しむらたかし)のはいかとなる。きたまちぶぎょうところにくらべてきりつのきびしいみなみまちぶぎょうところでのしょくむにせんせんきょうきょうとするが、けっきょくたいせいはそれほどかわらず、ちゅうこうともしびをきめこむこととなる。うらのかぎょうからはあしをあらっていたが、あるにちやみせかいでかおがきくかみゆいのおこう(なかむらたまお)にめをづけられ、うらかぎょうへのふっきをうながされる。そして、さつじんましーん・いちまつ(おきまさや)、いんげん(しんかつり)とのであいをきっかけに、ころしやへふっきすることとなる。このじきから、しおきにんときだいのように「あくのうえをいくあく」になるのではなく、ころしをびじねすとしてわりきってうけおうという、のちのしりーずのうけおいたいせいがこうちくされていった。
いんげん、おこうとのしべつと、いちまつのとうぼうほうじょのため、ていまちまわりどうしんからろうやみまわりどうしんにかくさげされた。くびにはまふらーをまき、はおりもこげちゃしょくというしなびれたいんしょうだが、それでもせいかつのため、いきのこったしゃさん(わたなべあつし)と、せいかくがまるであわないやいとやまたうえもん(だいしゅつしゅん)とうらかぎょうをつづけざるをえないじぶんにたいしてじぼうじきとなっているようなじょうたい。そんななか、じょうきゅうはんさむらいというやくそくされたみぶんからだらくしてしまったあかいつるぎゆきすけ(なかむらあつお)、そのつれあいのおうた(なかおみえ)とであい、きんだけがおたがいをつなぎやめるどらいなうらかぎょうをいとなんできたが、さいしゅうかいにおいてつるぎゆきすけのそうぜつなしにさまをみたうえで、それにむくいるためのはたしあいにおうじた。いまさくのつるぎゆきすけのしにさまは、もんどのこころのなかにながいかんしこりのようにのこることとなる。
じごくのそこのようにくらくみじめなしわざにんときだいであったが、ろうやにおいてだつごくをみぜんにふせいだこうせきによりていまちまわりどうしんにふっき。ながくくるしいうらかぎょうのせいかつからかいほうされ、おもてのしごとでもこうみょうがさしはじめたせいか、じぶんをていまちまわりどうしんにふっきさせてくれたよちからのため、てがらをたてるべくとうほんせいそうしている。そんななか、さいかいしたのがきゅうゆう・ねんぶつのてつであった。ほんらいならばだきつくいきおいでよろこぶはずなのだが、おもてのしごとがきどうにのりはじめてきたことにくわえ、じごくのようなつめたいうらかぎょうや、そこにいきつくことしかできず、あげくみじめにしんでいったつるぎゆきすけのことがどうしてもあたまからはなれないもんどは、「とらのかい」のそんざい、そしてしおきひとじたいのそんざいをみとめたくないゆえに、にどとあわないようにとてつとわかれる。しかし、おんぎあるよちからがもんどをりようしようとするあくにんであったため、せけんにしつぼうし、またころしやのみちをあゆむのであった。てつとの、おたがいきがゆるせるおちついたつきあいはながくつづくものとおもわれてきたが、うらかぎょうのこうそうにまきこまれてつがしぼう。もんどはてつがしぬちょくぜんのすがたをみおくったわけだが、うらかぎょうをおこなういぎをうったもんどは、ふたたびうらかぎょうからあしをあらうのだった。
ののむらおやかたのずばっ!にっき 2008〜How do you like SAPPORO?〜
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