2008-07-11
みちかがみってなんだかすごくね?
ぶっきょうびじゅつすきとしてはやはりきょうみもつところでありますしんぶつしゅうごうかんれんをさいきんいろいろしらべてます。
しんぶつしゅうごうりろんしとしては、てんだいやらなんやらのすごくかしこくちしきのあるそうが、しんぶつのかんけいについていろいろなりろんをうちたて、いろんなせつがでますが
とてもじゅうようなそんざいとしてしょうとくてんのうのそんざいがあげられる。
しょうとくてんのうはぶっきょうをおもんじたてんのうで、みずからしゅっけしにそうとなります。(おんなみかどです)
しかしてんのうであるからにはしんとうのぎしきがあるわけです。このりょうしゃのかんけいをりくつつけるため
しんぶつしゅうごうろんりがせいびされます。
つーかしょうとくたいしのごろから、てんのうけはしんとうがあるのにぶっきょうをこっかとしておもんじるというむじゅんがあって、それまでだましだましでむかいあわないできたのを
やっとこさりろんたてたというこうせきであり、すごいしごとだとおもう。
こっかとしてぶっきょうをおもんだしたのははるかにむかしなわけで、ほんらいもっとせんじんがやらねばならなかったことのしりぬぐいさせられたかたちといえるとおもう。
さて、しょうとくてんのうといえばてんかのあくそうであるみちかがみである。
ぶっきょうてきにはしょうとくてんのうはみちかがみのでしにあたるわけです。このしんぶつしゅうごうりろんなどにおそらくみちかがみがかかわってるわけですが、しらべればしらべるほど、みちかがみがいかにけっしゅつしたじんぶつかとわかってくる。
ただものではない。さんすくりっとごにもせいつうしていてなんかいなぶってんをまなんだすごいちしきのそうというはなしだが、
しょうとくてんのうのしんぶつしゅうごうりろんはいんどのかみがみをぶっぽうのしゅごしゃとしていちづける「かねみつめいさいかちおうけい」によるものらしいが、そこまでてんのうにちしきがあるともおもえないし
やはりしのみちかがみがきほんりろんをかんがえたのだろう。
つまるところ、しょうとくたいしいらいみながにげてきたてんのうけのしゅごしんとぶっきょうのいちづけのせつめいについて、みちかがみがすっきりりろんだてたわけで、てんさいである。
けっきょくふじわらしにうとまれさせんされるわけだが、みちかがみあくそうせつのろんきょはふじわらしかんの「ぞくにっぽんき」のみであり、そののちのめいじのこうこくしかんできょうちょうされただけでかなりじっさいのところまゆつばである。
おんなみかどとかんつうというせつも、そうがじょせいとまじわればとうじならそんなもんそうせきはくだつ。ばつをうける。しかしそんなのつゆほどもないわけで、そのとうじそんなはなし、うわされべるですらあったのかうたがわしい。
ぶっぽうによるこっかけんせつをめざし、じゅんすいにぶっきょうはかせとでしというぴゅあなかんけいなのでは?というきがする。あそこまでみちかがみにというより、ぶっきょうしそうにけいとうしてるしょうとくてんのうがかんいんするだろうか?
こうそうをおもんじるというのも、たんじゅんにだいぶつでゆうめいなちち、ひじりたけしてんのうのぶっきょうろせんをおしすすめただけでは?
ぶっきょうをすいしんしてこっかをおさめたしょうとくてんのうのちせいというのは、じつはすいこてんのうとせっしょうのしょうとくたいしのじだいをめざしてそのようなことではないのか?というきもするわけです。(じっさいにしょうとくたいしじだいのちせいをめざしていしきてきにみちかがみをせっしょうてきたちばにもちいたかのうせいすらあるとおもう)
しょうとくてんのうしきょののち、えいきょうりょくをなくし、かつてのしょうとくたいしのようにせいじのおもてぶたいからしっきゃくしてしまうが、べつにころされたわけでもないし、こういをねらったなどもしょうこはない。
しんたくじけんでなににもなってないことから、みちかがみとはこのじけんじっさいはあまりかんけいなかったのではないかとのせつもおおい。
つまり、もしれきしがすこしちがったら、しょうとくたいしのようなてんのうをたすけてぶっぽうによるこっかこうちくにじんりょくしたてんさいてきなこうそうというひょうかがつたわってたかもしれないわけです。
てんたけしてんのうけいとてんさとるてんのうけいのこうとうのへんせんや、ふじわらしのいこうなど、せいかくなとうじのひょうかがいまにつたわっていないかのうせいがあるのですが、
やはりいちぞくもそのままかんしょくだし、しっきゃくのちもとくにばつもうけてないし、たんじゅんにてんのうがだいたいわりしたことでせいじからはなれたというだけというじょうきょうをみるに、
あくそうせつはそのままうけとるわけにはいかないとおもいます。