2008-10-25
■きくではなく
しょうぜん*1
『しこくしんぶん』にけいさいされたきょうどうつうしんのきじ;
2008/10/25 11:13
【うぃーん25にっきょうどう】こんげつ11にちにこうつうじこししたおーすとりあのきょくうせいじか、いえるく・はいだーしについて「どうせいあいものか?」(APつうしん)などのほうどうがおうべいでひろがっている。なちすようごやがいこくじんはいせきはつげんなどでぶつぎをかもしたどうしのいがいなわだいに、おうべいめでぃあがとびついたかたちだ。
きっかけははいだーしのしご、おーすとりあみらいどうめいのとうしゅのざをひきついだぺっつなーしがじもとめでぃあに、はいだーしを「かけがえのないにん」「とくべつなかんけい」などとなみだながらにかたったこと。
はいだーしがじこまえにどうせいあいものがあつまるばーにいたとするじもとめでぃあのほうどうもさわぎにはくしゃをかけた。みらいどうめいはりょうしゃのどうせいあいかんけいをひていしている。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/article.aspx?id=20081025000182
かくじつにいえることは、「どうせいあい」とふぁしすとというすてれおたいぷてきなれんかん*2がよーろっぱにおいてはまだいきているということか。にほんごではきっかのちぎりというのだろうけど、どいつごでは?
2008-08-21
■なかかんぶんかまさついろいろ
しょうぜん*1
かんこくがれきしをぱくった?!ほうどうはでまとたいしがはんろん―かんこく
2008ねん8がつ17にち、ぺきんしでしんせいしょうちゅうちゅうごくかんこくたいしはちゅうごくかくしがほうじた「かんこくかみ・ちょうせんにっぽうがそんぶんはかんこくにんとほうどう」とのにゅーすはでまにぞくするものとはつげんした。18にち、ちゅうごくしんぶんしゃがつたえた。
7がつ31にち、ちゅうごくかみ・しんかいほうは「ちょうせんにっぽうがかくめいのちち・そんぶんはかんこくにんとほうどう」とのきじをけいさい、おおきなさわぎをよんだ。おおくのねっとゆーざーがかんこくがれきしをぱくったとげきど、いかりをしめすかきこみがすうまんけんもあったという。しかし、このほうどうはかんぜんなごほうであり、ちょうせんにっぽうはそのようなきじをけいさいしておらず、またきじちゅうにこめんとがいんようされたせいひとしかんだいがくれきしがくかのぼくふんよしきょうじゅもじつざいしていないという。このほかにもかんこくかみ・とうあにっぽうが「かやく、らしんばん、かみ、かっぱんいんさつのよんだいはつめいはかんこくにんがはつめいしたもの」とほうどうしたとのでまもながれている。
しんたいしは「あきらかにじじつとはことなるほうどうだが、すでにひろまりおおくのちゅうごくじんをきずつけた」としてき、ただし「2おくにんのゆーざーをだえるちゅうごくねっとかいにこべつにしんじつをつたえることはむずかしい」とうったえ、りょうごくねっとゆーざーがじじつにもとづいてじょうほうこうかんするようもとめた。(ほんやく・へんしゅう/KT)
2008-08-19 12:21:12 はいしん
これはいかのほうどうをうけてのこと;
またでたかんこくきげんせつ!「ちゅうごくかくめいのちち」そんぶんはちょうせんけっとう?―ちゅうごく
2008ねん7がつ31にち、かんこくのせいひとしかんだいがくれきしがくぶのきょうじゅが、「ちゅうごくかくめいのちち」とよばれるそんぶん(そんぶん)にかんするけんきゅうけっかをはっぴょうし、そんぶんがちょうせんみんぞくのけっとうをもっているとしゅちょうした。かんこく・ちょうせんにっぽうのほうどうをしんかいほうがつたえた。
きょうじゅによると、これはそんぶんのかけいはかと、ちゅうごくじんのしめいにかんするこしょをけんきゅうしたけっか、みちびきだされたせつだという。きげんぜん1000ねんごろ、ちょうせんはんとうのさいなんたん(げんざいのさいしゅうとうふきん)にきょじゅうしていたこだいちょうせんじんが、ちゅうごく・しゅうあさのためにしゅっぺいしたきわ、そのこうせきをみとめられてしゅうのそうししゃ・ぶんおうから「まご(げんざいのかなんしょうぎようけんふきん)」というとちをあたえられ、そのりょうしゅとなったおとこが「まごはく」となのったのが「まごし」のはじまりであり、つまりはちょうせんじんなのだという。まごいえのかけいず「すいとおるまごうじいえふ」にも「まごはくいらい、しゅうあさのだいかんとなったいちぞくは、そのりょうどめいからまごしをなのるようになった」ときさいされており、まごしのきげんはまぎれもなくこだいちょうせんじんにあるという。
そんぶん(1866〜1925ねん)は、ちゅうごくじんがいっしんにそんけいをよせるいじんである。しんちょうをだとうしてかのといかくめいをおこしちゅうかみんこくのしょだいだいそうとうにしゅうにん、きんだいちゅうごくへのとびらをひらいた。そのこうろうから、たいわんでは「くにちち」ともよばれている。さらに、「かくめいいまだならず」ということばをのこしたことでもしられている。きょうじゅは、そんぶんのしゅっせいちであるかんとんしょうにおもむき、ちょうさをいったところ、まごいえいちぞくのせいかつようしきにはあきらかにちょうせんぶんかのしきさいがみられ、いちぞくがのこしたぶんしょちゅうからも、ちょうせんもじをもちいたがいらいもじがたようされており、これらが、そんぶんのけっとうがちょうせんけいであることをしめすじゅうようなこんきょになっているという。
かんこくではこれまでに、ほんらい、ちゅうごくきげんとされてきたさまざまなじんぶつやじしょうを「かんこくきげん」としゅちょうしてきた。こだいのびじょ・せいし(せいし)やもうたくとう、NBAせんしゅのやお・みん(ようめい)はいずれもちょうせんけいのけっとうをもっており、かんぽういがくやたんごのせっくもかんこくがきげんであるとしゅちょうしている。さらに、ぶっきょうのそうししゃ・しゃかはいんどにんではなく、かんこくにんであるというせつまでとびだしているという。(ほんやく・へんしゅう/あいたま)
2008-07-31 22:45:53 はいしん
あと、いくつかをめもしておく。
でんとうのはっけずはかんこくはたのぱくり?!ねっとゆーざーにいかりひろがる―ちゅうごく
2008ねん7がつ28にち、にんきぽーたるさいと・あみえきのけいじばんで「かんこくねっとゆーざーがちゅうごくのはっけずはかんこくこっきのぱくりとひはん」とのぶんしょうがはっぴょうされ、おおきなわだいとなっている。
どうしょきこみによると、かんこくのきょういくではこっきたんじょうのものがたりはつぎのようになっている。1882ねん、こくおうのいのちをうけてほうにちしたぼくえいたかしがこっかだいひょうとしてこっきはふかけつとかんがえ、でんとうてきなたいきょくずをもちーふにつくったのがげんざいのこっき・たいきょくはただという。そののち、はっくつされたこだいのぼんしょうからもたいきょくずがはっけんされ、たいきょくずはちょうせんみんぞくのえいちのけっしょうとけんでんされているが、そのほこるべきぼんしょうはいまだこうかいされていないという。
いっぽうでちゅうごくのししょによれば、たいきょくはたたんじょうのものがたりはことなるてんかいをみせる。ぼくえいたかしがしゅっぱつまえにしんちょうせいふにちゅうごくのごつめりゅうはたのしようをだしんしたところ、しんちょうは「はんぞっこくはしつめりゅうはたのしようしかみとめられない」としてようせいをきょひした。このとき、ちゅうごくのしせつ・うまけんただしはちゅうごくでんとうのたいきょくはっけはたをこっきとしてしようすることをすすめ、ちょうせんせいふもうけいれた。これがたいきょくはたのはじまりだという。
とうこうしゃは「ここすうじゅうねんまのけいざいはってんだけでちょうせんみんぞくがせかいのそんけいをかちえるのにじゅうぶんではないか」としてきし、たこくのれきしとぶんかをとうようしてはじをかくことはないとひはんしている。
かんこくのたんごのまつり「こうりょうたんごまつり」がせかいむけいぶんかいさんにとうろくされていらい、なかかんのぶんかをめぐるあらそいはげきかしている。こうし、かんじ、かぜみず、かんぽうなどのちゅうごくぶんかをかんこくにんがじこくきげんだとしてぱくろうとしているとのふうせつがねっとにひろがり、ちゅうごくねっとゆーざーのはんかんこくかんじょうがたかまっている。(ほんやく・へんしゅう/KT)
※ぼくえいたかしのほうにちねんを1982ねんから1882ねんにていせいしました。
2008-07-30 12:41:29 はいしん
こんどは「かぜみず」をせかいいさんとうろく!?かんこくの“りゃくだつ”にしみんのいかりあらわ―ちゅうごく
2007ねん12がつ17にち、しんかいほうはかんこくが2008ねんまでにかぜみずのせかいいさんしんせいじゅんびかつどうをかんりょうするとほうどうした。ちゅうごくではしょみんのぶんかであるかぜみずだが、かんこくはこっかしどうしゃまでもかぜみずをじゅうししており、こっかがいちがんとなってとうろくかつどうをすいしんしているため、そのせいこうのかのうせいはたかいとききかんをあらわにしている。
どうかみによると、かんこくではかぜみずはあらゆるばしょでかつようされているという。ろたけしけんだいとうりょうのせんとけいかくではすうひゃくにんのかぜみずしがどういんされ、せんとこうほちをさがした。はんもとぶんこくれんじむそうちょうがしゅうにんしたのち、このいだいなじんぶつのはいけいをさぐるため2000にんのかぜみずしがちょうさにあたったところ、じっかのりょうよくにたかいやまがそびえており、かぜみずでいうところの“せんつるてんし”のちけいであることがあきらかとなったという。
また、さっかーのちゅうごくごりんだいひょうちーむとかんこくごりんだいひょうちーむがみずうみみなみしょうちょうさしでしあいをしたとき、かんこくだいひょうはかぜみずにまされたこうがいにしゅくはくするなど、さまざまなばしょでかぜみずはかつようされている。げんざい、こくりつちゅうおうはくぶつかんがしゅさいするかぜみずけんきゅうのこっかぷろじぇくとがすすめられており、せかいいさんとうろくのかのうせいはたかいという。
2005ねん、かんこくはこうりょうたんごまつりのせかいむけいぶんかいさんのとうろくにせいこう、ちゅうごくぶんかの“りゃくだつ”におおくのちゅうごくじんはしょうげきをうけた。そののち、かんじ・かぜみずのきげんがかんこくとしゅちょうされているとのふうぶんがひろまり、おおくのしみんは「これいじょうかんこくの“ぱくり”をゆるすな!」といかりのこえをあげている。
せんじつ、れこーどちゃいなでは「かんこくのかんじせかいいさんとうろくうんどうはごほう」とのかんこくかみのほうどうをつたえた。こんかいのかぜみずもんだいもちゅうごくのかじょうはんのうとのいけんもあるが、かんこくとのぶんかまさつがげきかするちゅうごくのげんじょうをつたえるほうどうといえそうだ。(ほんやく・へんしゅう/KT)
2007-12-17 15:42:37 はいしん
えっ!「かんじはちゅうごくきげん」じゃないの?かんこくの“ぶんかりゃくだつ”?にはんぱつつよまる―ちゅうごく
2007ねん12がつ12にち、しんかいほうは「ぶんかをめぐるなかかんのたたかい」とだいしたれんさいをかいしした。きんねんくりかえされるぶんかきげん・せかいいさんしんせいをめぐるあらそいをとりあげているが、とくにきんねんかんこくのいちぶがくしゃがしゅちょうしている「かんじかんこくきげんせつ」にちゅうもくしている。
きんねん、かんこくでは「ちゅうごくぶんかがじつはかんこくきげんだ」とのしゅちょうがあいつぎいではっぴょうされている。じゅきょうのしそであるこうしやこだいのびじょ・せいし、ちゅうごくいがくのめいちょ「ほんくさこうもく」のちょしゃ・すももじちんはみなちょうせんじんで、そればかりかかんぽう・かぜみずなどのちゅうごくぶんかもはんとうきげんだという。これらのかんこくきげんせつはたんなるしゅちょうでおわらず、こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん(ゆねすこ)にせかいいさんとしてとうろくしようとするうごきもみせているとちゅうごくではけいかいされている。じっさい、かんこくの「こうりょうたんごまつり」がせかいむけいぶんかいさんにとうろくされたことはちゅうごくにおおきなしょうげきをあたえた。
いま、とくにちゅうもくをあつめているのが「かんじかんこくきげんせつ」。きょねん10がつ10にち、ちょうせんにっぽうはかんこくそうるだいがくのぼくまさひできょうじゅによる「かんじはちょうせんみんぞくがはつめいした」とのがくせつをしょうかいした。どうきょうじゅははんとうでうまれたかんじがたいりくにもちこまれ、げんざいのちゅうごくぶんかをけいせいしたとしゅちょうし、かんこくせいふにかんじのふっこうとせかいいさんしんせいとをもとめているという。
せんじつ、こくさいせんくどうほうは「あまりすきではないくに」とのあんけーとちょうさ1くらいにかんこくがえらばれたとほうどうしたが、ねっとけいじばんをちゅうしんにかんこくの「ちゅうごくぶんかりゃくだつ」ともいえそうなうごきにはんぱつがつよまっている。(ほんやく・へんしゅう/KT)
2007-12-13 13:32:44 はいしん
もちろん、もりいめいがいっっているように、「かんこくでこうしやくつはらがかんこくにんだとかいんさつじゅつがかんこくではつめいされたとかいっっているのはごくしょうすうであり、しゅうえんてきないけんなのだ」ということはねんとうにおいておくべきだろう。ただ、にっぽんではつごうのわるいものをがいぶかするけいこう(たとえば〈ざいにち〉にんてい)がけんちょなのにたいして、じぶんたちがおりじんとなんでもとりこんでしまうところがかんこくりゅうなのか。にっぽんでももととくがあおもりでしんだというはなしがねつぞうされているし*2、またようきひがにっぽんでしんだというはなしもあるみたい。にっぽんがかんこくにたいこうするには、「こだいゆだやおうこく」のしゅとはしこくにあった*3をもちだすしかないか。ちなみに、うえのきじでげんきゅうされているおしゃかさま=ちょうせんじんせつだが、ちゅうごくにもろうしがいんどにわたっておしゃかようになったという「ろうしかこ」せつというのがあった*4。
ところで、うえのきじがちゅうごくにおけるじょうほうげんとしていきょしている『しんかいほう』というしんぶん*5はかんとんしょうではっこうされているしんぶんであるらしい。
また、「たんご」をめぐるちゅうごくとかんこくのあつれきについてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060602/1149270191もさんしょうされたい。かんこくのれきしきょうかしょをめぐるちゅうごくにおけるはんのうをめぐっては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070227/1172541762でげんきゅうしている。
2008-07-31
■「ていいんわれれ」
『よみうり』のきじ;
4ねんせいしだいの47%、ていいんわれれ…とうたのじだいむかえる
こんしゅんのにゅうしで、ていいんわれれをおこした4ねんせいのしりつだいがくはさくねんひ7・4ぽいんとぞうの47・1%にのぼり、かこさいあくになったことが、にっぽんしりつがっこうしんこう・きょうさいじぎょうだんのちょうさでわかった。
とうきょうのゆうめいしだいなどだいきぼだいがくでは、しがんしゃがふえていることもはんめいした。しょうこかによる「だいがくぜんにゅうじだい」をもくぜんにひかえ、こなかきぼのしりつだいをちゅうしんに、だいがくもとうた(とうた)のじだいをむかえているじったいがうきぼりになった。
どうじぎょうだんはつうしんせいだいがくなどをのぞくしりつだい565こうとしりつたんだい360こうをたいしょうに、こんねん5がつ1にちじてんのにゅうがくしゃのじょうきょうをしらべた。
ていいんわれれのしりつだいは、さくねんより44こうおおい266こう。にゅうがくしゃがていいんのはんすうにみたないだいがくも12こうぞうの29こうとかこさいただった。
しがんしゃかずは、いちどのにゅうしでふくすうがくぶをじゅけんできるせいどをかくだいがくがどうにゅうするようになったことなどから、さくねんひ1・3%ぞうの306まん3000にん。とくに、ていいん3000ひといじょうのだいきぼこう23こうのしがんしゃは151まん2500にんとさくねんを5・2%うわまわったが、ていいん800にんみまんのこなかきぼこう409こうは41まん8800にんで、6・3%もげんしょうした。
ちいきべつではぜんこく13ぶろっくのうち、ほっかいどう、みなみかんとう、こうしんえつ、ほくりく、とうかい、きょうと・おおさか、ちゅうごく、しこくの8ぶろっくがしがんしゃをへらし、とうほく、きたかんとう、とうきょう、きんき、きゅうしゅうではしがんしゃがふえた。なかでもとうきょうのしがんしゃは3・7%ぞうの128まん2000にんとなり、ぜんしがんしゃの42%をしめた。
しりつたんだいのていいんわれれもぜんねんひ5・3ぽいんとぞうの67・5%で、かこさいあくだった。
こんねんの18としじんこうはさくねんひ6ばんにんげんの124ばんにん。ていいんわれれのしりつだいがおおはばにふえたげんいんについて、どうじぎょうだんは「18としじんこうのげんしょうにくわえ、おおてゆうめいしだいがちほうでのしゅっちょうにゅうしなどでしがんしゃをあつめているため、にきょくかにはくしゃがかかったのではないか」とぶんせきしている。
(2008ねん7がつ30にち21とき46ふん よみうりしんぶん)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080730-OYT1T00688.htm
きじであげられているよういんのほかに、たとえばふぞくこうこうのこうかとかもあるんだろうな。
2008-01-31
■こだいゆだやおうこくのしゅとはにっぽんのしこくにあったのか、とか
しょうぜん*1
せつblogには、はんな・あれんと、えどむんと・ふっさーる、あるふれーと・しゅっつ、じゃっく・でりだというなまえがかなりのひんどでとうじょうするわけで、それだけであるひとびとからすると、〈ゆだやのてさき〉にんていということになってしまうのだろうか。
さて、http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-558.htmlで、「よにいうちきゅうおんだんかもんだいは、げんぱつさんぎょうをもどくせんする、ゆだやけんりょくによるただのぷろぱがんだであるかのうせいがきわめてたかい」という「いんぼうりろん」がしょうかいされている。たしかに、「ちきゅうおんだんかもんだい」をげんぱつをすいしんしたいにんがりようしているというめんはあるのだろう。「ゆだやけんりょく」というようごそれじたいがもんだいなのだが、では〈きょうとぎていしょ〉もんだいにしても、「ゆだやけんりょく」にちゅうじつであるとされているべいこくのぶっしゅせいけんが「ちきゅうおんだんかもんだい」にふねっしんなのはなぜなのか。そのさんぷるとしていんようされているにんは、
とかいている。ゆだやとかってきいただけでたんらくてきにれいしずむにちょっけつしちゃうかしこいふうみのだがしみたいなのうみそは、「ゆだやてきしこう」っていうもののみかたもできない「じんしゅ」にとらわれるきごうしゅぎのじばくしこう。
だからごりっぱといっっている
ハァァァァァァ。。。
あげくに、へっじふぁんどとか、さぶぷらいむとか
なんだかおんなじようなやつが、うろきょくうほら(ウロウロウロウロ)してますねぇ
しぇーくすぴあにまでやゆされるべねっつぃあのしゃいろっく
みずからそのようにふるまい、「たにんのちにくにかてをえる」きんゆうしほんしゅぎ。
れきしのなかでさげすまれさまがまったくもっておかまいなし
まず、「れいしずむ」のじしょてきていぎをいんようしておく――”a belief that race is the primary determinant of human traits and capacities and that racial differences produce an inherent superiority of a particular race”*2。いちもくであたまがわるそうだとはんだんできるぶんたいであって、たぶんこのにんは「 ゆだやてきしこう」ということばをつかいながら、ふろいともべんやみんもれう゛ぃなすもよんだことがなさそうなわけだが、「へっじふぁんどとか、さぶぷらいむとか」と、まったくべつのおーだーにぞくすることがらをへいきでへいれつしていることからも、このにんにしこうのうりょくがあまりないということはすいろんできるだろう。これはたんなるあつかましいばかということで、そのいみでがいはすくないのかもしれない。
しかしながら、りろせいぜんととんでもをのべているにんもいる。たとえば、
いんぼうろんなどといわれようが、この300ねんかんのせかいをぎゅうじってきたのはあきらかにゆだやけんりょくである。20ねんまえであれば「ゆだや」などということはきわめてきけんであるとされてきた。しかし911いこう、いんたーねっとのせかいではないぶはんこうせつがますます、しんじつであることがおおくのひとびとににんしきされ、いかにゆだやけんりょくがこのせかいをりょうじょくしてきたかがりかいされてきている。1985ねんにうのまさみしが「ゆだやがわかるとせかいがみえてくる」というほんをだされましたが、ぎゃくにいま、いえるのは「ゆだやがわからないとせかいはぜったいにみえない」ということだとおもいます。ゆだやがわからずしてにっぽんのれきし、めいじいしんもにちろせんそうもたいへいようせんそうもわかりません。ばぶるほうかいも911もさぶぷらいむろーんもげんゆたかもなにもわかりません。いんぼうろんなんていうのはかってですが、ゆだやのしてんぬきにせかいのしんそうをかたることはぜったいにできません。せかいはしんぷるです。それをふくざつにみせているのはしんそうをおおうがくしゃやひょうろんかのせいです。おそらくそのせいちょうかていでにんしきしたせかいのみかたをかえることができないにんたちが「いんぼうろん」などというれってるをはるのではないでしょうか?
かれらにはいっていのぱたーんがある。あらゆるくにぐに、あらゆるそしきにかたいれし、それらをたたかわせることによってせんそうをおこし、きょふをえるというぱたーんである。かぶのそうさとせんそうはおもてうらいったいのものである。「ばぶるほうかい」などというものはけっしてぶつりげんしょうなどではなく、そのほんしつはかれらによるにっぽんのとのしゅうだつであったのだ。もり→こいずみ→あべ→ふくだというきよしわかいのながれは、かれらのいとをくんだばいこくせいじがそのじったいだったのであり、こうぞうかいかくとはちゅうりゅうをかりゅうにおしやり、そのうばったとみをあめりかにさしだすものであったのだ。
「ゆだやけんりょく」というならそのぐたいてきなきこうをていじしてもらいたいものだとおもう。それはさておき、「ゆだやけんりょく」というのはきごうろんてきにいえば、〈れいきごう〉といえるだろう。なにもいみしないがゆえになんでもいみする。じゅんすいにちかいしにふぃあん。これについては、れう゛ぃ=すとろーすのまるせる・もーすろんぶんしゅうへのじょぶんをさんしょうされたいが、「いんぼうろんなんていうのはかってですが、ゆだやのしてんぬきにせかいのしんそうをかたることはぜったいにできません」とこおてがるにせかいのふくざつせいがしゅくげんされてしまう。つまり、このてのにんはせかいのふくざつせいにたえられないちてきなじゃくしゃであるともいえる。だいたい、「ゆだや」をもちだせばなんでもわかるなら、れきしがくもけいざいがくもふようではないか。また、いぜんかいたかもしれないが*3、このようなしぐさがきほんてきにまっちょなしぐさであることはいうまでもない。それもだんせいとしてのよくぼうをじゅうそくしているだんせいではなく、〈ひもて〉のもうそう。
さきをちょっといんようしてみよう。
べいこくでは1950ねんだいあたりまでは、ゆだやにんはさべつのためにだいがくきょうじゅになるのもむずかしくて、そのふくさんぶつとして、いわゆるにゅーよーくちしきじんというのがけいせいされたということはあるのだが、それはさておき、このろんりはすごい。じぶんがきにいらないのはすべて「ゆだや」になってしまう。だれもがゆだやにん! これはあるいみでただしいのかもしれない。なぜなら、きんだいしゃかいというのはしほんしゅぎかによって、だれもが〈ゆだやにん〉たらざるをえなくなってしまったしゃかいであるからだ。Marked/UnmarkedからMarketへ*4 。ちゅうせいにおけるしゅうきょうとしてのゆだやきょうはくがいとはくべつされるはんゆだやしゅぎのこんきょのひとつがここにあることはたしかだろう。あめりかにおける2たいせいとうせいにおいてうらでそうさしているのはゆだやけんりょくである。かれらはどちらがかってもこまらない。れきだいのだいとうりょうはすべてゆだやけんりょくのいきがかかっていたのであり、そもそもきょうわとう、みんしゅとうともにかれらのいきがかかっているにんげんだけがだいとうりょうよびせんのこうほたりえるのだ。だいとうりょうよびせんというのはみんしゅしゅぎというげんそうをこくみんにうえつけるためのものでしかないのである。ぶっしゅもくりんとんもひらりーもかくれゆだやなのだ。
さて、みなちゃまのそんけいされているうのまさみちぇんちぇーによると、こだいゆだやおうこくのしゅとはにっぽんのしこくのとくしまにあったらしい*5。それなのに、なぜ「ゆだやけんりょく」はにっぽんをいじめるのでしょうか。
*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080112/1200165144 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080125/1201204697
*2:http://www.merriam-webster.com/dictionary/racism
*3:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070514/1179125368
*4:これについては、あさだあきら『こうぞうとちから』をしゅあえずはさんしょうされたい。
2006-05-18
■たいふう
「きのうのしんぶんによれば、たいふうはしゃんはいをめざしていたかんじだったのだが、ひがしにそれて、きゅうしゅうをちょくげきしたみたい」とかいたが、これはわたしのかんちがい。きゅうしゅうのおおあめというのはたいふうではなく、「ぜんせんとていきあつのえいきょう」によるもの。
にしにほんでおおあめのおそれ どしゃさいがいにちゅういよびかけ
きしょうちょうは18にち、ぜんせんとていきあつのえいきょうで、にしにほんやなんせいしょとうで20にちにかけ、たんじかんにかみなりをともなうはげしいあめがふるおそれがあるとして、どしゃさいがいにちゅういをよびかけた。
きしょうちょうによると、19にちごご6ときまでの24じかんのよそううりょうは、いずれもおおいところできゅうしゅうほくぶが180みり、きゅうしゅうなんぶやちゅうごく、しこくたいへいようがわ、おきなわで100−150みり。たいへいようがわのちほうでは、うりょうはそののちさらにふえるみとおし。
にほんれっとうにそってとうざいにのびるぜんせんにむかい、あたたかくしめったくうきがながれこんでぜんせんのかつどうがかっぱつかする。19にちから20にちにかけては、たいふう1ごうからかわったおんたいていきあつがにしにほんをつうかするみこみ。
(きょうどうつうしん) - 5がつ18にち18とき38ふんこうしん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000150-kyodo-soci
げんざいちゅうごくのえんかいちほうをきたかみしているたいふう(「ちんしゅ」)ときゅうしゅうにいったたいふうは、にっぽんでは「たいふう1ごう」とよばれているが、http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/typhoon/typha.htmlによると、19にち18ときにちょうせんはんとうのなんたんにたっするものとよそくされている。きょうのしんぶんのしんはなしゃのにゅーすによれば、「ちんしゅ」は、9にちにふぃりぴんとうなんにはっせいしたもので、17にちの14ときにはほんこんのひがしがわ、18にちみめいにはふくけんしょうかもんふきんにたっしている。また、『とうほうそうほう』のくれきよしきん「さるしろいまありきょうかぜぼうあめ」では、しゃんはいにせっきんするのは「いまてん」ということだが、きょうのなんじくらいなのかはわからない。なお、どようびはさいこうきおん26〜29どとよそくされている。
きょうのしゃんはいはあさからあめ。そして、じかんがへつにつれて、あめもつよくなっている。

