2008-10-14 しょうしのようなはなしです。
すうねんまえに、じぶんがいっていたきょうかいの、あるくりすちゃんががんにかかり、50だいのわかさでなくなりました。きょうかいではきちょうなうつわとしてしんらいされていました。せいしんかのかんごしちょうでしたがおくさんと、むすめさんが4にんのかぞくでした。
びょうしきをもってからわずか1としほどでなくなられましたがなくなるまえにひとこと「じゅんすいになれました」といわれていたそうです。
おくさんやむすめさんたちをのこしてはやくさるというのはもんだいさんせきにおもいましたがとうじわたしはしんこうのめがひらかれずせいしょもまなんでいなかったのでそのしんじゃのほうのことばがりかいできませんでした。
なにかえたいしれないふかかいなせかいにいってしまっているのかとすらおもいました。
そしてそのあとすうねんのちにようやくわたしもしんこうをあたえられましたがとうじのそのびょうししたしんじゃのほうのことばがすこしだけりかいできたようにおもいました。
にんげんはしがおわりではなくしごもえいえんのつづきます。てんごくかじごくにいってです。
そのしんじゃのかたはきっとそのえいえんのやくそくをじゅんすいにしんじることができてさいわいになくなられたのかもしれません。
そしてのこされたかぞくのこともすべてかみにゆだねてだいじょうぶだというかくしんをもてたのかもしれません。
くりすちゃんのしなまかんはふつうのにんとはやはりちがうためにそういったいっけんふかかいないんしょうをおぼえるのかもしれません。
しかしせいしょはしんりでありしんじつであるとしんじます。
わたしもいまどきふんになりじぶんにはこのよでいばしょがないとおもわされのこりのなまをどうしたものかとあたまだえています。
ぜんじゅつのしんじゃのほうがつとめていたびょういんのかんじゃさんはそのしんじゃのほうののちをおうようにしてやはり50だいでなくなりました。じこしといっていましたがひそかにじさつであるということをおやとおもっていました。かんごしちょうのほうをまことにしんらいしこころのささえとしていたからです。
そのほうもけいけんなしんじゃでしたがたんかをおおくつくりだしていて、しちょうにすいこうしてもらいきょうかいにてさっしにしてしずかにもちいられているようです。
わたしはそのさっしがつくられたとうじいいかげんでけいはくですくいがたいものでしたので、そのほうのつくるうたのいみもわからずてきとうにあしらっていました。
のちにはんせいしくいあらためじこのおろかしさをしらされました。
いまじぶんもたんかやはいくをつくるようになりました。おもむきのあるしゅみだなとおもいましたがわたしはてきとうなさくひんしかできないようです。
にゅういんちゅうにあるかんじゃさんがはいくのさっしをみせてくださりそれでかんどうやいやしなどおぼえたのです。にっぽんのりょうところつまるぶんかだろうかとおもいました。
それいがいにもにっぽんにはかずおおくのぶんかやぎじゅつがそんざいしていてすごいくにですね。
いまのにっぽんへのはげしいわざわいはかみのゆえでありきっとかみがいかりをくだされているとおもいます。
にほんじんはかみのちえともいえるまされたぎじゅつぶんかがあるのにまことのかみにそむいてぐうぞうをおがむからです。
ちなみにおりがみもまされたぎじゅつぶんかですね。よくこうあんするとおもいおどろきます。
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のち、とさつのげんじつをつたえるためのさいとをみてしょうげきをうけにくをたべるのをやめました。あまりにもすごいざんぎゃくせいがまかりとおりこんなげんじつのおもてがわはでまことしやかにせんでんされるぐるめじょうほうがあります。
いやざんにんなしんじつにおどろきました、とさつさいとをみて。いっけんすることをきぼうしたいです。
わたしはえいぞうつきのそれをみれませんでした、あまりにもざんぎゃくなないようなのでえいぞうみたらさけびだしそうだったからです。
みなさまにもすすめます、どうかにくなどのふしょくをねがいたいです。
まいにちまいにちいちびょうまにすごいかずのかちくがざんにんなほうほうでころされつづけているそうです。
けんたっきーのせいぞうのうらがわにてやはりにわとりへのざんこくなあつかいをねっとでみてぜつぼうしけんたっきーはとめました。しかしふつうにみせにてうられるにくるいもしょせんはかちくのすごいぎせいのもとになりたつのですね。
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のちはいくのさっしには「どうじ」というものがありHPもあります、あまりみるよゆうなかったですがはいくやたんかつくりのたのしさがすこしわかりました。(たぶん)