ふるほんやのなぐりがき(しょひょうとざつぶん) このぺーじをあんてなについか RSSふぃーど


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2008-10-12

るわんだだいぎゃくさつのはじまり/『じぇのさいどのおか』ふぃりっぷ・ごーれいう゛ぃっち


 るわんだ――このこくめいは、もはやわたしにとってたにんごとではすまされない。こつずいにきざまれたかんがある。にんげんのきょうきとかんようとをかねそなえ、ころしたひとびとところされたひとびとのかぞくがともにすむだいち。そのおもみにたえかねて、あふりかたいりくはくぼんでしまっていることとそうぞうする。


 きょうしつのなかへ、したいのあいだにそっとあしをふみいれたとき、まだたくさんそうぞうしなければならないことがあった。ししゃたちとさつじんしゃたちとはりんじんどうしであり、どうきゅうせいであり、どうりょうであり、ときにはゆうじんどうしであり、しんるいのばあいさえあった。ししゃたちははきょくのなんしゅうかんもぜんからさつじんしゃたちがおこなうぐんじくんれんをみていたし、それがつちぞくをころすためのくんれんだということもしっていた。それはらじおでもほうそうされており、しんぶんでもほうじられており、みなおおっぴらにはなしていた。にゃるぶいぇのぎゃくさつのぜんしゅう、るわんだしゅときがりでさつがいははじまっていた。ふつしじょうしゅぎしそうにはんたいするふつぞくはこうしきにつちぞくの「どうちょうもの」とされ、ぎゃくさつがはじまるとまっさきにさつがいされた。にゃるぶいぇでは、つちぞくのひとびとからほごをもとめられたつちぞくしちょうは、きょうかいにひなんするようにすすめた。つちぞくがそのことばにしたがうと、すうじつごしちょうがせんとうにたってころしにきた。しちょうはへいし、けいかんみんぺい、それにむらびとたちをひきいていた。ぶきをくばり、しごとをやりとげるようにとめいれいをくだした。それだけでもじゅうぶんだったが、しちょうはみずからすうめいのつちぞくをころしたという。

 にゃるぶいぇのさつりくはついたちじゅうつづいた。よるになるとさつじんしゃたちはいきのこったもののあきれすけんをきり、きょうかいのうらでえんかいをひらいた。おおきなたきびをおこしてぎせいしゃからりゃくだつしたかちくをあぶり、びーるをのんだ。そしてあさには、ぎせいしゃのひめいをこもりうたにどれだけねられたかはともかく、ふつかよいでめざめ、もどってきてさつがいをさいかいした。まいにちまいにち、まいふんまいふん、つちまたつち。るわんだのいたるところでそれがおきたのをしっているし、いかにおきたかをきいているし、ほぼ3ねんにわたりるわんだかくちをみてまわり、るわんだにんたちのことばにみみをかたむけてきたから、いかにおきたかをせつめいできるし、これからするつもりだ。だがそれでもこのきょうふ――おろかしさ、もたらしたはかい、どうしようもないじゃあくさ――がいささかでもうすれるわけではない。


【『じぇのさいどのおか』ふぃりっぷ・ごーれいう゛ぃっち


 わたしはるわんだをしることで、はじめてにんげんをりかいした。


 わたしはるわんだをしることで、はじめてちょう(はらわた)がねん(ねじ)れるおもいをした。


 わたしはるわんだをしることで、いりみだれたぜつぼうきぼう、こうさくするひかとやみのそんざいをしった。


 るわんだ――これいじょうないふじょうりからのしゅっぱつ。おくればせながら、わたしもしゅっぱつしよう。

じぇのさいどのおか〈うえ〉―るわんだぎゃくさつのかくされたしんじつ じぇのさいどのおか〈した〉―るわんだぎゃくさつのかくされたしんじつ

とうこうしたこめんとはかんりしゃがしょうにんするまでこうかいされません。

げすと


とらっくばっく - http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20081012/p2
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