かわたけもくあみさくのしらなみものにんききょうげん「はなまちもようあざみしょくほう」(さともようあざみのいろぬい)のつうしょう 。もともとしょうがつようのそがものとして1859ねん(あんせい6)にしょえんされた「しょうそでそがあざみしょくほう」(こそでそがあざみのいろぬい)のいちぶで、せいしんのちのおにぼうずせいきちはどろぼうやくしゃとひょうばんのたかかったばくまつのめいゆう、しょうだんつぎにあてはめてかかれたもの。ただしはこねのさんちゅうでそがきょうだいがくどういちこいぬぼうまるとたいめんをする「はこねこすいたいめんのば」はしょえんでえんじられていらいえんじられておらず、いざよいせいしんのすじだけがどくりつしてえんじられるのがつうれい。ゆうじょながらせいじゅんかれんないざよいがとうぞくのはくりょくあるあねごにかわっていくのをはじめ、ぜんにんがあくしんをおこしてかわっていくところがみどころ。
ゆうじょのいざよいとなじみんだそうりょのせいしんは、かまくらごくらくてらからついほうされれいざよいとしんじゅうしようとする。しかし、いざよいは、しろはすというはいかいしにすくわれる。いっぽうおよぎのとくいなせいしんも、しにきれずたすかってしまう。それがひょんなことからにんをころしてしまい、めいも「おにあざみせいきち(おにあざみせいきち)」となってあくじをかさねるようになる。「きょういざよいがみをなげたも、またこのわかしゅうのきんをとり、ころしたことをしったのは、おがつさまとおればかり、にんげんわずかごじゅうねん……これからよるとういえしり《やとうやじり》きり、にんのものはわがものと、えいようえいがをするのがとく、こいつあめったにしなれぬわえ」
いっぽうせいしんのぼだいをとむらうためにあまとなってじゅんれいのたびにでていたいざよいあらためおさよは、はこねでせいしんあらためせいきちとさいかいし、とうぞくのひとあじとなっておんじんであるしろはすをきょうせいにいくことになる。だが、いいにんにみえたしろはすこそが、じつはふたりのうえをいくだいとうぞくのだいてらせいべえで、なんとせいきちのみのあにだった。で、いろいろあってさいごはみんなしぬ。
このしばいではペリーらいこうから2ねんごの1855(あんせい2)ねん3がつ6にちにあったちよだしろおきんぞうやぶりじけんがモデルとなっている。はんにんは、ろうにんふじおかとうじゅうろうとむしゅくものとみくらのふたり。このふじおかとうじゅうろうがしろはすのモデルとなり、1805(ぶんか2)ねんにしょけいされたとうぞくおにぼうずせいきちがせいしんのモデルとなっている。これにうえのかんえいてらのそうとゆうじょのしんじゅうじけんをからめ、じっさいのじけんのぶたいをえどからかまくらにうつし、ばくふのごようきんをらいあさほうのうのしどうきんとすることで、じだいをかまくらじだいにせっていするというきゃくしょくがなされている。ちなみにいざよいとせいしんがしんじゅうしそこなういねせがわは、すみだがわのこと。じっさいのじけんをきゃくしょくしてじだいをかえ、なまえをかえてこやにかけるのはえどかぶきのつうれいであったが、おきんぞうやぶりにことさらしんけいしつとなっていたばくふにもんだいしされ、じょうえん35にちめにおおいりりのままうちきりとなった。なおめいじいしんのち、さくしゃかわたけもくあみはおなじだいざいのしばい『しせんりょうこばんうめは』をじつめいでかいている。
きょうのほうえほん
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