がいこうかん。だいにじたいせんぼっぱつとき、リトアニアきょうわこくカウナスのりょうじだいりにざいにんちゅう、ナチスドイツのはくがいをうけていたユダヤにんやく6,000めいに、じゅきゅうしかくをみたしていないにもかかわらず、どくだんでとこうビザをはっきゅうした。せんご、がいむしょうのじんいんせいりのたいしょうとなりがいこうかんをじしょくするが、そのじんどうてきこういはかのせいきょ(1986)ののちにせかいからたかいひょうかをうけるようになる。また、やはりとうじ、ナチスドイツのホロコーストからたすうのユダヤにんをすくったオスカー・シンドラーのこうせきになぞらえて、「にっぽんのシンドラー」とよばれることもある。
なお、かのこうどうにたいするにほんせいふのたいおうについてはしょせつある。じょうじゅつのようにすぎはらはせんごの1947ねん、がいむしょうをじしょくすることになるが、このけんにかんしてすぎはらのつまは、ビザはっきゅうのけんにたいするせきにんがめんかんのりゆうとしてあがったとしゅちょうしている。いっぽうで、がいむしょうのきろくによれば、ビザはっきゅうの4ねんごのしょうわ19ねんにじょくん(いさおごなどずいたからしょう)されている。また、「たいしょくまでのかん、しょうきゅう、しょうしんもじゅんちょう」だったし、「たいしょくきん、ねんきんについても、ふりなあつかいはいっさいうけていなかった」ともされ、これらをりゆうに「にほんせいふはすぎはらのこうどうをもくにんしていた」とするせつがある。なお、これにたいしては、ついソれんがいこうにおけるすぎはらのがいこうかんとしてのたかいじつりょくがかわれていたそくめんをはんえいしたものだ、とするいけんもある。
このいけんたいりつはおもに、だいにじせかいたいせん(たいへいようせんそう)をすいこうしたとうじのにほんせいふにたいするせんごひょうかのもんだいがはいけいにある。にっぽんはとうじ、ユダヤにんのはくがいをいっていたナチスドイツとどうめいかんけいにあった。そのため、「すぎはらのビザはっきゅうにたいしてにほんせいふがこうていてきであったかいなか」というトピックには、せんご60ねんをけいかしていまなおつづく「たいへいようせんそうのせいとうせい」にかんするろんそうのひとつとしてちゅうもくをあつめやすいというそくめんがあり、ちゅういがひつようである。
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