にほんじん くにぞうのつれづれ このページをアンテナについか RSSフィード

2006-09-10 ちょうしゅうばつはきえたか?

じきそうり〔あべすすむさん〕は〔ちょうしゅう〕にんである。

ちょうしゅうにんによるせいけんは、いずれもながくつづいただけでなく、にほんこくうんえいのこんかんにつながっている。

つまり、めいじいしんはちょうしゅうにんがおこし、めいじ、たいしょう、しょうわとつねにくにのちゅうすうにかかわってきた。

2006-09-09 あさひのしゃせつにおもう

〔あべすすむさん〕はつげん 〔むらやまだんわ〕をほうむるな

 「わがくには、とおくないかこのいちじき、こくさくをあやまり、しょくみんちしはいとしんりゃくによって、アジアしょこくのひとびとにたいしてただいのそんがいとくつうをあたえました」

 「うたがうべくもないこのれきしのじじつをけんきょにうけとめ、あらためてつうせつなはんせいのいをあらわし、こころからのおた(わ)びのきもちをひょうめいいたします」

http://www.asahi.com/paper/editorial20060908.html


これはよくおぼえておきたい、せんご50へったへいわぼけをきわめたさいたることばであり、みんぞくやせんじんにたいしてのしつれいきわまりないせりふである。


こんなものにひょうかなどないし、ちゅうごくにせよ、このごじんのようにそこまでバカではないが、とうじはしめしめであった。


せいじやメディアはこくみんが「あほう」のほうがやりやすいが、れきしもんだいをほりさげ、ちゅうごくきょうさんとうのなりたちやこくさくをけんしょうし、にほんむけけのがいこうカードであるやすくにもんだいをあまりきょうちょうすると、ひつぜんてきに「あほう」でないこくみんがふえてくるのだ。


ちゅうごくはげんざいここのきろであるが、にっぽんのとりわけこれらメディアは、いまだにかのくにいじょうの「あほう」じょうたいである。

こんなことをとうじのにほんこくしゅしょうがやらかしたのである。

えらんだのはだれ〔むらやまとみし

このしゅしょう、はんしんだいしんさいのたいおうをみよ。ききかんりいしきなどもとからゼロである。

またさいきん70としをこえてじんしんじこをおこしたが、みずからのりつしほうもわからないごじんである。

ちなみに、たっきゅうびんなどのしょくぎょうドライバーのおおくはプライベートではうんてんしない。じこはあたりまえ、いはんでも「そくクビ」となるのだ。

つまり、めいかくにむらやまとみしはにほんこくさいていのしゅしょうである。

このなさけないだんわこそが、いまだおおい「あほう」のたいぎとなり「アジアがいこうのねじれ」のこんげんとなっている。

そして〔だいとうあせんそう〕はいせん

れんごうこくへのこうふくぶんしょちょういんにおいて、にほんこくぜんけんとしてしょめいしたしげみつあおいは、こうせいのにほんじんに「はいせんのちょういんものであるじぶんをさげすむにんが、おおくはいしゅつするようなにっぽんになってくれ」とのおもいでちょういんした。

いぜんのこだまげんたろうをはじめ、にちろせんそうでのそうさんぼうちょうは3にんともしょくむなか、あるいはつゆせんごすぐかろうししている。また、にちろせんそうは、せんそうしきんのいちぶをえいこくからのしゃっきんでまかなっているし、たいへいようせんそうでAきゅうをはじめ、せんぱんときめつけられたひとびとのおおくもごくちゅうしや、しんしんのすいじゃくじょうたいでのしぼうがおおい。


いちようにかれらは「こっかのそんぞく」にいのちをかけた。きんねんのへいわぼけのにっぽんやこくさいしゃかいとは、まったくちがう「かこくなせんたく」のれんぞくによってこれをすいこうしようとしたのである。

しかし、はいせんごはいちようにじこくみんからもせんそうでの「ごくあくにん」あつかいをうけた。

それにもこうわらず「さいごまで、そうきこくみんのふっけんにどりょくし、こっかのどくりつとしょうわてんのうをまもりきった」のだ。


かれらを「さいごのにほんじん」とこうせいのれきしかにかたらせないために、

「だれのおかげで、いまなおにほんこくがあるのか」とかんがえるのが、ただしいじこくのれきしにんしきのいりぐちであり、よしあしをそのせんじんにまなぶことが「ぼうこく」にならないためのこたえだ。

www.learn-japan.org(romaji/hira/kata/hirakata)